2017年10月02日

ショートショート『レッスンにて』


「自分のやりたい演奏があなたの中で定まった上で、今吹いていますか?」

「…………い、いえ、ま、まだ………」

「だとしたらたとえレッスンの場だとしても、まだ人前で披露する段階ではありません。どんな場合でも人に聞かせる時には、自分のやりたい音楽をやろうとしてなければなりません。それに対して評価を得ようとしたり、一方的に伝えようとしたりするのが演奏行為です。もしあなたが自分の本当にやりたいことを探さず、イメージもできず、定められないまま練習しているのだとしたら、それは自分のやりたいことを表現するという愉悦を放棄し、音楽を勉強にしてしまっています。音楽を音学にしているのです。レッスンを受けるというのは一瞬勉強っぽく感じられますが、その姿勢から先生が伝えられることは通り一辺の限られたことであり、ある意味一方通行にしかなりません。まずは、あなたが本当にやりたい表現をきちんと探し、イメージし、それを楽器で練習してからもう一度来てください」


大塚へ

posted by take at 10:31| 活動報告

2017年10月01日

源流


演奏家として最も価値ある資質とは、技術が高いこと、いい音がでること、勤勉に練習に取り組めること、とにかく上手いこと…ではなく



豊かなイメージが持てること

新鮮なインスピレーションがわくこと



に尽きると思う。最初に書いたものだけでは、立派な演奏はできても、それが人の心を揺さぶるとはかぎらないと思うのです。


技術や音色、努力や知識も含め、これらは演奏家の中に沸き上がるイメージやインスピレーションを伝えるためのツールでしかなく、それだけを駆使しても「見事だが空虚」を生み出すこともある。


そういう意味で演奏家は、イメージを持つ時間を計上する必然性を感じる。

楽器で音たちをなぞっていることを繰り返しても、結局「自分の音楽」にはたどり着けないことは多い。

本当に自分の表現をしたいのなら(するべき)、楽器を吹かずに、自分の心の中で音楽を反芻し探すべきである。

実は何度も何度も反芻するのが良いのだと思います。心の中での歌は、余程でない限り自分の不本意な表現では歌わない。それを繰り返していくことで、実は徐々に「本当の自分の欲求」に近づいていくのだと思います。

今現在取り組んでいる曲を、一日に二度三度心の中で歌い、自分の本音を探す。

それこそを楽器で吹けば良いだけ。多くの人がイメージを持つ時間を計上せずにただ音符をさらい、そして全く自分の音楽ではないことをやっていたりする。


インスピレーションに関しては「音楽の自由」を信じて、毎回違う演奏をしようくらい心がけ探し続けることだ。

そうやって経験値とイメージ値を上げ、霊感が降りてくる人間となる癖を養わなければならない。


どんなイメージができるか、どんな新しい表現を思いつけるか。これこそが、感動の大河の源流であり、それなくして演奏に取り組むことにいかほどの価値があるのか、はっきりとした疑問になりつつあります。


トライアルコンサートを聞く
ダヴッドはオーケストラで聞く度に、実はいい曲だと感じる。トロンボーンという楽器の音色も全くもって素晴らしい。そう思わせた四年生の三浦の演奏は、豊かなイマジネーションに溢れており、大成功と言って良いものだった。

posted by take at 19:34| 活動報告

2017年09月30日

A Song for Ootsuchi


今日は、サントリーの小ホールで開催される女性コーラス「コーロ・まざあぐうす」の公演に出演「A Song for Japan」を共演します。

コーロ・まざあぐうすは練馬区にて活動するママさんコーラスです。皆さん大槌に通いながら支援を続けている素晴らしい人たち。

志を同じにする方々と復興に思いを寄せて演奏できることに、強い意味を感じています。

単に生活が戻るという復興ではなく、大槌の方々の充実した日常を夢見て力強く演奏をしたい。聞いている人たちの中で何かが動き新しい波が起こる、そんな演奏をしたいと思います。


25周年記念コンサート コーロ・まざーぐうす&Friends

2017年9月30日(土) 18:00 開演

会場
ブルーローズ(小ホール)

出演
ヴァイオリン:大谷康子
トロンボーン:吉川武典
テノール:伊藤潤
ピアノ:浦壁信二
合唱:コーロ・まざーぐうす、森のPaPas

曲目
竹森かほり:風は知っている(浦壁信二編曲)
鈴木憲夫:女声合唱とピアノのための『民話』から「若返りの水」「鬼とおじいさん」「雪の降る夜」
三善晃:女声合唱のための『三つの抒情』
S. フォルフェルスト:A Song for Japan 2011〜トロンボーン独奏と女声合唱、ピアノのための(浦壁信二編曲)
中山晋平:証城寺の狸囃子
レハール:オペレッタ『メリー・ウィドウ』から「ヴィリアの歌」、「メリー・ウィドウ・ワルツ」、他

料金
自由2,000


25周年記念コンサート コーロ・まざーぐうす&Friends出演

posted by take at 14:56| 活動報告

2017年09月29日

ルールの価値 実力の価値


天下のミュンヘンコンクール、そのトランペット部門で、違う課題曲を吹いたのにあまりに上手かったため予選を通過した人がいたというエピソードを聞いた。

聞いた瞬間「へぇ、面白いなあ」と思ったのですが、直後に「え?そ、そんなのあり?!」と、現実に起こったことの特異さに驚愕してしまった。

様々なルール逸脱からの寛容ともいえる容認あれど、国際コンクールの、しかもあの泣く子も黙る世界一の権威を誇るミュンヘンコンクールにおいての「課題違ってオッケー話」は、


いや、それはないでしょ!!


