2020年05月23日

楽しむ楽しむ楽しむ!


演奏を楽しむ。楽しみながら音楽をする。


やっぱり大事ですね。


今あれやこれや録音してたりするんですが、ミスしないようにと緊張感漂い過ぎるより、表現することを大いに楽しんだ方が、結果完成度に繋がったりする場面も多い。


どうしても、きちんとした(あらゆることが)ちゃんとした(正しいっぽい)演奏をしなければならないと。

ただいつも自分のスキル(知識含め)はその時の実力として定まっているわけで、もしそれを超えるような奇跡が起き、自分から発せられた魅力に超ハッピーになれたとし、「そんな瞬間よ今一度」と、未来への活力に溢れ、生きることは素晴らしいとまでの感覚に包まれたとしたなら


楽しんだときなんですよね、絶対。


本当の名手とは、あらゆる時間をとにかく楽しむだけ楽しみながら、スキップしながら天に昇るように飛んでいってしまうような人かもしれない。


休日

posted by take at 17:43| 活動報告

2020年05月22日

心だけを


ランランが弾くドビュッシーの夢を聴きながら、物凄く感心しながら、とても感じ入る。そしてなんだか懐かしさが湧き、少なからず反省をした。


万華鏡を回せるだけ回したような色彩感は、超ゆったりとしたテンポの中で


「まあよくこれだけの感情の変化数を」


と、ため息がでるほど抽出しきっていた。もちろんルバートや和声の変化は他のやり口もあるんだろうが、やりきった感のある演奏は、実はこれなんじゃないかと思わされるような説得力を醸している。

一時たりともインテンポらない自由さは「本来人間の生きる時間や心、行動ってこうじゃない」ってくらい、不正確な時間軸。


そう、若い頃、そうやって表現を探していたときがあった。


合奏をしながら、教育をしながら、自由の反対である「唯一の模範」を探すことばかりに向き合ってしまい、正しい音楽をしようとしてきたきがした。


今一度、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、人々が声高に叫ぶもの、違うと言われそうと気になってしまうものではなく、自分の心こそが求めるものを探さなければなと。


休日

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2020年05月21日

変化は必須!!


今さらっている曲の中に、人生の課題とも言えるくらい、僕にとってやっかいなフレーズがある。

なんとなく誤魔化しながら避け気味にやってきたのだが、いよいよなんとかしなくてはならないときがきた。

生徒のひとりが、その録音を聴きたいと言ってきたのだ。まあ「なんでも吹くよ」と風呂敷ったのは僕なんですが。


やっぱり苦手なだけあり、1日の中で繰り返しさらっても、その日中には手応えがない。

だからさらうのやめちゃうんだよな。

でも何日かに一回のペースで、少しずつ形が見え始める。

そう。そうなのよ。結局諦めずこれを毎日やるしかないのよ。


生徒たちが、さらうの嫌になってさらわず、よって中々上達しないとしたならのパターンがよくわかる。このフレーズに関しては、今までの僕がそうだから。


最初は、歯がたたないテイスト。

で、少しさらってみるが、まるで変化の実感がなく諦めてしまう。やるにしても、できないまんまにしてしまう。なんならその曲やるのやめてしまう。一回諦めると、もう「一生やらない箱」にしまいこんじゃうね。


わかります!


でもね、それでもやんのよ。明日も、明後日も、その次の日も。絶対変わってくると信じて。


もっとはっきりとわかる大事なことは、人間いいペースで変化の実感が得られないと、前向きに進めないんだなということ。

難し過ぎるものをストイックにもいいけど、それなりのものをより良く、より味わい深くと、できる範疇のもので変化を実感することが、明日への第一歩に繋がる大事なやり方ですね。


そうやって変化癖がつき味をしめられたなら、人生ノンストップで充実と並走できるんだと思います。

変化は必須!!


