2017年08月04日

背筋が凍らなくなった話


知り合いから背筋が凍らなくなった話を聞いた。冷蔵庫が突然天空へ旅立ったというのだ。

それ自体は少し前の話だが、今年は冷蔵庫でも冷やせないくらい暑い夏である、それはそれは大変なことだろう。

いつか食べようと冷やして取っておいた超高級冷凍うどんもあの世行き。こんなことなら、常備している超高級プレミアム納豆でもかけて、今朝食べておくんだった。その納豆も更なる発酵が進み、人類の胃袋では手に(胃に)おえない状態になっているではないか。あ〜〜かぐわしすぎて、妄想するだけで鼻も曲がりそうだ。


急に壊れてとにかく困る、一日も早くというのは、1が給湯器(シャワー)、2が冷蔵庫、3が洗濯機かなあ。電子レンジやエアコン、テレビはなんとかなりそう。


知り合いは当然、中の物を諦め冷蔵庫を買いに行く。すると新たなる問題が。

なんとかつては戸建ての階段を通りリビングに入った冷蔵庫を、業者はなぜだか出せないと言うのだそう。

「なんでやねん!」

人んちの冷たい話ながら、こちらの頭が沸騰する。入れられたんなら出せるやろ!

それがどうしても出せないらしい。冷蔵庫を買った時の出し入れ職人の方が腕が良かったということか。結局数万円出してクレーンで窓から出したのだそう。長きに渡り冷たい関係を作ってくれた命の恩庫は、諭吉も連れて去っていったとのこと。


その話を聞き我が家の冷蔵庫を改めて眺めてみる。まだ元気に冷たい態度で頑張ってくれているが

「そういえば、君はいつからうちにいるんだっけ?」

昔の写真を引っ張り出してみると、馬込に住んでる時に既に彼は写っている。そっか、ベルリンから帰って直ぐに買ったんだった…となると、もう20年ではないか!あらびっくり!!ということはいつ壊れてもおかしくないんだ!!!

ということで、うちもまだ元気なうちに買い換えることに。で、知り合いの話もあったので見積りに来てもらうと、我が家も階段の幅の関係であまり大きいと窓からになると。

あちゃー。

結局、350リットルくらいの凄く大きくない冷蔵庫を一階と二階にそれぞれという、今までと同じバージョンで新調することにしました。

一階は、お酒や頂き物等を倉庫的に使うと便利なので。


それにしても、いろんな電化製品あれど命を守ってくれている筆頭は冷蔵庫ですね。改めて眺めると彼は生きているみたいで、なんだか永年の働きに愛着と心からの感謝が湧きます。

宮崎駿さんかピクサーあたりが、冷蔵庫と中身のヨーグルトや玉子、納豆や冷凍うどんたちのドタバタをアニメにしてくれませんかね。


レッスン

posted by take at 19:18| 活動報告

2017年08月03日

ナスっ!!!!!


ナスがですね、美味いんですわ。


「ナス苦手なんですよ」って人、結構いますね。

わかります。

食感かもしれませんね。生のトマトがダメな人と同じ理由で、ふにゃふにゃドロリとした感じが気持ち悪いとか。あるいはつけもんのキュッキュッが苦手とか。

味も僕は好きですが、嫌だという人のポイントは実はわからなくはありません。

むらさき色があかんのかもしれんなー。料理によっては、鮮やかすぎて、ちょっとどーよと思う時もたしかにある。


でもナス好きの多くの国民と同じように、僕には極めて愛すべき食べもの。

基本よそ様の味をこれでもかと吸うので、それがナス独自の味とうまく絡んだ時は最強です。

挽き肉とよく合いますね。挽き肉自体がたいがいいい味してますが、でもナスは旨味と甘味に本当に上手に絡む。

水ナスはこの季節の不快感を飛ばしてくれます。ビールや清涼飲料のような実力を放つことも。寒いときはしぎ焼きが身体と心をあっためてくれるし。それぞれの季節で実力発揮するあたりがゴイス。


家人が、キムチヤンニョムに漬け込んでくれました。キムチヤンニョムとは、白菜キムチ制作過程で、塩漬けした後、最後に漬け込む前に間に挟むもの。まあキムチの味の核になるもののひとつ。

これは初めて食べましたが、ナスはやってくれました。

めちゃくちゃ美味いがな!!!

