2019年01月07日

個性への道筋 その1


個性とは、他の人と比べた特徴を指すのではなく、その人の性分の際立った部分が一定量超え、魅力として強調されていることを言うことのはず。

周りとの比較論ではなく、個人の輝き方を絶対評価したもの。

つまり「他の人と違うことを」「既存にないものを」というのは、個性の確立に必要なプロセスとして、根本的に意識の場所と向きが間違っているのだと思います。

そこを勘違いすることが不毛なだけでなく、自分の性分がどのようなものなのかを理解し、その譲りたくない希望を徹底的に追及するという、本来の個性の確立への道筋がぼやけてしまうことは、最もつまらないことだと言える。

クォリティを上げるにしても、横並び的感覚は見失う危険性の高いものとして認識すべきだし、生徒こそが自分自身の趣向とガッツリ向き合うよう、教育も個人個人隔離された要素が必要。

僕自身の教育スタンスを大いに反省し、これからの生徒一人一人が、まさに独立した姿でその存在が際立つように導きたい。

そして、個性的な彼らの真価こそが輝き、周りから高く評価されるように、レールを作りたい。


休日

posted by take at 22:33| 活動報告

2019年01月06日

シャンシャンです


こんばんは、シャンシャンです。

いや、僕自身最近知ったんですよ。そのうち中国って国へ行かなきゃいけないって。

とーちゃんかーちゃんも本当は中国から借りるかたちで日本に来てるみたいで、僕の意思とは関係なく、二年住んだら子供は中国へ返すんだって言うんだよね。

でもね、周りの人たちが凄く嫌がってるって小耳にはさんだのよ。

いや、まあ、人気者って自覚はあるけどさ、それ以上に僕自身周りの人たちのこともうかなり好きだし。特に飼育員のみんなは、笹くれるし掃除してくれるし。見に来てくれる人も100パー可愛いって言ってくれるしさ。


正直、僕がココ離れたくないんよね。


で、なんか僕のファンだっちゅうトロンボーンのオジサンが、2つシナリオがあるからそうしないかってもちかけてきて、今思案中。


ひとつは、

どうしても帰りたくない僕が、二年の直前になってココから逃亡するって案。で、中国も日本も探しまくるんだけど、結局見つからず、僕は伝説になると。オジサンが言うには、品川区の方でかくまってくれるらしいんだよね。品川区にはあまり笹がないから、笹団子でどうだだって。それって美味しい?


もうひとつは

中国へ運ばれるんだけど、やっぱり脱走して、日本海を泳いで本州を横断してココに帰ってきちゃうと。そこまでして日本がいいのか涙涙で、中国が諦めるって流れだって。なんか「忠犬ハチ公ならぬ、忠パンシャン公作戦だ」ってオジサン言ってた。シャンパンみたいだなあ、あははって笑ってたけど、オジサン頭大分きてるよね。問題は、僕多分泳げないんだよね。


まあいずれにせよ、僕すんごく情わいちゃってるし、帰りたくないなああ、やっぱり帰んなきゃ駄目?


N響オーチャード定期

posted by take at 00:13| 活動報告

2019年01月05日

嬉しき便り


大槌の友人から、NTTのトロンボーンの方が御家族で訪ねてきたとのメールが、写真付きで送られてきました。

昨年白金の丘学園での震災に関する講演をプロデュースしてくださった方。奥様とお嬢さんと、大変仲の良い素敵な御家族。


『大槌の冬らしい北西の冷たい強風の中でしたが、城山からの景色、解体間近の旧役場庁舎、ひょうたん島など夕暮れの大槌をご案内しました!

吉川さんのお声がけで、こうして実際足を運ぶ方がいることが、本当に嬉しく思います。

8年目にはいりましたが、音楽の繋がりは絶えることなく、更に広がりさえあり、これまで音楽と関わってきたことが、これほどありがたいと感じたことはないですね!!』


いやあ、嬉しいですね!今年一番っすね!!5日目ですが。

ワカメのしゃぶしゃぶ他、魚介が最高の季節。皆さんもいかがですかっ!!!


