2020年07月22日

芸術の謎解き


日曜美術館を見ていると、音楽と美術の違いを番組の内容から強く感じることがあります。


「美術作品を鑑賞するという楽しみは、妄想する楽しみだ」と生徒たちに伝えたことを、ここにも書いたことがありました。作品自体は動かない、動くのは鑑賞する人の内面で、その変化により見え方にも変化が訪れると。

方や音楽は、時の流れと共に生まれては消え時間を移動する。鑑賞者は受けとめながら、考えるというよりは感じていくもの。

音楽は一方的に浴び、美術は時間の扱いが鑑賞者の方に委ねられているとも言える。


日曜美術館では、信頼のあるナビゲーターや美術作品に造詣の深いゲストがスタジオや現地から鑑賞し、とにかく彼らが感じたことを喋る喋る。

その大半は、作品説明や知識の伝達ではなく、個人的解釈。それはまるで謎解きのようであり、大半が真実というよりコメントする人の「思い」に近い。教え伝えたいというよりは、そう妄想が辿り着いたことに喜びを感じながら、自分の創作や生き様に活かしています的な「吐露」のようにも感じられる。

「ららら♪クラッシック」ではそれに近いことがなされているが、それでも知識の伝達の割合が多く、音楽におけるこの手の番組の作り方の難しさが垣間見える。

よって通常の音楽番組では、最低限の情報、または演者のインタビューを少し流した後は、とにかく演奏を披露するだけ。テレビの中からは極力喋らず、個人的思いは視聴者がそれぞれでやってくれと。

面白いものだなあと思う。

あらゆる方向から見ることができる作品たちを前に「美術は結論がはっきりせず謎めいているからいいのだ」とのコメントと共に、本当にその答え探しを楽しんでいるように見え、謎解きが好きな人種がこちら側にいるのかなあとまで思ったとき、じゃあ音楽における謎は?謎解きは?と。


それは私たち携わっている者にも説明のつかない「感動への道筋」だろうと思う。

言葉や知識、理屈では決してたどり着けない、心から発する音による喜びへの真実。震える心、流れ出る涙の真実。

崇高とも言えるこれに勝る謎はないし、苦悩を超える喜びと共に、演奏家の謎解きは永遠に続いていくのだと思う。

posted by take at 17:57| 活動報告

2020年07月21日

ぎっくりのEXITはいずこ?


籠っているのにぎっくり腰になりました、というところまで書いて、ぎっくりって必ず外でなるものとは全く限らないなあと思い、思考もぎっくり籠ってるのかもしれないと思っている今日この頃のオレだあ、あ、失礼しました、昨日からの僕です。

今回は酷く、もうふた晩寝たけど完治しません。楽器もまともに吹けず、家人に全てお世話になりっぱなし。 

寝てるか、EXITをYouTubeで見るか、ぺこぱをYouTubeで見るか、かまいたちをYouTubeで見るか、上沼恵美子をYouTubeで見るかと、第七世代も徹底できない日々を送っています。

突然きたのでどの動きが原因かはわからないが、パリピがナイトプールって言葉だけ覚えても、痛みはとれない今日この頃のオレでしたあ!

時を戻したい‥‥(涙)

posted by take at 18:44| 活動報告

2020年07月20日

ニュー・スイカ・ライフ

 
家人はスイカフェスティボーになると、実〜(?)をストレートに楽しむだけでなく、あらゆる料理にしてしまいます。

当然皮も使う、というか皮がいろんなものに化けるのですが、サラダになったりキムチになったり。

昨夜はついにカレーに溶け込み登場。スイカカレーっていうと、ええっ⁈て印象だと思いますが、これがいけるんですねぇ。

甘いスイカがガツンというのではなく隠し味的にいる。これがまたいい!新しい味わいで美味しゅうございました.

