2019年08月06日

力士の筋肉


「大柄の人が好きだがムキムキはあまり」と言うので、「じゃあ関取は?」と聞くと、「ぷよぷよしすぎててちょっと……」とのたまったので、「ちょっと待て!」と。


それは大いなるイメージミスだ、この際、巨漢のアスリートたちの筋肉について正確に理解しよう!!

先生の教育は多岐に渡る。


あの人たちは筋肉の塊だよ。だって考えてごらん。

130キロから230キロなんて力士たち。そんな重いの、鍛えあげられた筋肉無いと動かせるわけないやん!

見た目ぷよぷよ見えるけど、そりゃ大きな身体をまとった脂肪は大量だろうが、その下の筋肉なんて、あらゆるアスリートたちの中でも凄い総量じゃないだろうか。

あんなに重いというだけで相手が自分を動かすのは大変だろうから、大いなる武器ではある。しかし同時に自分も目の前の大重量を動かせなければならないわけで、それは自分の重さだけで為せることではない。

我々か弱い金管ふきなんぞ、彼らのなんぶんの1の筋肉しか持ち合わせてなく、あるとしたら口輪筋くらい。それも喋り過ぎで。


力士たちが物凄い筋トレをし、それはそれは巨大な筋肉を装備しているのは、立派な脂肪に覆われているため見ただけではイメージしにくい。

しかしちょっと考えれば、あらゆるマッソーアスリートの中でも凄い到達点にきている人たちだとわかるだろう。


気合いと根性、あくなき夢への憧れと生き抜く力なくては持ち得ない身体なのだ。


幕内平均体重 161.2キロ
脂肪を除いた体重 108.3キロ

逸の城関の太ももは一般男性の胴以上、97センチもある筋肉の塊とのこと。


力士の人となりのイメージ自体変わりますね。


吹奏楽指導

posted by take at 08:30| 活動報告

2019年08月05日

有益と無駄


無駄なことをすることは大事だと思います。くだらなかったり、生産性ゼロだったり、時間の浪費だったり。

そうやって有益な時間とのコントラストがつくことで、バランスがとれて生きていける。


ただ同時に、自分にとってやったほうが良いことが毎日のルーティンとして楽しくやれ、こなすことにより自分が変わる、そんなことで自分の時間が埋まっていくことこそが大いなる喜びなのではないでしょうか。

もちろん無駄や惰性はなくならないし、意味はあるし大切。

しかしそれは、充実のアイテムのルーティンと成長のためにあるのが望ましい。

有能な人は、無駄な時間の中からも何か見つけ成長しようとしたりする。

なんなら有益なルーティンの中に無駄や惰性がまざってきて、つとめて怠惰な時間へと向かいたくならなくなるのは悪くないですね。

回遊魚じゃないけど、最後は充実した有益と無駄が完全に一体化するとか。


休日
移動時にゲームしてる人が多いのはそういう流れか。ただの暇つぶしではなく、工夫と知恵なのだろう。

posted by take at 07:29| 活動報告

2019年08月04日

きりなき美


今回のフィンランドでの最大の収穫は



美しさにはきりがない



と信じれたことです。

いい音はたくさんあれど、本当に特別な音を最後まで諦めたくないと思ってきたこの一年ですが、その特別さとは「豊かさ」や「響きの大きさ」への憧れの方に特化していました。

美しさというのはある意味個性であり、その人のオリジナルな印象として定まっているようなものだと思っていました。

ただ世の中には「美音」と称えられる特別さというのは確かにあり、まるで飽くなき美を追求し整形を繰り返していく女性のように、美しさはきりのない世界であり、成長していくが如く変化を求めることもできるのではないか?

そう信じはじめたのです。


もしかしたら、はなからそう思っている人が「美音」の主かもしれない。


世の中には「いい音」は山のようにあるけれど、僕が諦めたくないのはただの特別な音ではなく


きりなき美しさへと成長し続ける


そんな音かもしれない。


ブロカート
あぁ、書いてしまった……

posted by take at 15:43| 活動報告

2019年08月03日

怒ったなら抑えよ


「何であれ、怒りから始まったものは、恥にまみれて終わる」


これは………


言葉を失います。ただ………その通りだと思います。


もう一度

「自分の正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから」は、自分を貫けと言っている。

ただ「私は間違っていない、相手が間違ってる」と思った瞬間に、関係改善は閉ざされるという価値観も、はっきりしている。


この二つのアプローチは、私たちが経験する内容で使い分けるものでしょう。

全てにおいて貫くのは間違い。ただ貫くべきときと場合は、迷わず貫く。

全てにおいて相手を尊重するのは間違い。ただ相手の立場に立てたとして、貫くほどの内容ではないとしたら、自分を曲げることもやぶさかではない。


それらが何であれ、我が怒りから始まったとしたら、一度立ち止まって怒りを抑えてから、行動に出よと。

なぜなら我が怒りは、自分の表現を的確にする力を完全に奪うから。


すると、結果恥にまみれて終わる。


怒るのは仕方ないだろう。人間だから。しかし頑張って抑えて、そして冷静に相手の立場と的確な投げ掛けを考えるべきだ。


どうやら怒りにまかせることほど、恥ずかしくうつることはないらしい。


川越へ

posted by take at 20:55| 活動報告

2019年08月02日

やりたいかやりたくないか


ベンジャミン・フランクリンの言葉たちが、妙に響く。


「心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ」


でも、心の底からやりたいことではないこともやらなくてはならないのが、私たちの生活。

ベンジャミンは1700年代を生きたアメリカ人。世界中でずっとそうなんですね。

与えられたことや、やらなければならなくなったことを「だって、やれって言うんだもん」とか「しかたないでしょ、やるしかないんだから」という方向ではなく、自分の趣向のテイストへとメンタルが向くのが大事でしょう。

「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから」という、これまた深く頷くルーズベルトの言葉がある。

この言葉が語るように、何をしたって、相反する二つ以上のやり方があるのでしょう。

つまり「やらなければならないテイスト」のことも、自分の趣向っぽくやれたり、本当に苦行っぽくやれたりする。

選ぶのは自分。

やるはめになったこと含め、全てのことを自分が好むやり方、自分らしいやり方にすれば、いつか心の底からやりたいことで24時間が埋まるようになるのではないだろうか。


フィンランドで聞いた『国立音大の三鉄則』の中に「言い訳は口答え」というのがあった。


ベンジャミンの言葉は、「だって……」から始まる言い訳を、しなくて済む人生の根っこなのだろう。


川越へ
明日はベンジャミンのもう一言、「何であれ、怒りから始まったものは、恥にまみれて終わる」を。

posted by take at 11:46| 活動報告