2018年02月18日

増量加減


皆さん、大盛りって店の方で適当に増やしてると思います?

普通盛りが大体量が決まってて、そこにその時の気分で少し増やしたり、がっつり増やしたり。

もしかしたらそんな「集中力欠如気分屋気まぐれオレ流店主」のいる店もあるかもしれませんが、大体は決めてると思うんですよね。

皆さんも、そういうイメージですよね。


讃岐うどんの場合、小がひと玉、大がふた玉、その上が三玉等、10割増しの店が多く、ある意味とても分かりやすいんです。

レストランとかで「ライス大盛り」なんて頼むと、五割増し、1.5倍くらいかなあというイメージがあります。

二割、三割、四割増しとかの店もあるのかもしれませんが、少ないんじゃないですかね。よそう方はかなり面倒くさいだろうし、仕込みの量も計算しにくい。


大体大盛りって、1.5倍か2倍なんじゃないかというイメージがあります。五進法な感じ。


以上の話、全てフェルマータに言えることだと思います、実は。

増えるマータの説得力の話です。


室内合奏団、NTTレッスン


posted by take at 10:45| 活動報告

2018年02月17日

祝福の日


結婚式の日が晴れているのは、本人たちも親族もとにかくほっとし嬉しいものだろうが、参列する身としてもとても喜ばしい。

もちろん天候がどうであれめでたいことには変わらないのだが、当人たちには長い時間と労力をかけての記念の日である。スカイブルーの下、ガーデンでの祝福も喜びに拍車がかかるだろうし、正装した多くの招待客も雨には濡れたくないだろう。


講師として大学に残り、長く共に研究と学びを続けてきた生徒の結婚式。晴れやかな空が、祝福の色を式場に振りかけてくる。


選んだ人はとても優しそうな方。彼女の御両親の笑顔も印象的だし、僕もなんだか安心する。

音楽とは関係のない業界の人なので、生活も大きく変わることだろう。

ただ様々共有してきた経験、被災地にも一緒に行き、その価値と魅力は充分に心と身体に染み込んでいることだろう。

できる範囲で、演ずること、伝えること、学ぶことを続けて、彩り豊かな生活を送っていってほしい。


年月を共にした仲間たちも、楽聖時代よりより正確に理解した彼女の人間性を好意をもって見つめながら、今日のよき日に感慨深い表情で祝福している。

僕にとっては、いろんな意味で嬉しいばかりだ。


桃子、末永く幸せに。


結婚式

posted by take at 09:28| 活動報告

2018年02月16日

道具と納得


昨日の続きのような道具話ですが……


広くシェアを得るタイプの道具にはいくつかのパターンがあると思います。

とにかく懐の深い、いろんなスタイルのニーズに高い次元で応えられるもの。アプローチに様々な趣味、癖があっても、そのポテンシャルが包み込むように受け止めてくれ、開拓欲、満足感と共に長く付き合えるもの。


凄くクオリティは高いが、利用者のアプローチを限定するもの。楽器なら、この楽器にはこのマウスピースでなくてはならない、こういう結果が特徴でそのためにこういうやり方で取り組むべきみたいな。


ふと飲み屋が頭に浮かびました。

個室ばかりなんてのはひとつの極まりでしょう。店員も最小限しかコミュニケーションとらないから、利用者が好きなよーに、利用したいよーうに使ってくれと。深刻よし、ラブラブよし、騒いで騒いで楽しくなるのもどーぞみたいな。

方や、料理は美味しいしお酒もいいのがあるが、大将の雰囲気を理解して居合わせなければならないとか、また女将さんがテーブルに来てずっと話を聞くことになるとか。

うちの近所にもあるんです。女将さんの距離感の近い話、彼女のこだわりや、世話焼き風話を聞くのが好きなのだろう客でいっぱいだった。僕は趣味に合わず一回行って二回目はないのですが。

あー、直ぐに夜部門に脱線しますね。楽器に戻ります。


楽聖たちには、実は道具にはそんなパターンがあることも知っておいてほしい。悩みの持続ではなく、欲求こそがふくらんでいくような道具を選ぶべく、最低限の知識と、人間と道具の現実を理解していってほしい。

僕はとにかく自分のカラーを出したがるので前者の方がいいのですが、もう少し具体的に、リスクを感じるパターンを挙げてみたい。

発音の仕方が限定されるもの。はっきりつきたい、柔らかくつきたい等のバリエーション欲に対し「こうつかなければ音がでない感」が強いもの。

音色のバリエーションが少ないもの。いつも綺麗、暗くならない、テンションが上がらないし下がらない、広がるばっかり、まとまるばっかり。 荒い意見だが、荒くならない、汚くならない。


アプローチの限定されたスタンスに対して自分がコントロールしきれて、バラエティーな感情表現ができるなら、全く問題ないどころか素晴らしい。

旧東側の弦楽器名手のように、日本なら音大生も使わないような楽器で世界が涙するような音を出す演奏家、そんな人間の実力が道具の限界を凌駕するなんていう素晴らし過ぎる可能性も、芸術の世界にはあったりする。