最後にルーだけお代わりしていただいた(飲んだ)んですが、あと引きまくってゴクゴク。

スイカが、日常の新しい彩りになりつつあります。(^_^)

posted by take at 18:15| 活動報告

2020年07月18日

ケランチム


【ケランチム (gyeran-jjim、朝鮮語: 계란찜) は、朝鮮の蒸し卵料理である。朝鮮語で「ケラン」は「鶏卵」、「チム」は「蒸し(物)」を意味する。バンチャンとして食べられる。主な材料は卵と水で、他にネギ、唐辛子、セウジョッ(アミの塩辛)、タラコ、塩、胡椒、ゴマ、野菜等が加えられることがある。水の代わりに鶏肉、牛肉、魚介の出汁を用いることもある。ケランチムを作る際には、加熱しすぎないように細心の注意が必要である。軽くふわっとしたケランチムが理想とされる】


テレビで烏骨鶏の玉子を使い作っているのを見ながら「美味しそうだなあ」と呟いたら、数日後出てきました。

家人は僕の呟きを聞き逃さなかった。

参鶏湯はじめ我が家でも大活躍の、韓国料理には欠かせない陶器、トゥッペギで本格的に。黒いトゥッペギに黄色い玉子の色もいい感じ。

テレビでは韓国風茶碗蒸しと紹介されていたが、日本のよりふんわりとジューシー。 我が家の秘密兵器「野菜くず」も入っているとの味は、衝撃の美味さ!


こ、これはっ!!((((;゚Д゚)))))))


卵料理はあらゆるものを食べてきたし、今更新しいのなんてって思っていたが、頭で生卵を割ったくらいの衝撃が。


これは美味い、めちゃくちゃ美味い!


今一番好きな卵料理をと聞かれたら、半熟オンゆで卵も卵かけご飯も抑えて、間違いなくケランチム。 いやあ、長生きするもんだ。まだ知らない卵料理の味があったなんて、とにかくびっくり。

家人のおかげで、またひとつ生への執着の理由ができてしまいました。

posted by take at 17:15| 活動報告

2020年07月17日

欲の強弱


欲をはかるときにまず浮かぶ言葉が「欲深い」。ただ欲が浅いとはあまり言わない気がする。欲が強い弱いというのもあまり言わない。

有無ではよく語る。「出世欲がある」「食欲が無い」みたいに。

「意欲」という欲はやはりある無いで語られるが、僕には実は強い弱いがイメージしやすい。それは表現意欲をそう語ることが多いから。


以前も書いたことがあるが、ある音大教師の嘆き、「全然そんなレベルじゃ無いのに、やりたいからと吹けない曲を持ってくる」と。身の丈をわきまえないという評価だが、僕はいつもこの意見を素直に聞くことができない。

自分の力の範疇のものばかりやっていたなら成長は望めない、本番までに吹けるようになりたいという意欲からの選択なら、応援したい気持ちは強い。

ボクシングを始めてまだ1ヶ月なのに世界チャンピオンとやりたいというなら身の程知らずと言えるが、成長こそを望む学生に違和感があるなら、表現意欲からの克服意欲の弱さこそが問題であり、そう見えた瞬間、教師には非現実的にしか映らず、嘆かわしくもなるのだろう。

自分にとって難易度が高いということは、その曲自体が強いということ。その強さに向かっていくなら、自分の中には対抗する強さ、なんなら向かってくる力以上の強さがなければならない。

うさぎと闘って負ける人間はいないだろうから、こちらもさほどのエネルギーはいらないが、相手が虎やライオンなら腕力や技だけでなく、集中力や判断力、そして倒すという意志を決定づける生きる意欲の強さが何より不可欠ということは、誰しもにわかりやすいことだ。

私たちが取り組む楽器は正しく難敵であり、曲もうさぎのように容易いものばかりではないどころか、虎やライオンがあちこちにいて、彼らと出会わずに済むというわけにはいかない。

よって強い表現意欲を持たざる者は、返り討ちに遭うばかりであり、練習さえすればなんとかなるということではない。

強い意欲が自分の中から湧き上がり、強い集中力と共に倒しにいくような演奏者しか、人の心を動かす演奏は無理なのだ。

posted by take at 07:42| 活動報告