夏のナスも幸せいっぱい、胃袋食欲なすがまま。

世界が喜ぶ新しい味。是非お試しあれ。


レッスン、ホルンアンサンブル

posted by take at 18:59| 活動報告

2017年08月02日

何が磐石であるべきか


人なら足腰が丈夫なこと、建物なら基礎工事が磐石であることが大事。

足腰が弱ると上半身含め、いろんな部分に支障がでるのでしょう。それは当たり前のように丈夫な足腰で歩き、日常の様々な動きが自由にできて、初めて健康に保たれている部分が多いだろうから。

基礎工事がしっかりしていれば上物がハードなものでも支えられるが、軟弱だと、上物がしっかりしていても小さなほころびからの倒壊へと繋がるのでしょう。

楽器と演奏も同様かと、ある人と話していて強く思いました。

本当に必要な「磐石な息」、「許容量の豊かな立派なサウンド」あって初めて細々としたテクニックの問題に、自身で対応し克服していけるのではないか。

逆に言うと、それが無い、そこまで息も音も辿り着いてないのに、細かいテクニックや表現と向き合うことを共有しようとしても、本人が克服の仕方がわからないのではないかと。


とても貴重な投げ掛けから、物凄く大切なことを気づかせてもらった気がしました。

明日から、スタンスを大きくシフトチェンジして取り組みたい。


レッスン、被災地支援コンサート打ち合わせ

posted by take at 18:30| 活動報告

2017年08月01日

人生三楽章形式


7月27日に厚生労働省から発表された、2016年分の簡易生命表を見て、少なからず驚いた。


日本人の平均寿命

女性が87.14歳
男性が80.98歳


女性は90歳が見えているし、男は81歳まできたんだ。結構なスピードで延びている。100歳以上の人が7万人いる時代だ。長寿は更に長寿へと。

自分が年齢を重ねたせいかこんな数字も最近になって気にはなっていたが、なんとなく女性が85か6歳辺り、男性が80歳前後だと認識していて、延びたという実感が数字から見えたのは初めてだった。


そういえば、昔は人生50年って言ったよなー……それっていつ頃だったんだろう?

と、これも調べてみると更に驚愕。今から70年前、第二次大戦直後の昭和22年で、女性が53.96歳、男性が50.06歳との数字が。

そ、そんなに最近?たかだか70年前じゃん!!それから30年も延びたの?!

ちなみに1891年から98年のデータ、今から120年くらい前は、女性44.30歳、男性42.80歳。現在の半分の長さだったんです。

食事の内容はあるだろうが、やはり医療の進歩によるものだろう(ドイツ人のアウシュビッツの人体実験によるとの説あり)。

いずれにせよ、この70年前からの時間は、人類の長い長い歴史の中で極めて特別な期間になるのではないだろうか。


いろいろ考えてみた。70年前の50歳と現在の80歳、身体の衰えや見た目は同じだろうか。

僕の想像では、当時の50歳はもちろん現在の50歳とは違うだろうが、でも同じではないのではないだろうか。もう少し弱っておらずもう少し若い見た目だが、命はもたなかったのではないか。医療の進歩は、弱くなっても生きられるように延ばしていっているのではないだろうか。(あくまで僕の想像)


このペースで延び続けるとしたら30年後、自分がその時を迎える頃は、女性90歳、男性85歳になっている可能性は高い。「人生90年」と。

そこから更に考えが進む。

もしそうなら人生を30年づつ、3等分で見つめてみたらどうだろう。

現代のイメージだと、生まれてから大学出る22歳までが子供としての期間、そこから60歳までの40年弱が成人として社会で働く期間、そこから大体80歳まで20年くらいが老人の期間みたいな。

