2019年11月17日

思いつく練習法の真実


今「完璧な演奏へのさらい方」というのを系統的に文章化し、楽聖と共有しながら研究しているのですが、それを考えれば考えるほど、あることが確信になってきます。


それは

上手い人は、上手くなっていくような練習を思いつき実践している

音が素晴らしい人は、音が素晴らしくなっていくような練習を思いつき実践している

ミスをしない人は、ミスをしなくなるような練習を思いつき実践している

ということ。


つまり

上手くない人は、上手くなっていく練習法がわからず、無駄な練習、ないしは亀の歩みのような練習しか思いつけていない。

音が冴えない人、ミスをしてしまう人は…以下同文

生徒に理想的な成長を期待するなら、実はこのことにメスを入れるしか活路はない。

実は上手くなる人にとっても、なれない人にとっても、このことは特別なことではなく、当たり前のように宿っているのだと思う。

つまり、良いのもダメなのも、当人には当たり前で、他の人とどう違うのかはわからないのだと思うのです。


休日

posted by take at 11:04| 活動報告

2019年11月16日

丁寧だなあ……


実は家人が一週間入院していたので、毎日病院のある築地に通っていました。

築地駅の出口すぐそばに、チェーンではない老舗感漂う立ち食いそば屋があり、結局二日目の朝から退院の前日まで通い続けることに。

直感でなんだかよさげな感じがしました。初日どんどん入ってくるお客さん、サラリーマンやOLたちを観察していると、この人たちの日常に完全にお気に入りとして組み込まれてるなとも思いました。

実際おそばも汁も美味しいし、何より丸見えの厨房で揚げている天ぷらがいい。

春菊天を推してるのか、店内に栄養価や調理法などが貼ってあり、実際頼む人も多い。おっきなボールに入った揚げる前の春菊天を見るとテンション上がるし、揚げているのを見るのも楽しい。揚げたてを蕎麦に乗せて出してくれた瞬間は、口も喉も喜び大爆発。

ある日はいなり寿司も頼んでみました。なんと小さなお重に入ってきたお稲荷さん。紅生姜もついてきたお寿司もなかなかに上品でいい味。他の立ち食い蕎麦やで食べられるものより、とても美味しく感じました。

ふと、立ち食い蕎麦やでとしてはまるで不思議な感情が沸いてきました。


丁寧だなあ……


出汁の取り方、天ぷらの素材、揚げ方、お稲荷さんの味つけ。いろんな場面で、とにかく丁寧な作り方だなあと。


丁寧って大事ですね。

「丁寧だけど……」という言い方はいろいろできる。演奏なら

丁寧だけどこじんまり、丁寧だけどつまらない等


しかしどのジャンルにおいても、最高のものは雑であろうはずがない。ダイナミック含め様々な魅力に溢れており、そして必ず丁寧。

だからこそ雑でいいって話はやはりない。もちろん丁寧なだけではだめだけど、最後は細やかで丁寧な取り組みには敵わないとなる。


そんなことを思い巡っていたのが、なぜだか立ち食い蕎麦やだったのです。


レッスン

posted by take at 22:22| 活動報告

2019年11月15日

永遠に神会わない会話


インドカレー屋での、店員とツッコミ芸人の会話。


「ゴチュウモンハ、ナンニシマスカ?」

「え?いや、ライスで」

「(カレーヲキイテルンダケド)ハイ、ライスデスネ。デ、ナンニシマスカ?」

「だからあ、ライスで」

「ア、ハイ………カレーハナンデスカ?」

「(俺はカレーにはライスやと言うとるやろ)なんでやねん」

「ナンニヘンコウデスカ?」

「なんやねん!ライスやっちゅうに」

「リ、リョウホウデスカ?」

「いや、ライスだけでええの!!」

「トウテンハ、カレーモタノンデイタダカナイト」

「そんなんわかっとるわい、なんやねん!一体」

「ナンヲヒトツデショウカ?」

「ちゃうがな!なんやっちゅうねん、いちいち」

「イチニイチ、ニマイデスカ?エ?ジュウイチマイ??」

「もうええわ!なんちゃいらん!!」

「ナンハトリケシ……」

「イラン!!!」

「イ、インドデス……」


川越へ

posted by take at 15:53| 活動報告

2019年11月14日

太陽以上!


