2020年05月08日

クズの進化

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3日前の夜はカレー、一昨日は参鶏湯、夕べはクスクス、そして今夜は小籠包。全て家人が作ってくれるのですが、正直4夜連続場外ホームラン!!なんです。

で、話を聞いて「そんなん聞いたことないぞ!」と驚いたのは、これらの料理が脈々と繋がっていること。


家人は普段から野菜クズ(写真)を冷凍保存し、特にスープ系に使っている。普通なら捨てるような部分ですが、これがい〜味出すんですよね。

3日前のカレーは籠ってからの初カレー。野菜クズたちはペースト状になって旨味満点の大活躍。久々の家人カレーに、まあ食が進み進み。

で、一昨日の参鶏湯のスープにもクズズは参加。鶏肉の質の良さもあり、いつもびっくりするくらい旨い参鶏湯が更に美味しく、一気飲み一気食いな感じで完食。

そしてなんと!昨日のクスクスのスープ、今日の小籠包の汁(ゼリー状で包まれ蒸される)は、なんとその参鶏湯のスープ入りだと。


そら旨いにきまっとる!!!!!


普通のお店じゃ考えられませんよね。参鶏湯とクスクスと小籠包を出す店なら有り得るかもしれませんが、そんな店あるわけない。

美味しい料理の出汁やスープが、他の料理の味に加わるなんて凄すぎる。

ルーツには野菜クズがいて、そして美味い料理が脈々と受け継がれながら、延々と幸せが広がり続け。

ちょっと聞いたことないパターンだったので、興奮して書いちゃいました。


休日

posted by take at 20:15| 活動報告

2020年05月07日

演奏と温度


オラファー・エリアソンの作品は様々なテイストがあるが、時間の流れが感じられるものが多くみられた。

静止せず動くもの、時間と共に変わるもの、変えるもの、そして一定の時間が記録のように閉じ込められたもの。

たとえば、電車の中に設置した装置が振動と共に生み出した波形が記録されたもの。当然同じものはひとつもなく、それは電車の旅や時間、自然までが作り出した唯一無二であり、かつ閉じ込められたような記録が観るものを旅に誘うよう。

他にも、何万年もの時間によって作られたアイスランドの氷河を大都会の屋外に展示し向き合う人々に悠久のときを提示したり、美術館の広大な空間に太陽を、ニューヨークの真ん中に巨大な滝を登場させたり。


ふと、時間の幅を美術作品にするなら、音楽の演奏はできないか?と考えた。

時間の流れを音楽として表現したものはたくさんある。

そうではなくて、全く同じものが派生しない演奏そのものの動きや流れを、美術の媒体に閉じ込めて表現する。

光のものはある。動きが同じならダンシングサンタもそう。

ただあの指揮者のあの時のあの曲はこういう絵画、こういう建築物、こういう物質みたいな。語り継がれる名演奏とか、自分の演奏なら見てみたいと思う。


そう考えると、演奏の何からそれを抽出し形にするか。

振動の変化もだが、演奏自体がもつ温度は大事だなと思った。

柔らかさや硬さもだが、やはり演奏は様々な温度で繰り広げられるべきだと。


クールなだけの演奏ではだめ。冷ややかさから、穏やかな温もり、そして燃え上がるような熱き炎の激昂へと。


休日

posted by take at 16:57| 活動報告

2020年05月06日

先が見えないこと


もうひとりは若き女優、上白石萠歌さん。

まだ二十歳という若さだが、機知に富んでおり、感想を呟くその言葉のひとつひとつはインスピレーション豊か。聡明な印象です。


「先の見えないことって面白いし、よくわからない未来に思いを馳せるのって凄く楽しいと思う」


一時たりとも同じ完成品にならないようなもの、エリアソンのテイストのひとつか。独特の感性で構築された光の前に立ち、鑑賞者も生む過程のひとりになる作品。それを楽しみながら、彼女の口から自然と出てきた言葉。


コロナと対峙する今、先が見えないというのは楽しいテイストにならないという人も多いだろう。

もちろん彼女の言葉は不幸中の時間を語ったものではないが、そうでないにしてもこうポジティブに望む人と、「先が見えないことは辛い。よくわからない未来には不安しか感じない」という人もいるだろう。


