2020年08月07日

あの頃のメランコリー


僕はショパンが嫌いではない。

好きなんですが、若い頃聴き込みながらずぶずぶ感情の沼にはまっていた頃と比べると、今は少し冷静に聴いてしまうというていたらく。

思い出もたくさんあるので特定曲でおセンチになったりするが、バラードなんかを聴いてても涙するほどにはならなくなってしまい‥‥いけませんねえ。

これでも人生が現実的に理解できてきたことと、未来に対してはじめあらゆる不安が減ってしまったことが、あの若き日々の囚われの身のようなもがきを奪い去ったようにも感じる。なくなっちゃあいないが、しかしショパンのさ迷うようなメランコリーが「僕の人生を描いた感」は減ってしまった‥‥いけませんねえ。

もう少し年齢を重ねるとまた変わるかもしれない。ショパンに惑わされない、揺らされない自分というのは嫌ではあるので。


あるドラマを見ていたら流れてきた音楽がショパン風で、画面の中の若者がそのメランコリーに揺り動かされるが如くとても辛そうで‥‥

本当に苦しいのは嫌は嫌なのだが、心のどこかで少なからず羨ましい気持ちにもなり‥‥いけませんねえ。


posted by take at 18:23| 管理人よりお知らせ

2020年08月06日

マイ・フェイバリッツ・ジャーキーズ


先日ここにジャーキーたちの話を書いたら、翌日早速家人がポークジャーキーを作ってくれた。

これが市販のより大変に味わい深く、美味い美味い。市販のはいろんな調味料で味付けされた濃いものだが、家製はブタさんの旨味がストレートにくるナチュラルなもの。やっぱ素材の旨味が一番!

そもそもジャーキーとはと調べてみた。
「肉を保存する目的で加工したもの。燻煙することも多い。燻煙されたものはスモークジャーキーと呼ばれる。

ジャーキーにする食材としては圧倒的に牛肉が多く、特に断りなく「ジャーキー」と言った場合、牛肉のジャーキー(ビーフジャーキー、beef jerky)を指すことが多い。牛肉の他には馬肉や豚肉、鶏のササミ、鮭などで、珍しいものではカンガルーやワニ、イノシシ、ネズミの肉などがある。

日本のスルメも、海外では“イカのジャーキー”として扱われており、鮭を燻製して干した「とば(鮭とば)」や、ツチクジラの干つ物である「鯨のたれ」なども食品の分類としてはジャーキーの一種である」

ネ、ネズミ‥‥ミッキーもビックリな話。それはちょっと遠慮したい。

スルメもそうなら、酒のつまみ、まさに乾き物としてはジャーキーたちが最も相応しいものかと。

料理好きの家人が本当に有難い存在。進化し続ける酒タイム。新しいつまみが本当楽しみです。

posted by take at 18:18| 管理人よりお知らせ

2020年08月05日

まずは話が聞けるかどうか


距離をおいて演奏するN響、仲間たちを見ながら、自分があそこで演奏したらみんなが随分遠く感じるんだろうなあと、NHKホールのステージ上を妄想していた。

アンサンブルとは、耳や目もだが気配まで感じながらやるものだ。肌で感じる空気、振動、それ以上の霊感のようなものまで使い。あらゆる振動は身体全体に浴びており、距離が変われば当然感じられる情報量も変わる。


僕はあのステージで、きちんと感じることができるのだろうか‥‥


そう思った瞬間、まず演奏家にはシンプルに「人の話を聞く力が必要だな」と感じた。

音からはあらゆるものが聴こえなければならず、細かい微妙な振動も聴き逃してはならない。人の話を聞くというのも、実はどこまで聞こえるかという精度だったりする。理解力ももちろんだが、その前に聞き方ともいえる聞く力が必要。

そして俗に言う「空気を読む力」ともいう、心のみならず肌や霊感を使って聞く力。目に見えない魔法のような能力を持ち合わせないといけないんだろうと。

あらゆる失敗を思い出し自戒の念を込めてだが、生徒たちには、今まで求めてこなかったこれらを投げかけなければならないなあと思った。


素晴らしい演奏ができるようになりたいなら、まずは人の話が聞けなければならないよ。そして、たった今君のいる空間で起こっていることを肌や五感を駆使してビンビンに感じられるようでなければ、アンサンブルはできない。共演者との、作曲家との、自分の本音とのアンサンブル。

