2018年10月29日

Okica

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「先生、OkicaとSuicaが連動してないのが凄く残念です」

沖縄県芸のうちなんちゅ楽聖は、この夏の上京時Suicaを購入したのだが、日本全国の大抵の都市で使えるようになったこのカードが、那覇のゆいレールやバスにて使えないことを知って、まことに悔しがっている。

そしてそんな那覇には、僕が通い始めた四年前辺りからOkicaというオリジナルカードがある。早々に購入し利用している僕は、ことある毎にこのカードをあちこちで見せびらかしてきた。


「いやあ、ほら僕ったらさあ、沖縄通ってるじゃん。だからこんなカード使ってるんだよねぇ」


すると大抵の方々は羨ましがってくれるわけで(そんな気がする)、このうちなんちゅの気持ちはわからなくはないが、実際沖縄で使った回数よりやまとぅんで見せびらかした回数の方が多いわけで……


ふと思う。


でもOkicaとSuica連動したら、確実にSuicaを捨てOkicaを日本中で使うなあ。で、ことある毎に


「あ、君Suicaなんだ。え?僕?僕はほらこれ。これOkicaって言ってさ、沖縄でのカードなのよ。あ、僕さ、沖縄通ってるんだよねぇ。え?行ったことない、あっそー、そーなんだー。もし行くことあったら何でも聞いて。分からないこと以外は何でも教えてあげるからさー。まあ、通ってるもんでね、沖縄。モノレールもこのカードでね……」


うざっ!!調子ん乗ると、そのうち難来有さー!!!


琉球新報、沖縄タイムス取材、沖縄県芸レッスン

posted by take at 21:17| 活動報告

2018年10月28日

世界観 空気感


世界観、空気感は人によって持ち合わせているものが違う。

ただ、携わっているジャンルに相応しい空気感のタイプというのはやはりある。相応しくない世界観も。


最近の僕、指揮者に対しては、その人の演奏や立ち居振舞い、言葉から醸されるこの空気感や、私たちオケマンや聴衆を誘ってくれる世界観がファンタジックであり、原点である西洋の時空間を感じさせてくれる人を望みます。

それがあれば、多少棒がわからなかろうがなんだろうが、全くかまわない。

実はそんな指揮者が少なく感じられる。

棒のテクニックがあり、よく勉強もしてきており、アンサンブルもやりやすいように示してくれたりするが(実はこれはこちらの仕事だったりする)、香りたつ空気感がない、その世界観に幻想的なイマジネーションを感じられず、なんだか現実的にオーケストラが鳴るだけみたいな人が多い。歌っている歌ってないとかとは別の話。


僕自身が、50を過ぎてから特にそういうことを望む価値観になってきた。

細々と、うまいことテクニカルにまとめたり、「勉強してきました!」「僕の気付いたアイデアどうでしょう?新鮮で今までになく素晴らしいでしょ?!」とアピールされても、とにかく、空気感からの世界観こそが


なんにもない


みたいに感じられたなら、たいしたことないとしか思えない。少なくとも、僕はあまり価値を感じられない。


これは演奏家としての自分にそっくりそのまま反ってくる言葉だと思う。

自分も、テクニックやミスなき完成度だけを感じられてしまい、それ以上のファンタジーを見つけてもらえなかったとしたなら、それこそ現代を彩るテクノロジー発展至上の空気感、そのスタンスにのっかった今風の凡庸な演奏家として、いずれまるでいなかったように忘れ去られてしまうのでしょう。


そうは言っても自分のことはよくわからないのですが、少なくとも音や音楽観に言葉にならない何かが宿るよう、感性の幻想性についてこそ感じようとするしかない。


N響郡山公演

posted by take at 20:16| 活動報告

2018年10月27日

今日のプリちー


NTTのレッスン後の酒席は

狭きスタジオでの大人数(八畳くらいか?ドラムセットもあるなか、マックス10人による3時間)による大人たちの知的な頑張りからの解放、新宿ですら屋外の空気が美味しく感じられたこと、スタジオに入ったときはまだ明るかった大都会が色を変え暗闇に灯る無数のネオンがオッサンズと淑女たちの疲れた身体のテンションを煽ったこと、喉が砂漠で胃袋内が空洞へと向かっ………


とにかくチョー盛り上がったのである。ワンチャンだったのである。


そんな中、今日一番の可愛い瞬間は、無計画無計算の志向から突然発せられた。

「劇おこプンプン丸」について、過去深く掘り下げて研究を重ねた際、JKの怒りのレベルフィールドの中では中の下であり、つまりあまり怒ってないはずで、しかも一番下のレベルの「おこ」については確実に一ミリも腹立たしくないはずで、そもそもカムチャッカファイヤーはじめこれらのファンキーなワードを口にしている段階で、感情は怒りに支配されているのではなく、逆に女子が好むコミュニケーションツールとしてのオリジナルワード発動からの共感力ゲットのみが目的ではないか、女子ってそーだよね


みたいなけとを、ホッピーの力を借りながら流暢に力説していた僕が、その数十分後話題もすっかり変わっていたのに、もうぺろんぺろんになりつつあり、再びプンプン丸に登場してもらい現状の話題に彩りを足そうとしたらしく


「ほら、にこにこプンプン丸がさ」

「……」

「だからぁ、にこにこプンプン丸がさぁ」

「劇おこですよね」

「あ……」

「それだと凄く可愛いですよね」


周りの淑女たちの絵顔を見た瞬間、酸素の薄い八畳での3時間より、たった今こそ今日一番の仕事を成し得たのだと確信したのでした。


やはり、鯛鯖鯵とボケは天然が一番。ワンチャンでなのある。


N響練習、NTTレッスン

posted by take at 10:34| 活動報告

2018年10月26日

本日の確言


真の教育とは

次の瞬間、今日、明日、理解したり出来るようになることを指し示すのではなく、生徒が遠い将来幸せになれる、そのための方向の中から、ほんの一粒のアイデアを放つことである。

人間がすることもするべきことも、全てのことは「幸せに生きていく」というたったひとつの絶対理由の中で、もれなく繋がっている無数の塵のひとつでしかないのだから。


アンサンブル練習、川越へ

posted by take at 10:29| 活動報告

2018年10月25日

本日の確言


『教育とは釣りのようなものである』


投げて、信じて、待つ


川越へ、N響定期

posted by take at 10:06| 活動報告