2017年03月24日

天ぷらリアン


近所にて、またいい店見つけました。食材、味、接客とても良く、値段も凄くは高くない。お客さんも、店の雰囲気に合った落ち着いた大人たち。

「いつもと違う店を」と普段はスルーしている路地に入っていくと、奥にありました。たまには新規開拓、新道歩拓は大事ですね。

北陸の幸、刺身に天ぷら焼き魚、そして日本酒のい〜い感じを楽しみました。


おっと!この時期、ちゃんとメニューも熟読しないと、気がつくとアレを食べそびれて季節が過ぎることに。


『春野菜の天ぷら』


僕は専門店で頻繁に楽しむほどではないが、野菜や魚の天ぷらは好物。この店では、『ホタルイカと春野菜の天ぷら』となってます。こりゃ食べない理由も哲学も、食べざる法律も不安も何もない。


で、天ぷら通は「天つゆではなく塩で」とのたまったりするが、僕には二つの味どちらかを選ぶことができない。

いい店はもちろん厳選された塩を用意するが、当然天つゆも吟味され尽くした絶妙な味に仕上げてくる。食材は命、揚げっぷりは魂だが、天つゆはそれらを生かすか殺すか。当然、プライドをかけて作ってくる。

そんな天つゆはフワッと広がる出汁の香りが既に素敵で、食欲も一気にそそられる。


大好物のふきのとうを軽く塩に付けて、サクッという食感にアドレナリながら歯を入れる。大人のえぐみと品のよい塩のコラボレーションがたまらない。

ふきのとうの魅力をできる限り満喫したいし、一気に食べちゃうのはもったいなく、半分くらいになった残りを軽く天つゆに浸けてみる。浸けすぎてフニャフニャするのもなんなので、半分くらい浸し再び歯を入れる。

いやあ、塩とはまた違うコラボ。一口目から更にえぐみへの愛が高まる。

う〜ん、これでなくなってしまうのも残念すぎるもったいなさ。残りひとかけくらい残し、もう一度塩へ。


いいかもしれません、塩→天つゆ→塩。


いい店といい野菜、いい職人魂を満喫するには、浮気というわけではなく、二つの真理を交互する。そんな夜の楽しみ方が大人な感じ。

純米あればなおよろし。


N響練習

posted by take at 18:21| 活動報告

2017年03月23日

向かってなんぼ


コース料理の難しさという話を以前書きました。これは義母から教わったこと。


「コース料理はメインディッシュが一番美味しく食べられなければならないのよ」


深く考察すると、なんと難易度の高いことか。

前菜、サラダ、スープ、パン、魚料理、肉料理、デザート。

もちろんメインは肉料理だが、それを美味しくではなく「一番美味しく」なのだ。

じゃあ不味いものから始め徐々に美味しくしていけば?なんて考えるが、当然そんな話じゃありません。不味いもん食べても、ディミヌェンドすることはあってもクレッシェンドすることはない。

「だから、最初から塩分含め濃い味付けはありえないのよ」

義母の言葉は府に落ちすぎる。

ただもうひとつ問題が。

お腹が一杯になっていくのである。空腹は最高の調味料なのだから、実は前菜を一番美味しく感じるように身体はなっている。様々な味を経験し、上乗せし、色足しをし、そして満腹への満足値は上昇していく。

神業に近い。それを食べると逆にどんどんお腹が空いていくとか、物足りなくなっていくとか、そんなあり得ないことが起こるなら、まだメイン最高は容易になる。


演奏もそうだ。

最初から印象が悪くスタートするわけにはいかない。後で良くなっても、特とは言えない。

しかし名曲であればあるほど積み重ねた時間、その後半のどこかで、自然と最高の感動が訪れるように作られている。

演奏が始まる前は空腹ならぬ空耳であり空心。そこに音と音楽の印象を、まさに「時間をかけて」積み足してていく。

最初から印象深く心が揺さぶられたとして、それが持続し、頂点でより感動するのだろうか?

だからといって、淡白にスタートして、それは時間の歓喜の積み重ねとして成立するのか?

