2018年02月10日

機上の小さな奇跡


高松の朝、どんよりとした雲と雨の音に迎えられた。

ホテルを出て小雨に濡れながらタクシーに。空港に着いた頃には、浴びたくないほどの雨がバラバラという音を放ちながら降りしきっていた。



離陸後、間もなく眠ってしまう。


それなりに眠っていたよう、「……降下をはじめます」というアナウンスで目が覚める。

寝ぼけた眼で窓の外を見る。いつもは通路側をとるのだが、今回は進路方向左の窓際だった。


……雪?


覚醒しない頭にとんちんかんな言葉が浮かんだ。視界の眼下は一面真っ白なじゅうたんに覆われており、それが広大な積雪のパノラマに見えたのだ。

美しいスカイブルーの下、雲が下界を覆い尽くしているのだと直ぐにわかったが、地平線水平線ならぬ空平線の彼方まで、そして視界の左右の全てに美白のじゅうたんが敷き詰められている。そんな雪国の白風景を凌駕するインパクトに、僕の心が小さく震えた。



き、綺麗だ……



飛行機は下がっていく。

青い空とは距離をおき、雲のじゅうたんにゆっくりと寄り添っていく。羽毛布団より柔らかいであろう、真っ白なフィールドに溶け入っていくように沈む機体。そのまま全身包まれていく。


もしかしたら、雲の下は暗くて雨だったりするんだろうか……


間をおかずして日本の大地が現れる。雲はさほどの厚さではなかったよう。

それもあり地表は晴れているようなカラーにも見え、少なからずほっとする。


再び、驚きの景色が眼前に現れる。

目線の遠くには、低い位置に雲海のようなエリアが見える。彼方まで続く天上の雲とその下に雲海。その二層の間に富士山が挟まれている。

雲海からそびえ立つ富士は、その山頂を雲のじゅうたんへと突っ込んでいる。幻想的な美しい煙から突き出た山は、その頭に天上全てをしたがえているようだ。


たまには窓際もいいなあ。


ヨーロッパ往復の際、二度と見られないだろうと思うような幻想的な景色に感動したことが何度かあった。

ただ、自由度の高い通路側を選ぶようになって久しい僕は、一期一会を人生の糧にするなら、自由ばかりが得じゃないなあと小さく反省。


飛行機は、人工的で未来テイストとも言える、直線に覆われた硬質な都市に降りていく。

夢世界から現実のフィールドへとランディングした瞬間、日常の時間へ連れ戻された気がした。


ただ、ちょっぴりいつもと違う気分。


機上の時間が、僕の中の何かを、ほんの少しだけ変えた気がしたのです。


帰京

posted by take at 14:44| 活動報告

2018年02月09日

あぁ有情 その五


なぜ痩せぬ 口ほど動くと すぐ痩せる

忘れてた 気づいたことも 忘れたい

我が職場 垣根はないが 溝はある

違うけど 社長が言うから そうですね

急ぐなよ 無理をするなよ いつ出来る?