アンサンブルができないとしたら、演奏家としては失格だからね。

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2020年07月19日

楽聖たちの未来


年々時の流れが速くなる。一年もあっという間。逆から見つめれば、若いときは時の流れが遅い。なかなか時間が過ぎないとなる。

生きた時間の長さにおける割合で感じるのだと、誰かが言っていた気がする。20歳の人の一年は人生全体の20分の1、55歳の一年は55分の1。1分1秒、一年の貴重さもそう感じるということだろうか。そんなスピード感だという意味だろう。

このコロナ過の時間も、楽聖たちは僕なんかより長く感じでいるだけでなく、貴重な時間を失っている感はとても強いのだろう。

人生の残り少ない時間をと生きている人にとっても、「なんで︎、大切な一日一日なのに」と歯がゆい思いをしているのかもしれない。

運命だとしか言いようがないのだが、全ての人に、乗り超えた先の反動ともいえる幸せな時間が訪れることを願うばかりだ。


テレビである年長者が言っていた。「若い時は太く短くと思っていたが、恥ずかしいんですが年々もっと生きたいと思ってしまう」

決して恥ずかしいことではないし、それこそしっかりと生き抜いてきた証なことは確か。あらゆる困難と向き合い乗り超え、幸せもいっぱい感じてきたから、これから先もと生きることに執着していく。

楽聖たちは、本能は当然もっと生きたくてもっといい思いをして幸せを感じたいだろうが、まだまだ経験は浅く、こんなときはなかなか妄想もできないし、確信なんて持てないだろう。

でもね、人間は愚かな人もいるが、賢くて聡明な人は実はたくさんいる。そんな人たちが描いていく未来は、決して辛い時間にならないはずだ。

君たちがこれから感じる長い長い時間には、本当に素晴らしい経験や幸せな思い、感動もたくさんたくさん待ち受けている。

だから、どんよりとした曇り空が随分ゆっくりと流れているように感じるだろうが、晴れる日が来ることを信じて、毎日の時間の中に小さな幸せを見つけていって欲しい。

55歳からすると、その長い長い未来は、羨ましくてしょうがないんだよ。

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2020年05月10日

親愛なるブロカートの皆様


これまでに想像してこなかった非日常、そんな日々も長くなり、受け入れながらも辛抱の時間が続いています。皆様におかれましては、きっと工夫を凝らし、未来への希望に向かって逞しく頑張ってらっしゃることと思います。

まさか私たちの人生にこのようなことが起きるとは……皆様もそう思っていらっしゃるのではないでしょうか。
私たちが失った活動。演奏会、練習、皆様との交流を改めて思い起こすと、そこにかけがえのない生き甲斐や幸せがあったのだと、その価値を感じると共に、まずは団員の皆様への感謝が沸き上がってきます。

N響の演奏会が7月末まで全て中止に、指導をしている大学も今月いっぱい休講になりました。仕事再開の見通しが立たない私は、今、自分の技術、音、音楽とのみ向き合う日々を過ごしています。それは留学中や大学時代に似ていますが、それ以上の孤立した濃縮された時間に感じています。

もう若くない私の年齢でこんなにも自分と対峙する日々が来るとは。普段は感じない運命のようなものも意識しますが、この苦難が明け再びオーケストラができるようになった暁には、この日々を経験したからこその、より深くより人生に響くような音楽を皆様と共に作り上げていくという意志を、あらためて強く持ち始めています。

私たちのオーケストラは、真っ当かつ充実した活動を続けてきました。それは、あまたあるアマチュアオーケストラの中で、ブロカートとの縁こそを大切にしている皆様全員の徳が成し遂げてきたものです。私はこれから再び、出来る限りの力を使い、そんな皆様との素晴らしい音楽活動を目指し頑張ってまいります。

本日演奏することが叶わなかったブルックナーとメンデルスゾーンは、いつかまた取り組むことになるでしょう。その際は間違いなく、より力強い精神のもと、荘厳で比類なき美しさに出会える時間となるはずです。

再会の目処は立ちませんが、シベリウスもベートーヴェンも楽しみにしながら、今の時間を過ごしたいと思います。

皆様には、それぞれ大変な苦労を伴っていることもおありだと思いますが、ぜひ身体をお大事に、お健やかに過ごされますよう祈っております。

最後に、ブロカートに在籍されています医療関係の皆様に、心からの敬意と感謝を込めて御礼申し上げます。


休日

posted by take at 21:56| 管理人よりお知らせ