2018年05月02日

物質のように見つめない


演奏は、聞き手へ向かって流し込んでいかなければならない。

「どこへ」が場所とすれば聞き手の心へ向けてだが、大事なのは、かの人が所有している未来の時間へ向かって、常に流し込んでいくこと。


楽譜は左上からから右下へと視界の位置をなぞっているので、一曲がまるで「ひとつの物質」のように存在しているが、演奏という本来の価値ある姿には、目の前に登場するような“形”は存在しない。

だから、一曲を物質のように固めて見つめてはならない。

あくまで、瞬間の羅列が存在するだけ。

いずれにせよ、印象は残れど、それ以外の物も事も、形も存在も何も残らない。


思いを息にのせて流し込み続けなければならないわけで、途中で止まってしまうような時間を作ってはならない。

一曲の演奏をひとつの形ある物質のように感じ、それを演出しようとして、切り取って止めたように仕立ててはならない。

聞き手は、そんなことでは好意的には感じないことをしっていたい。

同じく時間を流れても、目に見える演劇とは違う。止まったような演技から感じることはあっても、止まったような演奏からは伝わるものはない。


演奏とは、止まらずに流し込み続ける作業としては、休まず働くサービス業のようなもの。

時間でしかない。形はない。

「頭で考えて形を作る」ことで、止まりようのない時間の真実を見失ってはならない。


N響練習、川越へ

posted by take at 11:19| 活動報告

2018年05月01日

短怒


叱責は短ければ短いほどよいのだそう。30秒以内にしなさいとのアドバイスが。長くなればなるほど、その効果は落ちてしまうと。

小学校のときの校長先生の訓話、あるいは結婚式のときの長いスピーチを思い出すとよくわかる。

長くなればなるほど「早く終わんないかな」ということに意識が向かってしまい、その内容のほうには注意が向かなくなる。

叱責も同じ。5分も10分もたしなめても、どうせほとんどすべての内容を相手は忘れる。だから長い叱責ではその内容を理解してもらうことが困難になってしまう。

とにかく30秒以内で終わらせること、という話。




「30秒ってどのくらいやねん」

ということで、ヒマ人な僕が計ってみました。

やるべきことをやってなかった人を怒って…みた、まじまんじ。


「あのさ、なんでやってないの?今日までにやるって約束だったよね。理由はなに?!」

だと、理由を聞いている間に30秒きちゃうので

「あのさ、なんでやってないの?今日までにやるって約束だったよね。何やってたの?君がやらないことによって、当然仕事全体が滞るよね。周りに凄く迷惑がかかるし、そんな自分かっ」

まあ、相手の反応見ながらでここまでですね……怒りきれてませんな。

やっぱりあれかな。


「…………………………………君は………………だめだね…………いいよ、もう行って………」


で30秒。


ひえええ((((;゜Д゜)))

ちゃんと、怒ってぇ……


大塚へ


posted by take at 21:44| 活動報告

2018年04月30日

これからやること


「今、日本が世界トップレベルで活躍するようになったスポーツがあるだろ?あれは、関係者によるスポーツ生理学等の研究こそが、世界一になったからなんだよ」

年長者の意見は、本当にそうなんだろうなあと思わされるもの。


科学的にわかったそれらのことを、子供の頃からしっかりと取り入れてやっていく。そして不確かだったり漠然としたイメージだったり、はたまた根性論のような勢いまかせで効果が曖昧なこと、無駄なことはどんどんやらなくなり、世界の上澄みまでたどり着く結果に対して必要なことのみをプログラミングしていく。


僕は若い頃、国際コンクールの場面での、ヨーロッパの同世代との圧倒的な距離感にうちひしがれていたことがある。

「なんで日本人に生まれたんだろう」とすら思っていた。

今研究しながら気づいていくことも、ドイツやフランスはじめ欧米なら、もう何十年も前に試し、効果も副作用も理解し、その結果の現システムであり、それを取り入れようとしても、結局根っこまでは理解できないのでは、うわべだけなぞり結局磐石にはならないのではと思ってきた。


しかしこれからは、そこまで悲観的に生きるのではなくても良いのかもと思うようになりはじめている。

それよりも、あらゆる思いつきと工夫を駆使し、本当に楽器を自由に操れるようなシステムを目指し、後はハートと人間性にというとこまで探求する。


それこそが、僕のこれからの生きる形なのではと思う瞬間がありました。


MTTレッスン

posted by take at 19:51| 活動報告

2018年04月29日

顎の悲劇


人は、意味のない考察を共有することを楽しんだりする生き物である。

それは6人でうどんを食べながら、突然始まった。


僕「上顎に張り付くのっていくつかあるよね?」

「海苔」

「サンドイッチですね」

5人「サ、サンドイッチ?!」

「普通に横にして食べると張り付くことがあるので、たてに食べたりします」

僕「それ、難易度高いよね」

「かつをぶしですね」

「あー、面積大きく薄く削ったのはひっつくことあるかも」

その後、きゅうりを薄く切ったのとかオブラートとか、それボンタン飴の周りだとかナスの皮とかいくつか上がるが、どれも決定打にならず、全員が思い出せない「アレ」を探しながら、うどんをすすり続けた。

まるで上顎に何かが張り付きなかなか取れず、でも人前なので指を口の中に入れるのもはばかられ、舌で一生懸命剥がそうとしている時のようなもどかしさを、6人全員が共有していた。


話題も変わり、何人かがうどんをすすり終わった頃、僕の頭にふと乾いた何かが浮かんだ。

「ねー!なんかスナック菓子であるよね?」

「あ、サッポロポテトバーベキュー味!!」

しかし、まだ総意には届かない空気が流れた次の瞬間、天から舞い降りた結論が下界に放たれたのだった。


「カール!!!!」


6人「お〜〜〜〜〜っ」


全員の上顎に自由が戻った、そんな幸せな瞬間だった。


カラーズ本番
カールを、噛まずに舌と上顎で潰すように食べると張り付く。手に入りにくくなった今では、過去の話になりつつある。

posted by take at 22:41| 活動報告

2018年04月28日

おこわの温かさ

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ブロカートの本番の日は、長くお弁当係をやってくれているSさんが、お茶と一緒に素敵な食事を楽屋に持ってきてくれる。

何年も前になるが、大好きな『おこわ弁当』を用意してくれて、感激したことがあった。


「これ、大好きなのよ、ありがとう」

「先生、こないだ好きだって言ってたから」


言った本人はすっかり忘れていたが、それで用意してくれたことが本当に嬉しかった。本当に本当に。


今日も「千葉駅で、今朝炊きたてのを売ってましたよ」と、持ってきてくれた。


おこわで繋がる気持ちがある。


あまりに嬉しく、あまりに美味しく、本番へのエネルギーは心にまで充満するのでした。


ブロカート室内合奏団本番

posted by take at 22:38| 活動報告