しかし、自分は感情的起伏と生きているのに、常に道具に合わせなければならないような気分になる、それが出来ないのは自分のせいだとだけ感じながら、ウィークポイントと付き合い続けるような道具なら、必ずしも合っているわけではないのだと思う。

未経験、更に自虐的な性格から、現実を知らず悩んでいるとしたら、やはり新しい一歩が必要になってくる。

こんなアプローチも生徒と共有し、教師として投げ掛ける必要性を感じはじめています。


休日

posted by take at 18:15| 活動報告

2018年02月15日

原因へのアプローチ


マウスピースや楽器は、音楽を表現する道具でしかない。

だから音楽的成功も失敗も本来は自分の中にしかないわけで、道具にいろんなことを委ねすぎてあれこれ変える、それを長きに渡って続け、結局選びきれず満足できずというのは、あまり得策な向き合い方ではないと思います。

平たく書くと、うまくいかないこと、満足できないことを道具のせいにし続けるというパターン。


ただこの真逆、マウスピースにも楽器にも無頓着で、うまくいかないのは全て自分のせいだと考えるのも、自分のウィークポイントの打破を邪魔する原因になりかねない。


道具のせい、自分のせい。このふたつが両極にあるパターンだとしたら、この観点でもその中間、センターにいる必要性を感じる。


オーケストラの現場でもそうだが、たとえば音が合わなかった時、言い訳をしなければならないフランス人気質のように「自分には問題はない、周りが悪い」と言い切るのは、日本人的にはうまくいかないだろう。

しかし常に「自分が悪い」と考えたり、そう表明したりする(日本ではこちらが受け入れられる)のも、あまり良いとは思えないのです。

たとえ自分に不安があったとしても、本当の原因は違うところにある可能性もある。


大事なことは、原因の解明から理解が「正確である」ということだと思う。

不具合の原因が正確に理解できて、初めて素晴らしさの要因もわかるはずなのです。

そこを何でも「自分が悪い」「努力が足りない」としてしまうと、魅力や感動、実力や正義の本当の原因もわかることができない。

この正確な理解ができるようになるためには、たとえば道具の傾向、そのいくつかはやはり知っている必要性もある。



常に道具のせいにし無い物ねだり的に探し続けるのは問題だが、なんでも自分のせいにし本当の原因を自分以外に探そうとしないのも、自分がすっきりしながら前進することの邪魔になる。

バランス良くセンターにいるというのは、正確に道具のせいにしたり、正確に自分のせいにする、その見極めができるということだろう。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 22:08| 活動報告

2018年02月14日

イカす万℃天国

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ある日がヤギなら、この日はイカだ。


「お前は沖縄を楽しみすぎている」という批判を浴びながら、その手を弛めない食いしん坊万歳風五十二歳だが、「いか汁が飲みたい」という我が儘リクエストに、優しいうちボンちゅう真紀子さんが応えてくれた。

彼女お勧め、美栄橋の『花咲』にて、真っ黒なまいう〜汁を楽しもうという計画。


あら、メニューには、町なかでその名前を見て気になっていた「どぅる天」があるではないか。さっそくいただこう。

「どぅる天とは、伝統料理ドゥルワカシーに衣を付けて揚げ天ぷらにしたものです。那覇市の料理店で誕生したといわれており、その後沖縄県各地の料理店でも提供されるようになりました。田芋に豚肉、にんじん、かまぼこ、しいたけ、片栗粉で練り込みかつお出汁で味付けして揚げたもの」

どぅるというのは泥のこと(又吉君)らしい。見た目の色か。

そんな見た目に反して、ねっとり食感は味わい深く、なかなかに美味しいぢゃああーりませんか。(^∇^)

おっ!!\(◎o◎)/、なんと「イカスミソーミンちゃんぷるー」があるではないかっ!!

これはもうアホみたいに上手いに決まっている。イカスミもソーミンちゃんぷるーも大好物なわけで、こりゃ最強のマリアージュ。

言葉もなく感動しながら泡盛とちゃんぷるーを頬張り喋くりまくっていると(ん?)、遂にやってきました、いか汁(いか墨汁)が。待ってました!!

ゴクッ……

もう、なんということでしょう(ビホアアフタ風)。腹黒くない僕のお腹が真っ黒になるような色なのに、これぞ旨味の極み。まいうっしもな黒。ブラックコーヒーもびっくり仰天だ。

海を泳ぎまくったイカの生きざま、イカざまとでも言おうか、墨に凝縮からの我が口に。彼らの人生(イカ生)をまんまいただいているようだ。


又吉君は今日も「泡盛に合う」と何度ものたまったので、僕は仕方なく、ぐぴぐぴぐぴぐぴぐぴぐぴぴ♪

もういろんな度数が上がりまくり。イカ墨が一万度の幸せを体内にもたらした。イカスミバン℃天国、イカ天以外のなにものでもないブラックナイト。

夜空も口の周りも真っ黒けっけになった頃、再び生まれたてのヤギみたいな足取りで国際通りを歩く、おめでたい僕がいた。

なん黒ないさー♪♪♪


沖縄県芸レッスン

posted by take at 18:17| 活動報告