2018年08月27日

安らかに


さくらももこさんの訃報に、大きなショックと共に心がかなり痛んでいます。

1ヶ月しか違わないその人生の長さから、勝手に共感をもっていたし、応援もしていました。


乳ガンの恐ろしさもあらためて感じると、強く考えることもある。


作品が愛されるということは、イコール作者の人柄が同じだけ愛されるという稀有なパターンであり、ゆえに漫画もアニメも幻想とリアリティのハイブリッドのような、えもいわれぬ魅力を放ち続けてきた。

サザエさんとはまた違う雰囲気で全ての世代から愛される作品を生んだということに、強いヒューマニズムを尊敬の要素として見つめることもできてきた。

ちびまるこのイメージを絶対的に守るため本人は見えないところにいる。局の人間でも会えないというのが当たり前だったよう。

作品の魅力に対する強い意思と、守り抜くための強靭なプライドも、こんなエピソードからずっと感じていました。


早すぎるし、残念すぎる。


さくらももこさん、安らかに。


川越へ

posted by take at 12:36| 活動報告

2018年08月26日

欲しい音


オーケストラを長く聴いてきて、オーケストラを長くやってきて、最終的にどんな演奏を好むのか(したいのか)というと、「上手い演奏」ではないことだけははっきりしている。

へたでも良いと思っているわけではない。表現から何を感じたいかというと、上手さではないということ。


今回のツアー、コンマスは元ウィーンフィルのキュッヒルさんなのですが、彼の弾きっぷり、表現しきっぷりを聞いていると、やはり音楽を聞くという特別な時間には


ワクワクしたい


という気持ちで満ちていたいんだなあと感じてきます。


彼の発する音には「常にあるもの」と「一切ないもの」があります。

常に快楽的感情の高ぶりが存在している。どんなに静かで穏やかな場面でも、音には常に「人間の感情」が山盛りのっているのだ。うるさく賑やかだというのではない。どんなピアノでも物凄くものを言っているし、ロングトーンも退屈のない生命力が常に動いている。

一切ないものは、美しかろうが立派だろうが正しそうだろうが、人間の感情がのってない音。


世界の一流オケの中でも特別なウィーンフィルは、歌手たちと演奏するのが日常だからだと思うが、その表現に「無人間」「無感情」は一切無いようだ。


オーケストラには、様になるような表現というのは確かにある。本当に静かなピアノの美しさ、美しくも巨大な音量のかっこよさ。


しかし、僕が最期に本当にやりたい演奏は、美しくやかっこよくが、人間的感情を徹底的に音にのせた結果で派生しているものでなければならないのかもしれない。

そうでなくては、僕は最期は満足できないのかもしれない。


N響西宮公演

posted by take at 17:09| 活動報告

2018年08月25日

鹿のきもち


今年はあっついわ。いやあ、こんな夏はあたいら鹿だって働きたくな……え?早く町へ出ろ?? はいはい、わかりました。お客さんがね、私らを見に来てると、わかってますよ、わかってます。あたしら鹿組合でもね、いっつも会長からの訓辞で耳にたこならぬ角に鹿ですわ。「国から天然記念物に指定されとるからゆーてエラソーにせんよーに!!自分の力だけで生きていられるわけではない、周りに対する感謝の気持ちをもって」ですよね、わかってますよ、わかってます。


それにしても、なんでこんなにあっついのに、奈良の町は人だらけなんでしょーかっ?しかも、外人多っ。

外人の子供もね、日本人の子以上にちょっかいだしてくるんですわ。「はよ大仏見に行けー」思うんですけどね、大仏よりあたしらの方に興味あるんか、怖がりもせんとよってくるんですわ。まあわたしらも機嫌えー時ばっかりやのーて疲れてて愛想振り回せんときもあるよってに、そんなときは近くで、ふんを


ボロボロボロボロ〜〜〜〜!!!!