しかし現代は就職の時期、結婚して家庭を持つ時期も遅くなっており、大体それを30歳としたとして、更にいずれ定年が65まで延びたにせよ、最後の5年位はその後の準備にもなるだろうから、60歳で線を引いてみると、いずれ人生90歳なら、

生まれて30歳までが第一楽章
30歳から60歳までが第二楽章
60歳から90歳までを第三楽章

と設定できる。更にれぞれ10年区切りで三区分に分けてみる。52歳の僕なら「第二楽章の3(2の3)」に入った辺りだと。

どうでしょう?もう50歳と考えるのではなく、まだ2だと。しかも、その3に入ったばかりと。

実際それぞれの楽章はテイストが違う。だから第一楽章が第一の人生、第二楽章が第二の人生、そして第三楽章が第三の人生と考えるのがすっきりする。

第一楽章は教育の時代
あらゆることを吸収しそれにより出来ることが圧倒的に増え、自由になっていく期間

第二楽章は家庭を持ち働く時代
社会と関わり、どんどん繋がり、更なる人間や社会の素晴らしさを吸収していく。諦めることも覚え、何より安定していく期間。全ての人が結婚し新しい家庭をもつわけではないが、持った人はそのかけがえのないものを成長させ、そこからエネルギーをもらう期間でもある。

第三楽章は人として完成していく時代
仕事は終わったりするが、いくばくかのお金で自分の時間をコーディネートし、健康に気を配り、介護をしたりされたりしながら、本来の自分の徳の大きさ分だけを受け入れながら生きていく期間。気力があればアクティブだろうが、しんどければ変化ない日常になるだろう。


問題は、全ての期間で誰とどのように生きるかだ。これが、それぞれの期間の目的に影響するし、一生を通した目的にも結果大きく関わってくる。

第一楽章では、やはり親の存在が最大だろう。出会う何人かの教師も影響力大だが、何よりどんな親と生きたのかは、生涯の運命にまで絡まってくる。

第二楽章では、出会うパートナーだろう。そして長い仕事の時間、その現場にいる仲間、または付き合いが深くなる人たち。しかしパートナーや子供の存在は、一番心の成長に影響があるだろうと思われる。

第三楽章、この時間こそ、今まで誰とどのように生きてきたかが最も影響を受けるのだと思います。

第二楽章でパートナーを諦め「仕事に生きる」と選択する人もいるが、仕事はそれなりの時期に終わり、残り三分の一の期間がやってくることはわかっていたい。

同時に、第三楽章では誰しもが独りぼっちになる可能性があることも確かだ。パートナーが先に逝くこともあるだろうし、パートナーを独りぼっちにさせる可能性も。ただ二人で全うできる可能性もある。

第二楽章までに、充実したクリエイティブな時間を過ごした人なら、第三楽章も同様に開拓していくだろう。身体への気配り、ケアも第二楽章の後半からの取り組みが影響する。この時、第二楽章で苦楽を共にしたパートナーの存在は、何よりもの宝だ。

第三楽章に入ってから、初めてパートナー、生き甲斐、健康を探そうとしてもかなり難しいだろう。そういう意味で、完成されるべき期間である第三楽章の30年は、第二楽章から、ある程度の計画性を持って迎えるべき期間になるべきだ。

「老後」なんて言葉で語ってしまいがちだが、この70年で派生した長き時間。年金他がシステムとして追い付かないのは、急激な延びによるのだろう。


ただ、僕は与えられた時間に夢と希望は持ちたい。だからこそ、それなりの時間考え、考えることにも慣れ、自分の生き甲斐を自分でこさえてから、第三楽章へと向かっていきたい。

