2019年08月01日

国王の嘆き


戦乱の時代を生きる国王の嘆き。

有能ゆえに次から次へと城を陥落し、国民から絶大な支持を得る忠臣将軍。国王である自分より英雄視される彼に対する嫉妬に、心が支配されてしまう。


将軍は勇気に溢れ戦略に長けているだけでなく、人間として実直であり、愛する家族を大切にする。国王や国民に対する忠臣であり、信念も判断もぶれない人物。

片や国王は、私利私欲と大義の間で揺れ動いてしまう性格で、結果手に入れるためには人の道から外れてしまう選択をし、ゆえに苦しみ続けるタイプ。


「なぜあやつは人の心を掴めるのだ。魚は釣ればいいし鳥は射ればよい。人の心はどうすれば手に入るのだ?」


手に入れる方法を考えてしまう段階で、もう無理なのだろう。客観的に見ていると状況も理由もよくわかる。

人からの支持や愛は、自分の意思で得られるものではない。自分の生き方に対する通信簿のようにも見えるが、それは自己犠牲とも言える周りへの愛と、道を外れない信念を持ち合わせているかにつきる。


「たしかに王様は善政を努めてきました。しかし独裁による善政はあり得ません」


勇気ある家臣の言葉も、傷つきながら受け止めるのが精一杯。


「しかし私は……(そうするしかなかったのだ)」


言い訳にしかならない心の声から、もう若き日から既に、根本的に判断を間違えてきたことがわかる。

そりゃ国王としての苦しみは、国王になった人間にしかわからないだろう。それでも一人の人間として、一人の人からの信頼と愛、敬意を望むなら、「そうするしかなかった」ではなく「どうしてもそれだけはできなかった」こそが必要だった。

「そうするしかなかった」の積み重ねではなく「どうしてもそれだけはできなかった」こそを繰り返すべきだったのだ。


休日
絶対そうするしかないという唯一というのは、存在しないのかもしれない。

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2019年07月31日

リエクサ日記 その6


「日本人が良くないのは、吹奏楽からスタートしているからだ」

かつてこの意見を声高に言う木管の名手がいた。

僕は「良くない」とまで極端な価値観へと決めつけるつもりはないが、ただ、楽器が上手くなっていくルートというのは、私たちが辿ったものとは違うものがたくさんあり、それにより傾向やスタイルに影響があるのではと、今回のブラスウィークでは考えることが多かった。


世界の名手たちのパフォーマンスを聞いたり、コンクールを聞いたりしながらも感じていたことだが、最後、フィンランド各地から集まったアマチュアのアンサンブルをレッスンしながら、決定的に考え込んでしまった。

彼らは、日本人のように息をたくさん使いしっかり鳴らそうとするのではなく、ある意味凝縮したような限られた息で、とても綺麗に吹いていた。音量はとても小さく音色の変化には乏しいが、しかし金管楽器をとても柔らかく、美しく奏でる。

それが始めて間もないであろう若者だけでなく、何十年も吹いてきた老人も皆そうだった。

おそらく「とにかく吹き込め。そうすれば楽器が良い音になるし、吹けるようになる」ではなく、「美しく吹きなさい。力んだり音が割れたりするほど大きくは吹いてはいけない」との価値観で進んでいるのではないだろうか。

それは息だけでなく、タンギングのスタイルにも当然影響を与えていた。つまり立ち上がりに個性があり、響き自体にも繋がり。


僕は、日本人が吹奏楽から始めたとしても、半年も経たないうちに大ホールでのコンクールでフォルテを吹かなければならないのでなければ、いろんなことが違うのでは?とは考えてきた。

彼らは小さな編成のアンサンブルではあったが、トロンボーンばかりのグループでのウォーミングアップや、バンドのパート練習にてスターウォーズをみても同様の取り組みで、まさしくこの国のスタイルなのだろう。

ただ同様のことは、フィンランドだけでなく、いろんなヨーロッパの演奏家からも伺える印象。

もちろんプロフェッショナルになり、なんならオーケストラプレイヤーになるならもっと大きく、時にはブラスらしい力を表現出来なければならないのは確か。

僕の予想が正しいとして、始めた最初の数年は特に「絶対力むような、割れるような音量まで吹いてはだめ。とにかく美しい音で」との価値観で進み、そこでいろんなことが吹けるようになってから、専門的教育として現実的な大音量のための意識と、吹き方へと向くのだとしたら、本当に日本人の辿り方とは違うとなる。

