2017年10月29日

音の形


僕は、トロンボーン奏者は、全ての楽器の中で最も音の形を気を付けなければならないと思っている。

なぜなら、一番あやふやな形で演奏できてしまうから。

トロンボーン以外の管楽器は指の動きで音が切りかえられる。というか切りかわってしまう。それは躊躇なくなされる。だから、そのように音が処理されそのように次の音が始まることを、奏者は当然のように受け入れる。

しかしトロンボーンの場合は、同じポジションで音が移る際のタンギングやリップスラーのみそうであり、それ以外の大半、次の音へは、粘り気ともいえる「音の顔をした物質」が入りやすい。まるで納豆の糸のよう。

同じようにポルタメントが入れられるのは弦楽器だが、それは弦の上を指で滑らせた場合である。実は弓や指を移弦するだけでなく、同じ弦の上でも新しい指で押さえたり、押さえた指を離すことで音程は変わる。この時は躊躇なく音は変わるのだ。

つまりトロンボーンよりも圧倒的に、瞬時にパキッと音程が変わることが多いのです。

それに比べ我がトロンボーンは、音の移り変わりの大半が切れ味悪くなってしまう楽器。レガートでない場合でも


「実は美しくなく繋がってしまっている」


場合が多いのです。

そのことに一番無頓着になってしまうのがトロンボーン奏者。毎日のことだし、そんなもんだろう、そんな楽器だろう、そんなにおかしいですか?みたいな。とても怖いことにとても気づかず吹いてしまう。


だから、音の形が大事。それはとても大事なのだと思います。

弦楽器のポルタメント奏法より、トロンボーンのそれは音楽的情緒には遠く、コミカルな印象にしかならない。クラリネットの過度なビブラートと同じだと思うから。


N-crafts練習(出られない予定だったが出られた)

posted by take at 23:36| 活動報告

2017年10月28日

シとドの歴史


レッスンしていて出た言葉。

あるフレーズ。八分休符の後八分音符でシ、その次オンビートが半音上のド。

入り方、向かい方は…と考えていて


「もう何百年の間、世界中でシはシだしドはドなんです。シはドにはなれないんです」


沖縄行けず休日に

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2017年10月27日

開拓者になれ!


私たちがいろんな意味で幸せに慣れっこになれるのは、様々な分野での先人たちの開拓があったから。開拓者たちのおかげ、そのフロンティアスピリットのおかげです。間違いない。物質含め、全て開拓の気持ちが生み出してくれたものを有り難く享受している。


全ての人が気質含め、開拓メンタルと共に生きるわけではないと理解した上で……

楽器との表現人生に必要なのは


「開拓する欲求、開拓できる力」


だろう。この開拓者の両手には、工夫という道具が握られているはずだ。

つまり工夫ができない人は開拓者にはなれないし、開拓者になれない人は演奏上においても一庶民となり、様々享受こそすれ、周りの人に求められる存在、未来の幸せを生み出せる、与えられる存在にはなれない。

本当に楽器で、演奏で自己表現したいなら、工夫ができる開拓者になるしか道はない。


N-crafts、鹿児島にて学校コンサート
鹿児島から沖縄へ入る予定を直前断念、楽聖のみんな、ごめん。台風を恨んでね。

posted by take at 15:03| 活動報告

2017年10月26日

合奏こそ


合奏の時こそ、演奏家は解き放たれており、妄想モードであり、自発的であるべきではないだろうか。


吹奏楽コンクール全国大会常連名門高校出身者に聞いた。

「合奏中はみんなどう取り組んでたの?自分のイメージを音にのせることはしていた?」

「いいえ、先生がこうやりなさいということをやっていました」

日本のほとんどの学校がそうであろう。合奏中は先生やトレーナーを信じ、言われたようにやる努力をすることが主眼になっていると想像できる。

教師は教師で、うまく演奏できる方法を教えてあげる、それを経験させてあげる、そのことによって君は音楽が好きになり音楽性も育ち、人間的成長につながるだろうと考えているだろう。

しかし多くの人が見失いがちなこと。楽器で音楽を演奏することの本当の意味は「上手く達者にできる」ことではない。

全ての演奏者に必要なのは、作品に内在する素晴らしい感情を自分の感情として音で表現することだ。感じ、探し、イメージし、そして音にすること。

上手くないと表現できないからまずは上手くなれという考え方はわからなくはない。ただ他人に上手さを求めるというのが、本当にその人の音楽的欲求と向き合っているかどうかは疑問だ。

「うまくやれ」と「ちゃんと音楽をやれ」は違う。本当に必要なのは後者だ。

特に中高の吹奏楽部等では、全員が専門的な職業演奏家になるわけでもない。


合奏の魅力は、一人用とはまた違う素晴らしい作品たちに携われること。つまり、素晴らしい感情に出会えること。そして自分の楽器以外の楽器と共存できること。聞いたり重なったり、会話をしたり混ざったり。

他人からの印象を受けとるのは嬉しいばかりだが、同時に自分こそが、目の前のフレーズに対し豊かなイメージをもち、それを音にしようとする。

合奏こそ、人数分の自己表現の塊になればいい。

そんな演奏の本当の喜びなく合奏に参加しても、他人の作り物に参加している気分になり、修行のように感じたり、音楽的達成感が感じられずやめたくなったりすることもあると思う。

最後はコンクールに代表されがちなメンタル、「勝つこと」という自己表現の喜びとはかけ離れた欲求に向くことになってしまうのではないだろうか。


川越へ、N響定期

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2017年10月25日

お人好し


ある実力派男性俳優の人間的評価がすこぶる高い。それを評する周りの表現として


「知っている人の中で最もお人好しだと思う」


というのがあった。

お人好しと聞くと、悪くはないがマイナスなイメージも持つ人が多いだろう。純粋かもしれないが、あまり賢くなく騙されやすいんじゃないかと。

ただ仕事でも生き方でも、実力のあるお人好しと実力のないお人好しで、実は意味合いが大きく変わってくるのだと思います。

極めてお人好しというのは、毒をも内在する人間の中でも、毒の存在を理解しつつも自らはあまり持たないともいえ、それは周りから称えられる存在になりうるだろう。


お人好しの特徴として四つというのは以下のよう

1.心優しい
2.ポジティブ思考
3.どんなことも断れない
4.他者中心的なものの考え方をする


3はそれこそ実力の有無で変わる。社会からより求められる力がある人ほど、結果断る勇気も持ち合わせることになる。時には怒ることもあるだろうし、時には泣くことも。

それでもお人好しと言われ、周りからは少々バカにされるような一面ももち、ゆえに愛される。


目指せ実力派お人好し。

親の教育自体に実力があったこと、強い希望に向かって迷わず突き進んだこと、そして挫折を味わったこと。これらが不可欠な、人間的生きざまあって初めてたどり着ける境地である。


N響定期

posted by take at 10:34| 活動報告