2017年06月06日

イメージの価値


時々家を建てる話になる。


「完成図も設計図も無くいきなり柱立てたって家は建たない。演奏も一緒。演奏の理想(完成図)無くさらっても仕上がりはしない」


初見でさらい始める時は理想も何もイメージわきにくいが、既に知っている曲だったり一通り譜読みした後ならば、まずやらなければならないことは、もう一度さらうことではなく、その曲をどのような表現に仕上げるかイメージすることでしょう。

このイメージなく繰り返し繰り返しいくらさらっても、変化はあれど仕上がりはしない。


卓越した演奏家が、初見や二回目で既に様になるように表現するのは、日常的に、練習のほとんど全てがイメージすることと合致しているからだ。

もちろんさらっていくうちに、更に豊かな音楽観になっていくこともあるだろう(完成図の変化)。

ただ、常に表現や色合いに対する理想こそが頭の中にあって練習をしなければ、意味のない時間を繰り返しているのだとも言える。


そう考えると、演奏家のスキル、演奏の価値というのは、出ている音や奏法、技術にあるのではなく、頭の中(心の中)で決まるのかもしれない。

完成図、設計図というと、アイテムとして「楽譜」と思いやすいが、それはまるで違う。図といいながら、実際には二次元の媒体は存在しない。


心の中という見えない、そして形のない人間の欲求が、演奏と演奏家の価値の全てになる。


N響練習、ジパング

posted by take at 21:20| 活動報告

2017年06月05日

Pエボリューション


Pボーンが世界を席巻して久しい。僕は全9色、赤青のアルトも加えた11種類を大人買し普段は東邦の部屋に飾ってあるが(アンサンブルコンサートで披露している)、まさに高品質プラ楽器たちはお花畑のように綺麗で楽しい。


追随するようにタイガー社製のテナーバスが出て、一時期のお休みはあったがまた店頭に復活し賑わいを生んでいる昨今

ん?その左手の……

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金キラ輝くモノホンのトロンボーンたちの中に立っていても、全く違和感の無いやつが一人。

え?!それ本当にプラなの?光っとるじゃん!!

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プラスチック楽器はリアリティーの時代へと進化?してるのか。銀色のコーティングは少々おもちゃっぽいが、このシャンパンゴールドのは、普通の赤ベルと並べてもわからないほどじゃん。

なんとマウスパイプはチェンジできる風だし、ベルの端は響き線の折り返しまで。しかも二枚取りのラインもくっきり。


プラッチックはどこへ行こうとしているのか?


Pボーンからスタートした流れ、その特徴としてはポップでカラフル。そのラインナップが増えていった印象。

ここでリアリティーに転じるなら、そのうち、じゃあ素材は真鍮にしてみて、スライドもクロームメッキで、マウスパイプも取れるようにして、黄ベルや赤ベルにラッカーかけて………

誰か止めてー!!!
(制作協力 株式会社アクタス)


大塚へ

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2017年06月04日

横須賀ギオン祭


昨日のN響横須賀公演が終わった後、海上自衛隊音楽隊員である生徒と食事をしました。

美味しいお店にテンションも上がり、話は弾みまくり。かなりの長時間、ありとあらゆる話題で喋りまくっていた。周りも呆れるほどノンストップだったのだろう。楽聖時代とは違う大人の会話術(本人談)。トイレ以外に口と耳が休む暇はなかった。


中でも一番盛り上がり、僕のコメントに対しおかわりまでリクエストされたのが、彼女が最近細管の楽器を買ったという話。

平たく言うと……

管の太さの問題ではないとはわかってはいるが、音のまとまりが欲しく細管を選んでみたら、すんごくいい楽器があって、とにかく吹奏感や抵抗感、音が最高に気持ちいい


たけ「それって、フゥ〜でボワァッッからのブゥワァ〜〜ンで、ハァ〜がウゥ〜ンっていうのじゃなくて、フゥン!でググッがきて、ブイ〜ンがオオオッで、プワァ〜〜ンのウワアォッ!がイェ〜〜〜〜ッ!!ってことね」

M「ギャハハハハ!!そう、そうですそうです。ギャハハ、もう一回、もう一回言ってください」

ツボったようで抱腹絶倒っている。

たけ「だからあ、フゥ〜でボワァッ………」

二人「ギャハハハハ、ギャアハハハハハ」


ね、楽聖にはまだできなさそうな、ハイソな会話術でしょ?


バカップルやおバカ夫婦はちょいちょいいるが、横須賀の夜は、見事なバカ師弟の笑い声でおめでたく更けていったのでした。


N響大宮公演、ブロカート

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2017年06月03日

ボロディンの愛


今回のN響、横須賀と大宮での本番のプログラム、ボロディンの『中央アジアの草原にて』が入っている。

黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる荒涼としたコーカサス地方の草原、ロシア人と東洋人の交流を描いた美しい音楽です。

僕は大好きな曲で、ブロカートでも数回取り上げたことがあるのですが、新日フィル、N響通してほとんど機会がありません。N響の記憶でも二回目か。


ちょうど一ヶ月も経たないうちに、交響曲第二番の23年ぶりの演奏も経験しましたが、ボロディン、やっぱりいいですねぇ。なんともいえない旋律の情緒。美しくも独特の切なさ。オリエンタルな魅力、人間的優しさに広大な自然の拡がりも感じます。

だったん人、シンフォニー、中央アジア、夜想曲、弦楽四重奏……

そのどれもが、ボロディンにしかない魅力として輝いている。

彼は、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって非常に尊敬されていたそうです。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家にはなりませんでした。


人や自然に対する愛が深い人だったのでしょうね。


理屈ではなく、とにかく幸せな音楽。人間として生きていける喜びを感じさせてくれる。

もう少し回数やりたいなあ。


N響横須賀公演

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2017年06月02日

聞いてる人には関係ない


楽器の事情というのは必ずあり、それはどの楽器でもあり。しかし聞いてる人には関係ないのだから、きちんと困難に向き合う姿勢は必要。


トロンボーンの場合、5ポジション、6ポジション、7ポジションとなるにつれ、音程、発音、音色が結構なスピードで曖昧になっていく。

問題は「普段あまり使わないから、まあまあで良いのではないか」という潜在意識。

その気持ちが強い人ほど、実は微調整からの繊細さをもたなければならない1、2、3、4ポジションもなんちゃってになりがちだ。

・どの音域も動かさない

・吹く度に位置が違う

・精査し納得して定めた経験がない

・上げなければならないとこを下げたり、逆だったり。動かさなければならないとだけ意識にある。で、上記。


まずは1ポジションのFが抜けない人、3ポジションのEsを下げれない人。もれなく、5ポジション以下がかなり高いが、気にしないで吹いてしまう。


レガートのムラ含め、リスナーの大半であるトロンボーン吹き以外の人には、この楽器の事情は不必要な情報であること。彼らにとって必要なのは、ムラのない音楽的表現、レガート、音程、音色であること。

そして、演奏家にとって、それを修正することは、全くもって不可能ではないこと。


全ては「吹きたい」から大きく飛躍し、

本当に聞き手の心に喜ばしい演奏をプレゼントしたい

正確に吹けないと、職業演奏家のフィールドには立てない

という、希望と強迫観念というふたつのメンタルが存在するか否かだろう。


N響練習、川越へ

posted by take at 10:43| 活動報告