ただ、私たちが人生を振り替えってみて「先が確実だったこと」というのはほぼなくて、幸い努力が実ったとか、不幸にもうまくいかなかったとか、不意に好転したとか、不意にやられたとかばかりで生きている。

でも人間はおめでたいところがあり、不幸の大半を忘れ、なんならそのおかげでとうまく解釈し、結果オーライできている場合がほとんど。

もし先が見えていること、100%に近いくらい想定内のことは実はつまらなく、先の見えないことこそ面白いし、そんなよくわからない未来に思いを馳せるのって凄く楽しいというくらい自分も運命も信じられたら、初めて奇跡が日常の目の前に不意に現れるのだろう。

そう思って生きる人が、マイナスをゼロにし、ゼロをプラスにする力をもっていることも確かだ。


ほら、僕らだって確実にいい音や素晴らしい表現ができたためしはない。信じて面白がって楽しんで、思いを馳せながらこの瞬間マウスピースに吹き込んでるだけだしね。


休日

posted by take at 18:30| 活動報告

2020年05月05日

効率と芸術


オラファーエリアソンは、デンマークコペンハーゲン生まれ、アイスランドの芸術家。

東京都現代美術館の催し、彼の大規模個展『ときに川は橋になる』の特集、日曜美術館のそれは大変インスピレーションに満ちた素晴らしいものだった。現在開催見合せになっているのが、本当に残念。


この番組にゲストで出ていた2人の芸能人たちの言葉で、強く印象に残ったものがありました。


まずは松男貴史さんが、エリアソンの作品の前に立ち尽くし


「効率優先ではまず思いつかないですね。まぁ、ほとんどの芸術ってきっと非効率なものなんじゃないかなと思いますね」


芸術は非効率。

演奏も、その素晴らしさに到達するための時間と労力を「考えてしまう」と、経済や生産性とは兼ね合いが悪く「やめとこか…」となるのかも。

人間にとって必要なものだとわかってはいても、音楽では食べられないからと、音大へ進学するのを反対する親も多い。


私たちは本来、時間や労力に見合う対価を求めがちで、逆に言うとその対価に見合うことをやろうとする。

時代が流れると効率自体も変わるが、結局その価値が変わらないものというのは、人間の本能がいかなる状況でも深く深く極めようとするものだろう。

効率とは結局その程度のものなのだろうし、松尾さんの言う通り、芸術はそんなことを軽く超えてあり続けるのだろう。


というか、あり続けられるものが生めれば、それは誰も何も言えないような絶対的な価値があるということだろう。


休日

posted by take at 17:39| 活動報告

2020年05月04日

丸みとエッジ


どうしてもレガートが機能的なテイストになってしまう。これは、永きに渡り右手のタイミングをピックアップして研究し過ぎたことと、そもそも整然と音が並ぶことに憧れ過ぎたからだろう。

染み込んだことはある程度成果をあげたと思うが、実はもっともっと絶妙な滑らかさでありたい。

トロンボーンでしかない「らしさ」が欲しくなったのだ。


こうなると、立ち上がり含め、音やフレーズがどんな形に聴こえるか(見えるか)が、必要な意識だと思う。

スキルが低いうちは、真っ直ぐ感や四角感を出すのが難しいので、とにかくそれを目指すことが大事。昭和の吹奏楽部でよく言われた「ようかんのように」というのは、たしかに出来るべきだ。

ただ音楽のあらゆる表現となると、いつも同じ形というのは魔物。実はピアニストこそが、常に苦労していることだと思う。


我々管楽器は全ての音を整然と聞こえさせようとすると、どうしてもはっきりとしたエッジの同じ形の音を繋げて並べてしまう。

それが極まるととても巧く聞こえはするが、人間的なニュアンスは限定されたものだけが聞こえることになる。


特にレガートの場合、立ち上がりが少々丸みを帯び、伸びている形も円筒形のような感じられたら、それが優しさや温かさ、まろやかさに繋がる。

ふと魚肉ソーセージが浮かんだが、いいのかよくないのか。

そしてエッジの効いた角柱のような素材と吹き分けて……


なかなかに難しいのだが、やはりイメージ優先で攻めるしかないのだろう。


休日

posted by take at 15:47| 活動報告