飲みません 個人情報 喋るから

ワイシャツに 付いた朱肉に 飛ぶ皮肉

痩せるツボ 脂肪が邪魔し 探せない

ケンカして わかった妻の 記憶力

その昔 口説いた結果の 自己責任

子はカスガイ 女房タフガイ 俺疎外

君想い 十年後の今 君重い

リストラで 冬のアナタと 妻がいう

あのボトル まだあるはずの 店がない

まかしとけ きっと誰かが やるだろう

ぽっちゃり系 いやいや君は うっちゃり系

クマがでた 里でた街でた 目にもでた

大丈夫 君ならやれる 別のこと

つい癖で 同窓会でも 鯖をよむ


高松一高レッスン

posted by take at 18:14| 活動報告

2018年02月08日

お側にお蕎麦を

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麺好き日本人にとって、蕎麦との距離感は近いもんです。

電車の駅、構内や改札外等には、立ち食いがある駅の方が多いでしょう。

町を歩いても、直ぐに遭遇できたりする。住宅街で商店が少ない新馬場の我が近所でも、三軒あったりする。


世田谷美術館に「パリジェンヌ展」を観に行くために、千歳船橋、愛称ちとふなに降り立ちました。


寒いし、温かい蕎麦食べたいなあ


僕の希望に家人が調べてくれます。「よさそうな店あるよ」とのことで、駅近くの『一仁』へ。

ここがクリーンヒットどころか、9回裏ツーアウトツーストライクからの逆転場外満塁ホームラン級の御味(味ではない。御味だ)で、本当に幸せになりました。


温かい蕎麦と小せいろを。どちらのつゆも見事な御味。うま味、バランス共に素晴らしく、いつまででも味わっていたいもの。

何割とはめいうってないですが、八割以上ではあろう蕎麦は、香り豊かで、食感もつるりざらりのバランスがこれまた絶妙。

思わず「大抵の店がこうはいかないし、場合によっては冴えなさ過ぎるのあるけど、そこの店主がこの蕎麦食べたらなんて思うんだろう」と呟いてしまう。

そう感じるほど、日常美味しくいただいている蕎麦たちの中でも、群を抜いていると思ったのでした。


いいなあ、この店、うちの近所にあったらなあ。


贅沢ですかね。絶品寿司屋と絶品イタリアンに、絶品ケーキ屋さんがあるだけ幸せか。

でも蕎麦だしなあ。食べたくなる頻度高いし、近所にあってくれたら、週に何回も通うだろうなああ嗚呼。

幸せな気分で、おフランス女性の歴史をたどる時間へと旅たてた、そんな午後のひとときとなりました。


休日

posted by take at 08:40| 活動報告

2018年02月07日

嬉しい……


今日はですね、我が生徒たちを物凄く自慢させてください。


試験だったのですが、皆、本当に素晴らしい演奏だったのです。

実は中には、18年間の東邦試験人生で初、満点を付けた演奏者もいました。

東邦では、金管と打楽器を全員聞くことになっている。どんなに素晴らしくても95点しか付けたことがなかったが、初めて100点を。

デュティーユだったのですが、もう一流演奏家の霊感に充ちたパフォーマンスのようだったから。


その人だけでなく、トロンボーンの楽聖は皆、本当に上手かったし音楽的に洗練されてきた。

もちろん各々に課題はあり、何も問題がないわけではない。しかし、今年度彼らが、お互いに刺激し合い、高い理想を目指し努力したことは確かだ。


そんな彼らのアンサンブルのコンサートが、今月23日、6時半から川口リリアである。

本当に一人でも多くの人に聞いてもらいたい。トロンボーンと音楽の魅力を高い次元で伝えられるコミュニティになったし、若者たちのポテンシャルは開花しつつある。そんな確信が今の僕にははっきりとあります。


我が生徒の過大評価、みっともない手前味噌では、決してありません。


川越へ
コンサートには、沖縄県芸の楽聖もゲスト参加します。

posted by take at 19:59| 活動報告

2018年02月06日

派生の現実


誰しも、自分の演奏は好意的に受け止めてもらいたいでしょう。それは自分の表現に対する賛辞の所望とも言える。

表現をするということは、快感だったり、ストレスが溜まらないようにする必要不可欠な本能的取り組みだったりする。相手もいて、表現させてもらえる場所というのは、人間社会のコミュニティとしては、サービスフィールドを与えられているとも言える。

自分の表現、普段は言葉だったり態度だったり。これらは実は「自分が伝えたいこと」とも同意語だと思う。

つまり、人間には自分の考えを伝える快感や必要性があり、その相手になってくれる人は有難い存在だとも言える。


実は演奏も同じ。それは表現させてもらえる快感であり、伝えさせてもらえる相手がいるなら、こんなに有難い存在はない。


この伝えたいこと。

実は、自分の中にあるもの以上のことが出てくることはあり得ないのだと思います。

たとえば、自分は5伝えたいのだとして、伝え方が上手かったり、相手の状態にも恵まれていれば、運良く5伝わることもあるでしょう。

伝わりゃ御の字ですね。場合によっては4か3しか伝わらない。いや全く伝わらなかったり、不快として受け止められることもあるかもしれない。

ただ、ここではっきり理解したいのは、5を伝えようとして、6も7も伝わるということはあり得ないということ。

演奏も、自分が思い描いている伝えたい印象以上に素晴らしく伝わるということ無いということ。


で、演奏する人たち、実際には何がどの程度伝わるという希望をもっているのだろうか。

もしかしたら、自分はさほどの内容しか心に描いてないのに、素晴らしく感じて欲しいと、あまりに現実的ではない高望みをしてはいないだろうか。

もしこの高望みをしているとして、そこにあるメンタルの現実としては

「とにかくさらってみた。とにかく吹いてみる。凄くいいと思ってもらえるといいなあ」

なんていう、無理難題な希望なのだと思う。


自分の伝えたいこと以上に素晴らしいことが、不意に派生することはない。無理難題は無理なんだい!!


名曲アルバム収録、川越へ

posted by take at 19:33| 活動報告