一気にかますんですよ。ほんなら小さい娘が「わ〜〜〜〜〜ん、マミー〜〜」って泣きながら行ってしまうんやけどね。後でちょっと後悔してね、大人げなかったなあ、悪いことしたなあゆーて。


ま、あと、あたしら主食は芝ですけど、やっぱり「せんべー食べー」ゆーてよー差し出されるんですっ!いや、嫌いやないからね、いいんですけどね、最初先代の先代の先代あたり、「人間と町での共存することにしたー」て、そんときの村長が宣言したときに人間から

「好きなせんべーなんぼでも食べられるよーするから」

いう条件にホイホイのっかった手前、今さら「飽きとる」言えんけど、まあホントのこと言うたら、「チョコレートとか、なんかちゃうもんがえーなー」思うときあんねんけどね。まあ、そこはね、イメージあるからね、大事にせんとね、イメージ。


あーあついわー、今日もこんなに暑いのになぜ君たち人間は奈良へくるのかなーー??こなけりゃあたしらも家で休んでえーことになっとるんですけどー。


またアホズラさげたんが前から歩いてくるなー。今日はなんか楽器みたいなん持ったんがよーけ通りすぎるが、こいつはまあ特にボケづらやなー、黒ーて長いんもって、近く来たらいっぱつかましたろーかなー、「もっとすずしーときこいやー!」ゆーてなー。

なんかつぶやいとるで、こいつ。

「奈良公演なら奈良公園」

うわーさむぅ、しょーもないやっちゃあ。あついけどさむぅ。あー来た来た。


「いらっしゃいませぇ、ようこそ奈良へ〜〜(^∇^)」


N響奈良公演

posted by take at 16:17| 活動報告

2018年08月24日

もの凄いハーモニー


どんな話からそうなったのかは忘れたが

「だからトロンボーンのハーモニーって美しいんだね」

とのコメントが心に残っている。

当事者たちが「いいいい好き好き」言うのもわかるが、他の楽器の人から(たしか弦楽器奏者)言われると、余計嬉しく誇らしくなる。


純度と透明度の高い我が楽器の和音。自在な音程感からの多彩な色合い含め、響きの美しさ、安心感は格別である……


と思うと、やはり積年の疑問と憧れに思いが馳せる。

「何故、スライドを持ったトロンボーンの形状は、中低音域にのみ存在するのか?」

更に低い方、コントラバストロの音域を超えてチューバの大きさ、太さまでいくとスライドに無理があるのはわかる。

スライドトランペットはあるが、もう少し洗練させたとして、トランペットではなくこの形状での高音域での和音を聞いてみたいのです。

名手たちによる演奏なら、驚くほど美しいんじゃないだろうか。


そして、バイオリンからコントラバスまでのような、その音域からコントラバストロの音域までをカバーした


「トロンボーン属での完璧なるハーモニー」


に対する憧れが拭えない。

実は、失神しそうなくらい素晴らしいんじゃないだろうか。


N響大津公演

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2018年08月23日

中庸


次期首席指揮者として初めてのコンサートのゲネプロを終えたペトレンコが、ベルリンフィル首席チェリストからのインタビューを受けている。


「最近アリストテレスの『ニコマクス倫理学』というのを読んだのですが、そこには【中庸こそが全ての徳において最高である】と書いています」

「私はあらゆるレベルにおいて『中心点』を探そうとしています。速すぎても遅すぎてもだめで、うるさすぎても聞こえなくてもだめ。もちろんピアニシモがだめなわけではない。それは当然表現として使うべきです。しかし全ては真ん中を通っていくべきなのです」

リハーサルでは感情を爆発させないようにバランスをとっていると。

同時に楽員は「私達は感情表現をする勇気を持った人を選んだ」と言っている。

エモーショナルな密度の濃さという結果を望みながら、それを最高の形で実現できる才能を望むオケマンたち。それを体現できるのは、バランスの重要性を熟知し、中庸でいる時間こそを大事に感じている人物でなくてはならない、ということのようだ。


『中庸がもたらす徳』というのは音楽的な話だけでなく、普遍的なあらゆるイメージへと、価値観を探す旅へと誘ってくれる。


攻めると引く

冷静と興奮

まじめとユーモア

スタンダードと唯一無二

SとM

自分が話したいと相手が話したい

ストイックと快楽への開放

許すと許さない

積み重ねと瞬間的刺激

今でしょと先でしょ

諦めないと方向転換

うどんとそば?


N響三重公演

posted by take at 10:20| 活動報告