2017年05月01日

やりたくてやりたくて


やりたい事が枯渇しない。いくつになっても、やりたい気持ち、開拓したい気持ちが溢れ出てきて、まだまだゴールまでは遠い気がして。

仕事が定年になっても、70になっても80になってもそうだと、それは凄いこと。

周りから見たら、気持ち悪いくらいギラギラしているかもしれない。よく喋り情熱的で、場合によっては偉そうかもしれない。


「120歳まで生きたい」と言っていたオノ・ヨーコさんの認知症のニュースは、病気の酷さを伝えたが、同時に人並み外れた意欲と、生きる意味の明瞭さをも感じさせられた。


どうしてもやりたいことが枯渇しない。人がなんと言おうが素晴らしいことだ。

それが例えば他人からは興味がないくらいマニアックなことでも、やりたくてしょうがないことに溢れたなら、素晴らしい人生だ。

会社を定年になったら、一気に落ち込む人なんかは、きっと働いている時も、人から言われたことをやっていただけなのだろう。


レッスン

posted by take at 15:49| 活動報告

2017年04月30日

大人的


楽譜をきちんと演奏することは大事。

でも表現することはもっと大事。

表現のために楽譜をきちんと吹くことが大事。

表現を探さずに、楽譜をきちんと吹くことに追われることは多いが、きちんと吹いてから表現ではなく、表現しようとするからきちんと吹くことが大事。

表現を探さないのは、音楽性というよりは人間性の問題かもしれない。自分と周り(演奏者と聞き手)の関係性をどう構築しようとするのか。

まずは自分を伝える気があるか。

伝えたいなら、相手の感情を意識すること。

伝わるかどうか不安になれたら、手を変え品を変えという色とりどりの表現を探し、体現しようとするはずだ。

周りからの要求に応えるだけだったり、また要求するだけだったりという、子供的な時期から脱却し、相手の心に真剣に入っていこうという大人的な人間性にたどり着いてなければならない。


東邦祭二日目

posted by take at 15:32| 活動報告

2017年04月29日

人生変わってなんぼ


楽な物って直ぐ慣れてしまう。

電車の乗車券。切符がカードになって直ぐ慣れた。首都圏の鉄道が一枚のカードになればいいなあと夢みたいに思ったことも実現し、喜び大きく、しかしあっという間に慣れた。そのカードでいろいろ買い物ができるなんてびっくりだが、できてしまったら直ぐ慣れた。

楽になるためには、凄い叡知と努力があったのだろうから、素晴らしいことを成し遂げているのだろうが、でもユーザーは直ぐに慣れ、そして「もっともっと」である。


日常生活のストレスを軽減するためのお供なら、楽アイテムがいいかもしれない。

しかし人には様々なストレスのかかり方があり、実は日常の柱に近ければ近いものほど「適度な難易度」を求める習性があると思います。

克服できていく部分と、なかなか慣れない部分が同居している、その慣れない部分に難易度を感じていると、まさしく慣れないからの飽きないに繋がるかと。この難易度が、


「自分を変えてくれるもの」


だと、人間が使うべき道具としてクォリティが高いのだと思います。


例えば楽器を選ぶにしても、瞬間楽にとてもクォリティ高いことができるものよりも、これを使っていけば自分が変わり続けられる、そんな直感が働くものを僕は選びます。

瞬間クォリティの高いことができたなら、それは自分の力ではなく道具の力であり、あっという間に慣れた後、その最初の快楽を道具の方に求め続けてしまう。

でも本当は、自分が変わり、克服できていくことにこそ真の快楽があるのだと思います。


ずっと自分が変わっていける、そんな時間が訪れるための道具が選べる直感が働くと、人生は充実する気がします。

もちろん出会う人も。

自分もそういう人になれたら、そりゃ凄いことだ。


東邦祭

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2017年04月28日

急がない


生徒と出会った時、まず質問してみたとする。


「君は、自分の力だけで変わる人間になりたいですか?そのためには、極力教わらない方がいいとしたとして。それとも、教えてもらって変わりたい方ですか?」


人によって答え方は様々だろう。

「とにかく教えて欲しいです」

「教えてもらってから、自分のものにしていきたいです」

「極力教わらず、どうしてもわからない時にだけ教えてもらいたいです」

「教えてほしくないです。自分の力だけでなんとか。でも……」


きっといろいろだろう。


変わるためには、想像力や妄想力、探求力が必要。それらは、音楽や演奏、楽器や奏法とガッツリ向き合って、時間をかけて気づくというプロセスをたどって、初めて養われる。

どんなに早急に手に入れたいと思ったって、やらなければいけないことは繰り返し繰り返し見つめてみること。それをしないで急いでしまうと、磐石ではないものばかりが身についてしまう。

「早く上手くなりたい」と思うことは決して悪くはない。しかし、時間をかけて自分の力で気づき身についたものこそが、自分の本音を伝える技術として、価値ある表現力に繋がる。


「実は急がない」ということを、楽聖も教師も知らなければならない。


休日

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2017年04月27日

かなりの時間繰り返してある瞬間


僕は


「大学生には時間が必要だ」


と思っています。

何でもかんでも、あの頃は良かったと言うつもりはないが、でも今とはかなり違った。

トロンボーン専攻生として大学生になり、一般教養他の授業出席、単位取得法に関しては、決まりはあれど縛りがユルユル。そもそも総授業期間は半年を切っていた。つまり一年のうち半年以上休みだった。

そこまでがいいかどうかは置いておいて、現代の大学生は忙しい。文科省も、追い込まれるように多忙に学びスキルを上げよと言っているように見える。暇にすると、だらけるだけでしょとの信頼のなさなのか?

たった四年間の学びで、社会に出た時に即戦力になれと。よって専攻もだが、それ以外の社会性スキルも、有能な教師により「教え」「伝え」「身につける」ことを主眼にプログラムしている。


でもですね、やっぱり自分自身で気づき変わることが一番大事だと思います。

ひとつ教わると、ひとつ身につける力を失う。つまり、ひとつ教えると、ひとつ身につける力を奪うことになる。



なんでもそうだと思うのですが、長い長〜いなが〜〜〜〜〜〜い時間、繰り返し繰り返し見つめることで初めて見えてくるものがある。

やり方や答えを教えてもらえず、教わろうともせず、ただただじっと見つめ続け、疑問に持ち、また見つめを繰り返し、述べ数十時間数百時間同じものを見つめて、やっと、やっとこさ見えてくるものが。

それを教師として教えることは簡単(伝わるかどうかは別にして)。しかし、


「見つめ続けて気づいた」


ということこそ大事だし、そんな経験こそが人間には必要。

トロンボーン専攻だと、素晴らしい演奏を繰り返し聞き、自分の演奏も繰り返し繰り返し聞き、ロングトーンでもリップスラーでも同じトレーニングを繰り返し繰り返し繰り返し述べ長時間経験し、本番も繰り返し繰り……

そうしにくいカリキュラムの日常だと、自分で自分を変えることが苦手な時短知りたがり、自分を信じにくい冒険不得手、情報流され暇潰し依存、うわべ社交の内向的もんもん型の人間を作っていく。


そうではなく、生涯逞しく変わり続けていく力こそを養う期間として、


「時間こそがある」


ことが、大学生には必要なのだと思います。


休日

posted by take at 10:05| 活動報告