2017年03月09日

黒パン


帰国の日。フランクフルト空港で「最後のビールを」と。

ヴルストも頼んでシェアしたのですが、付け合わせのようにプレートに乗っていた黒パンが、ドストライクの味で嬉しくなってしまいました。

ホテルの朝食のはどれもまあまあ。黒パンは味薄めのドライ系ばかりで物足りなかった。

これは少しだけウェット、黒パンオリジナルの酸味と旨味が凝縮されたチョー好みの味でした。


ガス入りのミネラルウォーターもですが、日本人の大半は初めて経験した時、拒絶感が強いのでしょう。今回の旅でも、舞台裏ケータリングで用意されてる水、ガス無しの方が売れ行きが良かったです。ムジカーたち、本番前のGeppu防止も意識してでしょうが、僕は平気でがぶ飲みです。

かく言う僕も最初苦手でしたが、直ぐに好きになり、そのうち大好きになり、最後は手放せなくなり、ヨーロッパ在住間はガス入りに黒パンこそが一番の好物に。

あれから年月が経ち、日本でもあちこちで手に入るようになりましたが、このフルークハーフェン黒パンのクオリティは、それなりに探さないと見つからないかもしれない。


ヨーロッパを離れる直前、ドイツの素敵な魅力の方に再び夢中になる一瞬が訪れ、気持ちよく飛び立つことができました。


帰国日

posted by take at 09:20| 活動報告

2017年03月08日

どこで生きていても


ツアーの最終地ケルンに降り立つ。

旅したことはあるが、コンサートは初めて。写真や画像でも見たことがある近代的なホールは、ステージの並びも特徴的。僕はビオラ奏者の真後ろで吹くことに。いつもより臨場感バッチリで聞こえるセカンドバイオリン、ビオラの音の群れに向かって吹くという、特別な経験になった。


夜はベルリン時代の旧友と再会。やはり留学生たちとの会話も楽しく、最終日ともあって、寝床にたどり着いたのは3時になっていた。

日本人としてドイツで生活するのも向き不向きがあるだろうというのは、以前からわかってはいた。

ただ、日本人の苦手な価値観があったとして、許容できるかできないかだけではなく、良いところを見つめ良くないところはある意味無視できるみたいな鈍感力は、特に外国では必要だろう。

それでも長きに渡り生活することにより、だんだん疲れていく部分があるとしたら、やはり個人の生き甲斐が全てを流してしまうくらい湧いてくることは大事だなと。

今回の旅でいろんな人と話してそう感じました。

ただこれは、日本人が暮らしやすい日本でもそうなのでしょう。世界のどこで暮らしていても、生き甲斐こそが、辛さをエネルギーに変えてくれる。

自分の性分が生き甲斐を生み出したい。


N響ケルン公演

posted by take at 19:45| 活動報告

2017年03月07日

美が湧きいずる場所


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ウィーンです。コンツェルトハウスは10年ぶりくらいでしょうか。相変わらず入った瞬間に、ハッとするような美しさ。楽員たちも皆せっせと写真を撮ります。

今回の旅では、まず客席で音だしする機会が多かった。それを経験しながらひとつ気づいたことがあります。

ホールというのは、客席からステージを見た方が、ステージよりホールを見るより空間が大きく感じる。

これは日本のホールでも同様の経験をしながら、気づかなかったことです。

アムステルダムもウィーンも、シンプルな長方形のかなり大きな空間だから余計かもしれない。

考えてみたら、NHKホールでも客席からとステージからというのは、各々の景色は想像と違って見える。頻繁に想像するわけではないが、しかしあらためてイメージすると、現実は違って見える。形、距離感、大きさ。