と。オフィシャル過ぎるし、説明つかなさ過ぎる内容にしか思えない。


で、やっぱり「クレームはどうなったの?てか、そもそもなんで通過できたの?」となる。

当然参加者たちは審査員に詰め寄ったよう。海外のコンクールですから、その姿も遠慮なく激しいものでしょう。

「あまりに素晴らしい演奏だったため、審査員で話し合って先へ進んでもらった」

そうなんだろうけど納得にはほど遠い説明です。


ルールこそ大事、なにせはみ出ない協調が大事だから皆で守ることが大事、それを元にとにかく周りを気にする気になるが遺伝子の根っこガッツリにある日本人なら、余計理解不能な結果。

当然「それ認めたらなんでもありじゃん」とか「みんな自分の得意な曲やるよね」等の感想が、周りの日本人から聞ける。

ただこの思考の向きこそが、やはり日本人らしいのかもしれない。

日本のコンクールだと、前奏をカットしたなんてことだけで落とされたりする。音がやたらいいとか、歌いかたがあまりに魅力的だとか、一芸の秀でた部分を評価したりするヨーロッパとは、まずもって見つめかたそのものが違ったりする。

まさか違う課題曲吹いたことが一芸だったのかと、ワケわかんないことまで浮かんでいったが、日本人からすると、総合的高品質(ルールは当然守る、守れない時点で門前払い)こそとの価値観となる。

とにかく一芸ではない。


違う課題曲でもクレームをねじ伏せて通すことがまかり通る。ヨーロッパでももちろん頻発することではないだろうし、誰かが危惧したように「じゃあみんな自分の得意な…」とはならない。それでも日本人からしたら理解の外という価値観がそこにはある。


ひとつ思い出すエピソードが。僕が20代の頃、件のミュンヘンコンクールを受けた時の話。

二次までで終わったチャレンジ、僕はその後の演奏を聞きながらいろんな刺激を受けていた。

三次予選でアメリカ人の女性が、素晴らしく美しい音でワーゲンザイルのコンチェルトを吹いた。それが聞いたこともないような八分音符単位アダージォのびっくりするくらいゆっくりなテンポだったが、見事にファイナルへ進んだ。

それを客席で聞いていた、当時東京音大で講師をしていた故白石直之さんが、僕の方を振り返り

「吉川君、ああいうの駄目でしょ」

と言ったのです。

駄目というか、やはり「あんな遅いテンポ、いくらなんでも…」と、スタンダードの呪縛を価値の根っこにもった感想になりながら、しかしその言葉が胸にささり現在まで抜けないことになる。

「同じ人間として、世界の価値観は君が思うより全然幅広く、既存概念にとらわれるこそこそ進歩、進化の邪魔をするんだよ」

あのとき、白石さんは僕にそう言いたかったのだと思います。(そんな白石さんは、僕の演奏をとても高く評価してくれていた)


もうひとつ。

クロマティの「日本の野球はレベルが下がった」という発言。

意図としては、あまりに組織立っていて個人の力が出きってないと、日本人の美徳を真っ向から批判するようなこと。長嶋・王の時代から、日本人には協調の美意識はあっただろうが、それでも際立ったスターとその他という図式ははっきりとしており、チームプレーといいながら己が目立つことをまことしやかにやりきる空気はあった。個性的なフォームのピッチャーやバッターも多かった。

チームこそをという日本人の能力の進化を、レベルが下がったと言い切る価値観も実は存在する。


課題曲を当然選ぶことより大切なことがある。協調が必要だから存在するルールより大切なことがある。たとえ皆が平等でなくてもだから何?いや、それを超えてることこそ素晴らしいではないか。

そう叫んでいるジャッジから、私たち日本人も、本当に価値あるものを生むための価値観、これから本当に向かうべき理想の先を、正確に感じたいと思う。


休日
ちなみにそのトランペット奏者は本選には進めなかったそうです。

posted by take at 14:59| 活動報告

2017年09月28日

工夫という時間


羽生善治さんの言葉をもう一度。


三流は人の話を聞かない

二流は人の話を聞く

一流は人の話を聞いて実行する

超一流は人の話を聞いて工夫する


たとえば「1+1=2」と聞いて

意味がわからなかったり集中できなくて聞くことができないのが三流

聞いたけど利用しようとしないのが二流

聞いて実践するのが一流

1+1が2以上になり得をする方法を考えはじめたりするのが超一流ということだろう。

この「工夫ができる資質」というのが不可欠とも言え、極めて重要なことに思えてきました。


そういう人というのは、日常のあらゆることがらを受け取りながらも、疑問をもったり、その奥にあるものを見つめようとする癖がついているのだと思います。

ただ素直に受けとるだけではなく「なんでこうなってるんだろう?」と思ったり、少しでも新鮮な充実が訪れ飽きない時間が流れてほしいため、既存を否定したり発展させたりしながら新しいアイデアを探す、そんな癖。

つまり工夫が自分を変えるアイデアを生むわけで、それを求めたがる資質が必要な気がするのです。


ただこれを持ち合わせるためには、子供の頃から、自分のしたことに対して良い悪いという評価をちゃんとうけ、それをきちんと見つめたという経験が不可欠なようだ。


いずれにせよ言われたことや決められたこと、正しいと言われていることを実践するだけでは、豊かな壁は超えられない。

工夫という時間を生きることこそが、私たちには求められている。


川越へ、N響定期

posted by take at 22:17| 活動報告