全て、どうなるかわからないにせよだ。


休日

posted by take at 16:38| 活動報告

2017年07月31日

かりゆしウェア


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かりゆしとは沖縄の方言で「めでたい」という意味。

そんなかりゆしは、沖縄へ通う僕にとって特別な日常ウェアになった。沖縄滞在時だけでなく、東京でも着用している。

これは、うちなんちゅの生徒に

「東京の人はみんな夏もスーツなんですよね。かりゆし着ればいいのに。先生広めてください」

と言われ約束したからという大義名分の元、その個性が大変に気に入ったからなのです。

そんなかりゆしについて、今日はいろいろアピールしたいと思います。



『かりゆしウェアは、日本と関わりの深いアロハシャツをモチーフに作られています。基本的な形状やデザインはアロハシャツと似ていますが「県産品で沖縄らしさを表現したもの」と定義づけられ、区別しています。

かりゆしウェアの起源は、昭和45年に当時の社団法人沖縄県観光連盟会長の故・宮里定三氏の発案により、「沖縄の暑い夏を快適に過ごすとともに、観光沖縄をPRするため」を目的に「沖縄シャツ」の名称で発売されたのが始まりでした。平成12年に名称が「かりゆしウェア」に統一され、同年「九州・沖縄サミット」にて、各国首脳がかりゆしウェアを着用したことがきっかけで急速に広まっていきました。

広く普及し始めるとともに、デザインはもちろん、開襟シャツからボタンダウンや長袖、喪服用などのシャツもつくられるようなり、スタイルも多様化してきました。沖縄県内では、かりゆしウェアは夏の正装としてすっかり定着しており、暑い夏を快適に過ごすビジネスウェアとして多くの方々が着用しています。またクールビズの取り組みの一環として政府に推進されています。

こうした背景により、かりゆしウェアは「仕事着」や「男性が着るもの」という印象をもたれがちですが、2011年の東京ガールズコレクションでは「かりゆしスタイルコレクション」が開催され、女性向けにワンピースやチュニックなどの商品やファッションとして着用できるような新しいデザインも誕生してきています。(かりゆしウェア専門店MAJUNホームページより)』



僕はお洒落ではないし洋服選びに熱心な方ではないが、かりゆしを選ぶのは楽しくてしょうがない。

最初「サンエー」というデパートへ連れてってもらった時、その華やかな売り場に驚き、自分でびっくりするくらい夢中になり選んでいた。

なんたって、派手でお洒落なのに「正装」「仕事着」だというギャップがたまらない。華やかでデザイン性の強いフォーマル。若者のお洒落着のようなシャツを、ワイシャツとして選ぶようなもの。

最初買って大学に着ていく時「派手過ぎるかな」と思いながら行くと、専任の先生方はもっと賑やか艶やかで、琉球の情緒に感服したものです。

驚いたのは、仕事から帰ったらかりゆしは脱ぎ、普段着に着替えると。それは無地のポロシャツだったりするそうで、仕事の時の方が派手なのです。

僕もN響や大学に行く時は着てますが、休みの日はきちんと(?)普通の格好してます。

生徒に聞いたところ、新入社員は初期の頃はスーツだったりとか。ある程度時間が経ったらかりゆし解禁になるところもあるそう。正装とはいえ、キャリアを選ぶのか。

喪服としてのシャツもある。真っ黒のシャツに薄く柄が入っている。なんともお洒落である。


沖縄はとにかく暑い。暑い時期も長い。かりゆしも4月から11月までが着ることを奨励されているが、今年なんか1月の前半でも半袖だった。

若者のかりゆし離れを危惧しての流れもあり、最近は特に様々なデザインがとにかく華やかで、楽しいかりゆしワールドが更に沖縄を明るくしている。

仕事着としてだが、これからはお洒落着としても許容されていくのかもしれない。


ホテルで貸し出してたりするし、那覇空港でもかりゆしを着た観光客がたくさんいる。仕事ではなくても、琉球の気分を満喫するには最高のウェア。

彼らの満面の笑顔からは、素晴らしいこの島の愉悦がシャツの力も相まって、溢れまくっている。


これぞ、でーじ(とても)かりゆしである。


休日

posted by take at 16:55| 活動報告