もしそうだとして、どういうトレーニングをしていくのかは強い関心の対象となる。

プロフェッショナルたちを聞いていても感じる、安定感や見事な技術、音の拡がり等は、もしかしたらそういう辿り方も影響があるのかもしれない。


僕は決して日本人が良くないとか卑下しているのではない。

ただ、素晴らしいものへと完成されていく時間的道筋ということについて、自分の価値観以外にも存在し、それを知ることにより、今後、自分や生徒たちがやるべきことも研究すべきだなあ思うのです。


帰国
結局演奏に関してばかり書いたが、フィンランドでのあらゆる経験は、とても充実しており、予想以上に素晴らしい糧になりました。僕が常に願う、旅の前と後で何かしら変わりたいというのは、運良く達成できたよう。暇な時間なく、楽しくも新鮮。結果喜びと学びの多い旅でした。

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2019年07月30日

リエクサ日記 その5


実は初フィンランドで、いろんなものを見聞きし、飲み食べしたのですが、結局ここに書きたいことは演奏のことはかりで、それだけ収穫の多い旅だったということでご勘弁を。

特に最終日の今日、ヘルシンキはシベリウス公園にて、あのモニュメントと出会い触れられたことは、シベリアンにはたまらないのですが………


演奏が高く評価されるには、特徴の優先順位があるのだと思いました。

実はおさえておくべき第一義は、やはりフレーズの一体感で、短く音を並べただけのものはだめ。そのひと塊が流れることと、どこへ向かって、昇りきり下るか。

テンポ感や、遅くしたり速くしたりのアゴーギグは、実は二の次。

フレーズのつかみかたこそちゃんとすべきで、あとはある意味自由だとすら感じました。


帰国中
リエクサ来たとき最高に気持ちよく、途中半袖でも汗だくくらい暑く、今日は雪散らついてる。なんやねんだが全体と通しては素晴らしく快適。なぜならフィンランドは、自然の空気の中にあり、湖も森も本当に美しかったから。人は優しくブラスウィークはエキサイティング!

posted by take at 23:28| 活動報告

2019年07月29日

リエクサ日記 その4


今日は音楽祭の一環として、フィンランド各地から集まったアマチュア団体のレッスンでした。

僕が挨拶がてら「五木の子守唄」を吹くと、お返しですとフィンランド民謡を演奏してくれた。

その中間部は深淵な短調の世界。突然フィンランドの深い森か目の前に登場し、感動しました。「キートス、キートス(ありがとう)」と、心からのお礼を。


同時間のコンクールの二次を家人が聞きに行き、レポートしてくれました。僕が聞きたがっていたので、行ってくれたのです。


デュダンスにデュテーユが入った四曲は、かなりハード。強靭なスタミナが必要。そんな中興味深い話が。

音がとにかく柔らかく美しいのだが、あるタイミングから突然バテて、精彩を欠いた若者がいたと。僕も一次予選でそのサウンドに素晴らしさを感じた人だったのですが……


日本でもかつて、とにかく音が柔らかく美しいのですがスタミナに問題がある演奏家がいた。早めにバテて、そこから急に音が出なくなる。

あのサウンドは、ある意味理想的なもののひとつ。

ただ若くしてそこに辿り着いているのだが、その楽な奏法の分、スタミナプレーに必要な筋肉が育ちきっていないのだろう。

そういう意味で、若いうちは多少のパワープレーからの柔かさというバランスは必要で、最終的な理想的サウンドへは、それなりに人生の時間と共に辿り着くべきかと。

若者らしいパワーからの筋トレ、しかし硬さや力みは避けられるよう意識。そののち、それを仕上げていく時間の長い旅を。


結果悔やんでいるだろう美音の若者が、諦めることなくなんとかして、スタミナと共に安定と安心を掴んでいけることを祈ります。


リエクサブラスウィーク、レッスン

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2019年07月28日

リエクサ日記 その3


まだレコードを聞いていた頃の思い出。

あの頃から大好きだったシベリウス、グラモフォンはじめレコードジャケットの写真は大抵湖とその周りの森。

今目の前にそれがあり、後れ馳せながらやっと憧れの点と点が線で結ばれた感じ。

木々の印象、陽光と水面のキャラクター、全てがあのジャケットの通り。

シベリウスのジャケットはこれ!とドイツのレコード会社が決めるのも、わかるような北欧を代表する美しき風景。

ここに立てたことも、人生の宿題を終えることのひとつでした。


秘めやかに感動しています。


リエクサブラスウィーク、屋外コンサート

posted by take at 00:00| 活動報告