これはきっと、視界の中の目的として見つめる部分とその範囲が違うから起こる脳の印象なのでしょう。

どんなホールでやる時も、

「客席からどんな姿で、どんな距離感で、どんな大きさで見えているか」

を理解して、ステージに登った方が良い気がしました。


私たちトロンボーンの雛壇の床には、コントラバスのエンドピンの穴が多数。ウィーンフィルの演奏会場である現実感が増します。


ステージにて一音吹く。

僕の音が、美しく豊かな響きをまとい空間に広がる。

ここは、偉大な作曲家たちにより、そして偉大な演奏家たちによって、オーケストラの音楽が生まれる場所なのだとわかる。

何もない無音の空間が、価値ある音たちを発生させていく。

そういう空気であり、見た目であり、箱でなのである。


N響ウィーン公演

posted by take at 01:54| 活動報告

2017年03月06日

PJBEの町


ロンドンは久しぶりです。前回は滞在も短くほとんど記憶に残ってませんが、今回は観光バスなんかも乗ってみて街を高い所から眺めてみました。

東京に近い近代的なテイストを感じます。ほっとするやら、やはり古い町並みの方が好きかなと思ったり、いろんな感情が混ざります。

今回想定外だったのは、食べ物が全て美味しかったこと。こりゃロンドンに怒られますが、なんせ不味いと有名ですし、留学経験者含め皆口をそろえて「美味しくない」と。スープは香水飲んでるみたい、インド料理屋でカレーを食べても味がないとか。

ところが入った店、全て美味しかった。スープから肉、野菜まで。きっとイギリスも変わっていってるんでしょうね。物価の高さは分かりやすいくらい分かりやすい。お金に羽が生えたかと。これは参りますが。


この街をフィリップ・ジョーンズが、ジョン・アイブソンが歩いたのかと思いながら、かなりの距離散歩しました。お年がばれてしまいますが、高校生の時に岡山市民会館で聴いたあのサウンド、何も知らなかった未熟な僕が雷に撃たれたように感動したあの響きが、この町から生まれたのかと思うと。

30数年経ちいろいろ理解できた今でも、ロンドンの町並みが初めて教えてくれるブラスの響きがある。あの名手たちのエレガントな音楽が、ビジュアルになって僕の目の前に広がっていました。


N響ロンドン公演

posted by take at 22:51| 活動報告

2017年03月05日

留学生


今回の旅、それぞれの町で留学生たちの話を聞くのが楽しい。


日本にいる留学経験の無い楽聖たちは、外国で学び生活をしているというだけで「凄い!素晴らしい!カッコいい!」となるのでしょう。

現実は「その通り」です。

言葉も自由に通じ緊張なく暮らせる日本と比べ、強い精神力で、知らない習慣や思想、食べ物や生活環境と向き合うこと自体凄いこと。

日々常に勇気と決断力を要求されるのが留学生活。そこから獲られる豊かな価値観、強い心、世界を知る喜びは本当に素晴らしいし、カッコいい生き方です。


同時に、留学生には常に不安もある。

まず、日常的な不安。どんなに慣れたって、日本よりわからないことはわからない。通じなくてスルーする結果になることも。

それ以上に

「結局、自分はどこでどうやって、何をやっていくのだろう」

という、自分の未来に対する不安は心にあり続けるのでしょう。


「それは日本で楽聖をやっていてもそうです」

そりゃそうでしょうね。ただ留学生は、

そこにい続けたくても叶うかどうか、
日本に帰りたくても帰ってさあどうする、
ヨーロッパの他の場所で勉強を続けるか、
どこで根を張るのが良いのか、
そもそもEU人優先のこの場所で日本人の自分は職を得られるのか、
今交際している人とはこのあとどうなるのか等

日本にいるよりも選択肢が多い上に、何を選んでも結果どうなるのかが想像しにくい。それが多国籍なヨーロッパにいるということ。

その不安は、凄く素晴らしくカッコいい日常に横たわり続ける。


だから強くもなるし、人生の糧をより掴んでいく。

ただ最終的には、日本人として生まれたが外国で暮らしているというエキサイティングな人生を、更に超えていく存在理由

『自分だけの生き甲斐がもてるかどうか』

だと思います。


演奏家なら、何を表現する演奏家になるか。職を得ることは大事で、目を背けてはならないことだが、たとえポストを獲ても、それが外国でも日本でも、「仕事のパーツ」としてだけ存在しようとすれば、それは「上手い演奏家」になればよい。本当に上手ければ、職は手に入るでしょう。

しかし上手い人は何気に多く、価値あるトロンボーン演奏も多い。


じゃあ自分はなんなのか


本当はどんな演奏をしたいのか。表現したいのは技術なのか。

留学生たちは、人の心を揺り動かしたいと思っているのか、実は違うのか。

『パーツになるな』というコピーを見たことがある。

留学生たちと話し、彼らの希望や不安を聞きながら、本当に一番大切な欲求というのを考えさせられる。

日本の弟子たちもだが、この地で戦っている彼らにも、それこそが宿っていることを願ってやまない。


移動日

posted by take at 19:40| 活動報告