演奏家の現実を書いたとある著書の一節に

「(仕事をこなすだけでなく)自分自身のための練習によって刺激を保つことが絶対に必要である。規則的な練習とロング・ノート(ロングトーン)を怠ると、あなたは長い時間をかけて、じわじわと月並みな奏者になっていくだろう」

とあった。


僕の心にひっかかったのは「月並みな奏者」


これは、オペラ奏者としてオケマンをやる人の現実を書いた章で、プロの奏者として安定した収入を得ながら活動をしているだろう人を取り上げてである。

オケマンに憧れている人たちからすると、ポストを得ているだけで充分羨ましいだろうし充実したイメージだろうが、だがしかし…とのテイストからの「月並みな奏者」


もちろんオケにポストを得た人が、自分自身の練習やロングトーンもしないなんて、そりゃダメダメで月並みどころか月並み以下だとは思うが、月並みな奏者が「つまらない奏者」と評されるなら、「月並みではない奏者」とはどんな演奏家なのか。

日本のプロオケ奏者で、自分の練習やロングトーンもしない人なんていないから、月並みな奏者の条件はもっときちんとした演奏家になる。それではないとなると……


(若い頃は誰しも向上心と共ににあるとの前提で)周りに「あの年になってまだ」とまで言わしめるような、世の中からの加齢イメージに耳を貸さず、諦めず(諦めが悪い)、若々し過ぎる向上心と共に鼻息荒く突き進む。そんな万年青春時代を生きている。そして何より朽ちることなく輝きへと成長し続ける。そんな演奏家か。


それが月並みじゃなく…………じゃあ太陽並み、いや太陽以上なのか!輝きが増すばかりなのだから!!!


N響オーディション

posted by take at 14:54| 活動報告

2019年11月13日

物凄く練習する人だ


世界的に洗練されてきた金管楽器のトレーニング、そのスタンダードに「計画的内容、分割して、1日3時間の練習、それ以上はやり過ぎ」との価値観があることは理解した上で……


とある若い名手。彼女を高校時代から大学卒業まで導いた先生に質問してみました。

「彼女は最初から上手かったんですか?」

「う〜ん…下手ではなかったけど、上手いというわけでは……ただ」

「………」

「物凄く練習するやつなんだよね。それは凄い。凄く真面目なやつなのよ」


練習は量より質だ、との価値観を真理として感じながらもなお、この量練習することの素晴らしさを、心から支持する自分がいる。


上手くなっていく人は、上手くなっていっている時期はもれなく量練習しているはずだ。

なぜなら一番最初に上達という変化を感じるのは自分であり、それは誰にとっても大きな喜びで、変わった自分を何度も確認しようと吹いたり、更に吹くともっと変わるかもと、唇や左腕、背中や首まで痛くなっていても吹いていたりする。

そんな姿をこっそり誰かが見ていたりする。もし見られておらず独りでのトレーニングだったとしても、前回と比べ上手くなった演奏を聞いた人は「量練習したんだろうなあ」と思うものだ。



楽聖諸君

君は「物凄く練習する人だ」と言われているだろうか。

人生のある時期、一度でもこれを言われることは大事で、もし「言われたことないし、言われてないだろうなあ」と思うなら、君の意欲、その真実の分だけしか楽器は響かない。


実は、周りに「凄く…」といわしめるが如く何かに突き動かされて練習をしてしまったなら、君が思った以上の素晴らしいバフォーマンスが獲られたりすることは、人と楽器の真理として本能が信じていたい。

量が御褒美に繋がるのは、事実である。


休日

posted by take at 15:39| 活動報告