2018年07月06日

細かくごぞごぞ


腰痛で悩む人が周りに多い。そんな会話も多い年齢です。

酷いパターンでは「腰部脊柱管狭窄症」として、手術まで余儀なくされている人もいる。

僕も年々、腰痛で悩んでいた父親の息子らしくなってきました。時期によっては毎朝ベットから降りるのに一苦労、なんて時も。


こりゃ日常生活の形態に問題あるんだろうなあ


リビングでは、テーブルも椅子もあるのですが座卓と座椅子での時間がかなり長くなっていて、これがよくないのかもと思い、新しい椅子を買いに行きました。

そんなにこだわるつもりはなかったのですが、大きな家具屋でいくつも座るうち、どんどん希望が定まってきて、結局高額なものを購入しました。

で、この椅子での生活がはじまり………気づくと、随分腰痛がとれていたのです。


何が良かったのか考えてみました。

もちろん「ストレスレス」と謳った座り心地も良いのですが、かなりフラットまでスムーズにリクライニングができること、そして360°くるくると滑らかに回転することかなと。

リクライニングに関しては段階ではなくスムーズに動くもの。左右のストッパーで途中安定させることができるシステムですが、実は一回も使ってません。

そして左右にくるくる回転させながら、足置きのオットマンだけでなく、更に高い位置にあり伸ばせば届くエアロバイクのサドルに足を乗せたりと、細かくいろんな格好をします。


そーか、どんなポーズでも、それが身体に負担がないようなものでも、同じ格好のキープが具合悪いんだ。


自分で無意識に、リクライニングと回転を繰り返し、とにかく椅子に座ってはいるのですが、あまりじっとしていない。基本かなりフラットで寝ているのに近いのですが、足の高さもあれやこれや。


体力作りのためアクティブに動き、しっかり休むことが大事なことは分かりやすいが、本当は人間、休む時も、小さく細かくごぞごぞ動くのが、身体には良いのかもしれない。

寝具なんかもそれもあり、固まらないようにあれやこれや研究がなされているのかと思いました。


大塚へ

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2018年07月05日

自己ベスト更新


レッスン中、投げ掛けを生徒が的確に把握からの実践。

その曲がうまく吹けたというだけでなく、彼の過去全てのどの演奏よりも良いプレーができたとする。


「今のって、今までの〇〇(生徒の名前)の演奏の中で、ベストパフォーマンスだね!」


録音や録画で確認ができれば更にいいが、いずれにせよ生徒の更なる気づきからの目標、目的設定に繋がるよう、この発言は言いそびれないようにしている。


本当はこの『自己ベスト更新』こそが頻繁にくることが望ましい。


そのためには、音楽性、音、技術、音域やハイテクニック全てにおいて限界を感じず、一ミリでもより好意的な印象を目指して、創意工夫しながら憧れ続けるしかない。


自己ベストは次の瞬間自分の持ち物になり、憧れの対象ではなくなる。

更なる高みは、まだ見ぬ素晴らしさへの渇望からしか生まれない。


川越へ

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2018年07月04日

関心


人間として、というか生き物として生をうけた以上、自分自身に関心のない人はいないと思う。全ての人が、自分のことには言葉や数字で表せないくらい興味も関心もあるだろう。

「自分ですか?まあどうでもいい方ですね」とか言わず、それはそれは驚くほど興味があるということは、実は自覚していた方がよいのだと思う。

当然だが、自分にガッツリ関心があることは悪いことでもなんでもない。当たり前のこと。


どんな仕事ができてどれくらい成果があげられる能力があるか、そしてお金が稼げるか。若者たちは特に自分の未来に関心があるだろうが、この力とは別に、人間性の評価こそが、最終的に人生の財産として幸不幸の分かれ目になったりする。

どんなにお金を持っていても、たくさんの人と付き合っても、最後はペットしか信頼できないという人はいるし、万人が羨むような能力で有名になっても人間性の悪評で蔑んで見られたりもする。

「最高の財産は人である」と信じられれば、その人たちの好意的評価こそが、最後は幸せをもたらしてくれると分かるはずだ。


人間性の評価、それはあくまでも周りの人がする査定。

そのいろんな要素の中で最も影響力をもつ資質は、自分以外の人にどれくらい関心があるか、そして自分に対する関心と、どのようにバランスがとれているかが根っこにあるのだと思います。