休日

posted by take at 17:30| 活動報告

2020年05月20日

好きこそものの細かくなれ


「あの人はホント細かい性格で……」「あの人はまあ大雑把よね」

細かい、大雑把(細かくない)と語られてしまう人というのは、その人の全てがそうであるが如くレッテルのように評価される。

しかし大半の人は「あることには細かく、あることには大雑把」であり、○×のようなものではなく精度、クオリティで語られるような性能なのだと思います。

だって全ての人に関心事と無関心事があるわけで、関心があることには細かく見つめるだろうし、関心ないことは大雑把に相対するだろうから。

大切なのは、関心があってやりたいことに対して、どれくらい細かくなれるかでしょう。


全てのアイテムにおいて極めた人を観察したとします。

間違いなく言えるのは、全員称えられるが如く成功したそれに対し、誰よりも細かく相対しているはず。

相対し方というのは、見つめ方、評価の仕方、原因の見つけ方、トレーニングの仕方、工夫の仕方、コントロールの仕方等。

本人にとっては当たり前、しかしそこまで結果を出せない人からは「……やっぱりそこまでやるんだ」だし、まるでダメな人からは「えっ?そこまでやるの?!」みたいな。

大体ひとつのことを極める人は他のことはあまり関心なく、よって扱っても話しても大雑把で、でもそれで良くて。

問題は、ずっとやりたいしなんなら勝ち抜きたいし、やり抜きたいし極めたいと思っていることなのに、さほど細かくなれない人。

「だって、そこまで好きじゃないんでしょ?」と言われがちだが、それは正確にははかりようがない。

ただ極めた人と比べてどれくらい好きなのかは、結局やっている柱以外の事、以外の時間がそれと繋がっているか分離しているかでわかったりする。

トロンボーンなら、トロンボーン以外の事。たとえば食事やテレビ、SNSやゲームまでがやりたいトロンボーンとなんらか繋がり、影響があったりアイデアが派生するなら、それこそ好き過ぎるのだろうし、細やかさにも拍車がかかるのだろう。


そうでない人が、どうやったらそうなるかは正直わからない。


1日どのくらい考えているかか……

長く考えているなら、そら細かくもなるわなあ。大雑把を長時間とはいきませんからね。


休日

posted by take at 18:01| 活動報告

2020年05月19日

鏡の大きさ


ベルリンにいたとき、フィルハーモニーの地下の練習室でさらわせてもらっていた。

とてもいいなあと感じていたのは、ほとんどの部屋にある鏡が、壁にとりつけてある大きなものだったこと。

日本の場合、可動式の縦長の姿見が大半。とにかく使い勝手が良くない。

僕はあらゆる楽器の演奏家、声楽家まで、トレーニングには鏡があった方が良いと考えている。レッスンだけでなく個人練習時も。

自分の演奏フォルム全体や細かい部分のチェックは癖にしたほうがいいし、自動的に客観視のトレーニングにもなる。壁までの距離が同じでも、鏡のなかの自分を他人として聞くと演奏や音は違って聞こえてきます。

そういう意味でも小さいものや縦長ではなく、全身が見えなおかつ背景もそれなりに入るものがいい。

ベルリンでは、本当に毎日のようにそれを感じていた。


今我が家の練習室、壁に付けている大きな鏡は、家人が取り組んでいる100号という大きなサイズの絵によりふさがれている。よって10センチ四方のちっちゃな鏡を譜面台に置き、アンブシュアのチェックなんかをしていた。

そんなイッツァスモールワールドを不憫に思ってか、家人はA3サイズに近い、しかも割れない仕様の鏡を注文してくれていた。

今日届いたそれを譜面台に置き練習したのだが


………やっぱりいい!


口元だけでなく顔全体が見られることで、筋肉の使い方もよりリアルに理解できる。アンブシュアはやはり口周りだけでできているわけではないから。


楽聖たちにも勧めてみよう。自分の演奏を聞き、その演奏している姿を見て印象をもっているのは、100パーセント他人なのだから。


休日

posted by take at 17:34| 活動報告