ひとつ言えるのは


「だから、最初から最高の興奮はあり得ないのよ」


最高の興奮をずっと続けても、コース音楽を聞いている人はただ飽きていくか、疲れていくだけだろう。

そこには印象的な琴線への揺さぶりはあるかもしれないが、流れていく時間の魅力は、実は薄く薄ーくなっているのだと思います。

だから、最初からフンフン鼻息荒いなんてのはセンスは良くないのだろう。音も音楽もコース料理の極意も


『向かってなんぼ』


である。


クリニック
人生もかくありたいものです。

posted by take at 18:53| 活動報告

2017年03月22日

アンテイカン!!!!!


生半可じゃない安定感が欲しいと思い始めました。

ということは、更に動かない場所を増やし、力強く支える部署が必要なのでしょう。

もっとちゃんとしたイメージをもたないといけない。


クリニック

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2017年03月21日

人生後半


先日、ある転職話を聞いた。

時間をかけて、自分の職場に対する疑問が膨らんでいったようだ。

「年輩の上司に相談した時、自分は定年近いからもう何事もないよう過ぎればいいだけって発言聞いて、気持ちが決まりました」

問題意識強く、理想があり意欲に溢れているほど、若者はこの手の発言には心から失望するだろう。いろんな場面で聞くこともあるタイプの発言だし、本人が冗談のつもりで言ったとしても、実は部下たちに内在している責任感を障ってしまうのだと思います。

KYにならないように「ですよね。長い間頑張ってこられましたもんね」なんて反応してても、大きく軽蔑されていることもあるだろう。

つまり、してはいけない発言のひとつだろう。


若者にエールを贈りつつも

「気持ちはわかるよ。ただその人自身が気の毒だね。本当は60才の定年時、今の人たちはまだまだ働ける身体と頭なわけで、最後まで意欲わくように仕事をし、自分も周りも惜しむように終われるのが理想。やりがいもなくただ時間が過ぎればいいって、職場のせいであれ本人のせいであれ、そんな気分で終わるその人が可愛そうだよ」

と言っていた。

「そう考えればそうですね」


人生の後半は、若い時にあった不安は減り、丁寧に身の丈に合った生き方をすれば、それなりに安定した時間は流れる。そう定めてしまえば、小市民的な(懐かしい)感覚で安気に暮らしていける。

ただ何事も終わり方は重要であり、定年後の生き方含め、早期の失速は後々響く気がする。

最後まで幸せに生ききるためには、自分の実力の頂点も現実的だが、意欲の頂点の持っていき方、周りに対する表現に求められる品性の鍛練は、若い頃より困難を極める。

いずれにせよ、感謝しながら開拓する気持ちは、持ち続けるべきだろう。それが老害でなければ、若者たちに受け継げるという価値も出てくる。

そんな人生後半を生きる価値が生まれてくるのでしょう。


クリニック

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2017年03月20日

認肉

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ジパングのKは「肉は太らない」と叫んでいた。

どうせ肉を食べるなら、太るだのなんだの言わずに「明日の活力のために」食べちぎりたい。

ということで、焼肉ナイトを楽しむことに。

店の名前は『馬場ミート』(ばんばみーと)。ネイミングはなんともセンス良く感じますが、馬肉ではありません。

新馬場の駅近にできた新しい焼肉屋。いきつけの飲み屋『がむしゃら』で、「今度近所で仲間たちが焼肉屋始めます」と聞いていた。

今朝がむしゃらに電話。番号を聞き予約もバッチリ入店すると、いつものがむしゃらの店員さんたちが焼肉屋になってさばいているではないか。


最近流行りの熟成肉は、うまみバッチリ。三人で次から次へと頼み、マッコリだあのハイボだあのグピグピやりながら、

ジュウジュウ、つけつけ、パクパク、ジュウジュウ、まきまき、ぱくぱく、ジュウジュウ、のせのせ……


えっと、サンチュやエゴマの葉に巻いて、スライスニンニクをのせ……

え?明日から高校生たちのレッスンなのに、ニンニクいっていいのかって?

いーんです!!!気合いで臭わせません。

どうせ食べるなら、臭うだなんだ言わずに「明日の活力のために」食べちぎりたい。

そこにニンニク肉肉あるのだから。


休日

posted by take at 21:07| 活動報告