「人が好き」「自分オンリー」と分かりやすい人も多いが、実はそうでもない人もいる。

社交的で明るく優しく接する人でも、実は自分にしか関心がない人もいたりする。

口下手で、あまり多くの人とは付き合わなくても、実は自分だけでなく、周りの人に関心がある人もいる。

前者は、自分の喜びや幸せの優先のために、言動が結果周りを利用しているだけという場合が多い。

本人はそのことを悪いとは思わない。とにかく自分が優先されなければならないし、周りの人のそれには興味がないから、当たり前に思い、そうではない他人を優先している表現と違っていることには気づけないだろう。そもそも自分と周りを比べない可能性も高い。

更に能力に長けていたり、社会的立場含め実力者だったり、そして話しが上手かったりなんかした場合、周りもその人を立てることが多いので、利用されていると気づけないこともあるだろう。


自分自身が能力として持っている「関心をもつ」という力、それが自分だけか、プラスそれ以外にも向いているか。

それは先天的だったり育ちだったり、子供の頃から定まっていたりするのでしょう。

社会の荒波の中で長く生き半世紀も過ぎていくと、大抵の人は角が取れ丸くなっていく。それなりにもめないような話術や相対し方も覚え、無駄に喧嘩にならなかったりもしていく。

しかし、この周りに関心があるかどうかは、結局若き頃からの資質のまま変わることはないようだ。


話したがる話題がどのようなタイプのものか、ある題材についてどう語りたがるか辺りで、この資質は見えてくる。

優しい口調でもあまり相手にたどりついてなさそうな人、直ぐ自分の話しになってしまう人、情が深そうに表現するが結局自分のそれに酔っている人。

自分をほったらかしで人の面倒ばかり見ているなんてパターンもあるが、それもそうしたい自分ばかりが内在しているという人、つまり相手には実はそこまで関心はないという人も多い。


最終的には、日常的に何についてどう語っているか、それを感じている周りの人の評価、その多数決で結果は決まるから、自分が操作できることではない。

ただ

「自分にだけ関心があり他人には無いというのでは、結果さほどの幸せしか手に入らない」

と理解しておくくらいしかない。


我が関心と社会との関わりの自覚、バランスを保つことが、人間として努力すべき最大の課題なのだろう。


ジパング

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2018年07月03日

冷やしうどん

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「冷やしうどん」食べてみたくなる。

あんまりないすよね。讃岐でも店にはない所が多いが、子供の頃は近所の定食屋でも食べたりしてました。

うどんの器もプラスチックで周りがギザギザ、薄い青だったり白だったりする定番のがあった印象。夏メニューらしく、そうめん同様涼しさ強調で。


そう話していたら、家人が出してくれた。

氷浮かべた冷たい水に、真っ白なうどんが泳いでいる。既に美しい。

それを柚子胡椒風味の出汁で。


やっぱうまいやん!!


味もいいが、冷たいもん食べてる快感が身体を喜ばせる。つるつるノンストップ、麺の冷え具合がいつまでも飽きず、ずっと一口目みたいな嬉しさを持続させてくれる。

ざるよりは当然だが、そうめよりも「冷たい感」が強い。しかししっかりと小麦の味も感じることができる。


アイスうどんやね!!


柚子胡椒の風味ももう、チョベリマッチングーであり、あっという間にペロリ。

朝ということもあり、一玉だけだったが、温かいのを食べるより量的にはもの足りなく感じる。きっとふた玉食べても、まだまだいける感じじゃないかなあ。


冷凍うどんでちゃちゃっと簡単にできる。そうめんより楽。ざるもいいけど冷やしうどん、チョーいいっすよ。


皆さんもいかが。


休日

posted by take at 17:46| 活動報告

2018年07月02日

熱い男


とにかく暑く、気がつくと自分も発熱しているのがわかる。体温高いんかなあ〜〜。

そんな自分なのに、満員電車や席の隣に「熱いおじさん」が乗ってくると、


んがっ、あ、熱っ (;TДT)


と密着したくなくなる。密着どころか近寄っただけで熱気が感じられるので、そもそも至近距離が辛い。

ということは、世の中の方々は、発熱った僕との接近はノーサンキューということになる。

ご迷惑かけている気がして、残念やらもーしわけないやら。


どうせ熱を帯びるなら、それを何かプラスにいかせないだろうか。再生エネルギーみたいな。

着ているものが自動的に洗浄されるとか。

熱を貯めてスマホや腕時計のバッテリーが充電されるとか。一定以上の時間熱がたまることで、スイカにポイントがついていくとか。


……あ〜〜暑くて、知性が溶けていくぅ〜〜〜


川越へ

posted by take at 16:12| 活動報告