2018年11月15日

ノセダ賛


ノセダがやはり凄く、そして素晴らしい。

2012年から思っていることだが、あんなに興奮して、そしてあんなにきちんと振れることは驚愕でしかない。

右脳と左脳の両方を、どちらを優先するわけでなく、分けてどちらもフル稼働させることができることの特別さ。


とにかく演奏はテンションが高い。そしてそれが嫌ではない。客席からの声では、オケのサウンドも荒れることなく、それどころかとても良い音だと。

ストラビンスキーやマーラーなんか、とても良さそう。もっと共演してみたい。


非日常の瞬間が多いことこそに価値を感じるということは、普段のN響の素晴らしいやり口、音の立ち上がりや瞬間の数々が、定番の枠にはまっているとも言える。それが充分に価値ある創作だと知っていても。


特別な情熱でありたく、それを音に込め感じてもらいたい。その強き思いで完成度を目指す人というのは、やはり賢いだけではない、愛と情熱が混ざり一体化したような強い感情の塊の持ち主か。


音楽はやはり素晴らしく、それを作り得た人間は、真に見事な生き物である。


川越へ、N響定期

posted by take at 11:27| 活動報告

2018年11月14日

まとめる


人生の時間って、あらゆることをまとめてひとつにしていく時間なんだなあと思うようになっています。


僕なら

僕の考え方、僕の家族、僕の生活ペース、睡眠や食事、お酒、コミュニケーション、僕の教育、アマオケ、被災地との向き合い方……


と、僕の音楽、トロンボーン、音が全て繋がりひとつになる。


僕の日常と、全ての経験がひとつにまとまり、それが吉川武典として生きていくという現象になる。

そこを目指して、歩んでいる時間なんだなあと思うのです。


N響定期

posted by take at 11:04| 活動報告

2018年11月13日

センスと研究


音楽を演奏するために、しなければならない研究(勉強)、知識の修得はあると思う。

でも、実際練習したり演奏したりするときには、その研究や知識は、あくまでテクニックとして使うべきで、最も柱に据えて利用しなければならないのはセンス(音楽性)だと思う。

そういう意味で、研究や知識で表現しようとするのは、音楽をやるプロセスとしては間違っているのだと思います。

素晴らしい演奏家、指揮者は、勉強で表現しているのではなく、自分のセンスで表現したいものをよりきちんと実現させるためのテクニックを研究している、知識を得ようとしているだけ。

何よりも大切なのはセンスであり、完成度に対する貪欲さだけ。それに尽きると思います。


センスが無ければ研究もしない人は論外として、そういう意味で演奏がうまくいってない人は、表現に対するセンスが無いか、あっても理想が低いかになるのでしょう。


ただ日本人は、勉強してる人を良しとしがちな印象で、センスがないけど研究でなんとかしようという人もいますが、結局あまり心に響きません。


最後は生き方も含めて、音楽家らしいムード、それはファンタジーに尽きると思うのですが、そんなセンスこそが、人から求められる演奏を生み出すのだと思います。


N響練習、レッスン

posted by take at 20:30| 活動報告

2018年11月12日

ノセダ上陸2018


マエストロ・ノセダが2012年、2015年に引き続き登壇。練習から楽しくてしょうがない。

共演する度に毎日ブログのネタがノセダ。実はそんなマエストロは彼だけで

「吉川さん、好きなんでしょ」

と黒金君に突っ込まれても、「いや、好きっちゅうか嫌いじゃないわけで……」と、初々しいおっさんをやってしまっているくらい意識してしまう。

先週のプロコフィエフは降り番だったので、今日からのラフマニノフのシンフォニックダンスをどう熱々にしてしまうのかが、もう数日前から楽しみでしょうがなかった。


年齢を重ねていって、少しは熱量ダウンになってるかと思いきや、まるで変わらず。相変わらず10時01分には大炎上の素晴らしい火柱。

顔は相変わらずカートゥーンのアニメであり、トムとジェリーとノセダ、ミニョンとノセダの大冒険、ミスター・インクレノセダ、ディズニーならファンタジアならぬノセダジア、実写版ならゴーストノセダーズにも出演していた。


しかし、練習の内容、早口とはいえ指示の無駄のなさ、そして耳の精度、何よりリズムのキレやファンタジックな響きは見事であり、やはり素晴らしい音楽家としてかっこいい存在である。

彼は具体的に演奏法も指示するが、実はこちらがそれを意識しつつも更なるクリエィトなイマジネーションを瞬時に発動させながら音を出していくという、理想のプレイななっている。

幻想的な瞬間が多いということは、イコール非日常が多いということであり、それこそが聴衆のみならず我々オケマンも切望すること。


久しぶりに、懐かしくも嬉しくなってしまう巨匠と呼んでもよい指揮者との共演になっています。


N響練習

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2018年11月11日

あの頃に


あの頃に戻りたい……


実は、そう考えたことはほとんどなく今まで生きてきた。学生時代も社会へ出てからも。

高校生の時に中学生に戻りたいとか、大学生の時に高校生にとか、二十代に、三十代に、とにかく若い頃に戻りたいとは、正直思わず生きてきた。年をとったことは仕方ないし、逆に今だからわかることやできること、なくなった不安もあるわけで。

だから年をとって身体はじめへたっていることはあっても、


ま、いっか……今で


と受け入れてきた感じ。

たとえば言動で失敗することがあっても、する前に戻りたいとは思わなかった。結局反省のタイミングなければ、いずれやらかしただろうから。



今日は朝から、リップルの練習で高校生たちとあれこれと向き合った。

カバレリアルスティカーナ、アイーダの凱旋行進曲の弦分奏。昼食はトロンボーンパートとの質問タイムも兼ねて。春の猟犬、希望の彼方への合奏。アイーダの合奏。トロンボーンアンサンブルによるア・ソング・フォー・ジャパンのレッスン。

全てを終え、夜のブロカートの合奏に向かう田園都市線のホームにて、人生初ではないだろうか、ふとある思いが沸いてきた。


高校生に戻ってみたいなあ


正確にいうと、物凄く、どうしてもというわけではなく、戻ってもう一度経験することに、ほんのり憧れたのです。


長時間に渡って投げた言葉、変わる音、演奏は、彼らに新鮮な快感を与えられた実感があった。

そんなタイミング、自分の記憶を妄想するように思い出すと、トロンボーンにおいても音楽そのものにおいても、人間関係においても、新しい出会いから得られる喜びは、これからも先も生きていくことのへ期待、希望が溢れてくるものであり、何より


先の人生が、なんだか楽しみだ


と思えるようだった。まさに、大人の階段を登る喜び。

もちろん不安もあったが、僕にとっては楽観が覆い隠してくれたし、ひとつづつ不安を克服していくことも、実は快感に繋がっていた。


彼らが素晴らしい若者たちだということも当然ある。

そんな彼らの瞳の奥には、明らかに生きていきたいという喜びが隠れておリ、そんなたくさんの両目と眼を合わせるうちに、僕の憧れが吸い寄せられるように、心の底から沸き上がってきたのでした。


リップル、ブロカート

posted by take at 14:47| 活動報告