N響練習

posted by take at 18:21| 活動報告

2019年01月04日

小さな革命


宮崎駿さんは、毛沢東の言った「革命の三原則」


若いこと
貧乏であること
無名であること


という言葉を支持しているそうで、故高畑勲氏を評しても創造的な生き方をする人として、同じことを言っている。勿論実際にそうであるだけでなく、そういうメンタルで生きた人ということを言っているのだと思います。

とあるジブリファンの方がそれを知り

「創造的な仕事をするのに、年がいっていて、有名でお金持ちな必要なんて全くないなんて、グッときませんか?」

という意見を書いていた。


お金が無くても無名でも若ければ、それこそが創造的なことができるんだ!頑張れ!!というエールとしては素晴らしいっすね。

ただ、そうでなければ創造的な生き方は無理だ!と断言されてしまうと、


………どうしよう


となってしまう(反論するというより、言わんとすることはわからなくはないので、なんとかそうではない意見をひねり出す感じ)


まず若くないし、貧乏とは言い難いし(ねかちもでもない)、この世界では無名でもなさそうだし……あ、自分です。


プロフェッショナルの世界に求められているのは、どのジャンルにおいても、まずはクォリティだと思う。

宮崎さんの思う仕事=創造的だとして、毛沢東の革命の三原則をなぞらえるということは、彼にとっては、クォリティというより


革命的創造


こそが、やるべきことだと言っているよう。

つまり、プロフェッショナルに求められるクォリティとは、結構違う要素に価値を見ている気がします。

僕も、何がしたいかと問われれば、革命なんて大それた言葉には届かないが、でも、今までの人生の時間ではできなかったところへ到達したいという、小さな革命精神に動かされたことになる。


それは、実は年をとったから思えるのだと思うし、お金がないことに振り回されたり、名前を売りたいと躍起にならなくてすむからでもある。


若かろうが年だろうが、お金だろうが有名無名だろうが、自分の人生に小さな革命を起こすのは、自分の欲望だと思う。


決して悪い欲望ではないのだと信じている。


正月

posted by take at 16:46| 活動報告

2019年01月03日

極まる快感


僕は「明日から〇〇(肉だの魚だの酒だの)が一種類しか食べられないとしたら何?」みたいな話題で盛り上がるのが好きです。

各々が普段理解しきれていない自分を真剣に探し、それを訴えたり、アピールしたり、また他の人が言ったものと戦ったりするのを、自分だけでなく周りがするのを見ているのも楽しくて。飲食の好みなんて、嘘偽りになりようがないだろうし。


残りの人生で、あと一度だけ聞くことができるとしたら、誰の音?誰の演奏?

これを探しはじめると、昨年後半から感じている「いい音はたくさんあるけど、自分にとっても周りにとっても特別な音」までの到達に対し、やはり強い憧れがわくことと向き合うことになります。


バイオリンならあの人、ホルンならあの人、そしてトロンボーンなら……


誰しもが真剣に探すと必ずひとつピックアップできるであろうそんな特別に、自分が発するものこそがなりたい。


クオリティではなく、最も感性に好まれるもの。


食べ物屋でもそうだろう。あれこれ美味しいとこは山のようにあるが、「あと一食だけ食べられるとしたら、どこの何?」みたいな。

あれ?話戻ってる??食と音って同じ立ち位置?


きっと同じくらい、大事で必要で、本能のものなのでしょう。心を喜ばせる舌と耳への感触は、最期は理屈ではなく生理的快感へと。

そう、何が気持ちいいのかは本気で求めないと、凡庸なハイクオリティに留まってしまう。

ある意味断捨離的価値観に到達し、本当に聞きたい唯一無二こそをとの快感へ極まろうと、そんな音との向き合い方か。


正月

posted by take at 15:58| 活動報告