2019年02月05日

ウサギとタケ・タケ&スティッチ


夢の国の住人とその妃と赤坂で飲んだ夜のこと。

住人(チューバ吹き)が


「誕生日………ミッフィーと一緒ですよね」


おっ、知ってくれてるね、まあ、僕くらいの人気者にな


「実はもうひとりというかもう一ぴきというか、同じ日でして…」


な、何?彼が言うなら、夢の国にいるやつか?誰だろう??東京ディズニーリゾートの社員っていうわけじ


「それはスティッチでーす!!!!」


次の瞬間、赤坂の居酒屋の店内と舞浜のシンデレラ城のバックに、華やかな花火がうち上がった。


なんとかー、スティッチいうたらあの青い怪獣か?たしかピンクのもおったの!!

で、彼からスティッチのタオルとディズニーキャラの缶に入った煎餅セットをもらってご満悦になったのだが

まあびっくりしましたね。ミッフィーねえさん(1955年6月21日63歳)だけでなくスティッチも一緒とは。年齢設定は無いが、ジャンバ博士が作った626番目の試作エイリアンとのこと。


さすが俺だなあ、ただでは生まれないなあと自画自賛しながら、あまりよく知らないスティッチを知ろうとネットで調べたらあーた!その素性を知ってび、びっくり(*゜Q゜*)さ!!!!


『ウォルト・ディズニー・ジャパン代表取締役であるポール・キャンドランドが沖縄県に1994年から4年間移住した経験から、2006年から沖縄県を題材にしたアニメ作品の構想を練っていた。2007年10月31日に仲井眞弘多沖縄県知事に竹富島を舞台にしたテレビアニメの制作を報告し、翌年10月7日に東京都内のホテルで「スティッチ」の制作発表会が行われた』

なんとかー、沖縄なんかー!

『日本の沖縄にある架空の島・イザヨイ島を舞台にした作品。スティッチ、プリークリー、ジャンバ、エンジェルなどのオリジナルキャラクターに加え、ユウナ、おばあ、ギジムナー(沖縄県を代表する妖怪)などの新キャラクターが登場する』


まじかー!おばあにギジムナーとかー!全然知らんかったがー!!

なんかわからんけど、さすが俺やのー!!!


川越へ

posted by take at 09:00| 活動報告

2019年02月04日

肌色&オレンジ


人生において、担々麺を楽しんだ延べ時間がある一定量を超えたのだろう。

Facebookで人が投稿している写真、スクロールし登場するどんぶり上の肌色とテカるオレンジのまだらが見えた瞬間


嗚呼、担々麺か………いいなあ


お腹いっぱいでも思ったりする。


だが、先日お気に入りの店の担々の味がかなり変わってしまっていたのは落胆した。落胆々麺。

ドロドロのゴマペースト感がストロングになっていて、食感含め濃厚路線を強調したのだろうが、僕にはちと濃過ぎ。

たった今Facebookで見た、あの人が食べたやつが見るからにバッチグーであり、彼が憎らしく思えてくるくらい。

淡々としていられない、僕の胃袋がそこにあります。


川越へ

posted by take at 19:47| 活動報告

2019年02月03日

コンクールとリサイタル


「コンクールでのあの人の演奏、リサイタルみたいだったんですよ」


時々聞く賛辞なのだが、僕には違和感がある価値観です。

コンクールでの演奏がリサイタルでやるものと違うのが大半だとしたら、いかにもコンクールらしい演奏というものがリサイタルで聞けるのと違うのだとしたら、それはどんな演奏なのだろう。

リサイタルだと自由闊達で、コンクールだと型にはまったような堅苦しさがあるということだろうか?

オーケストラのオーディションにおける課題曲ならわかるが、ソロのコンクールで、リサイタルで披露する演奏と違うのが大半だとしたら、それは何を評価する場所なのだろう?

あまり自由なイメージの個性を出しすぎるとコンクールでは評価されないから、出来る限りスタンダードで楽譜を逸脱しない演奏をというなら、やはり評価の観点が片寄っていて、コンクール自体の価値に疑問が出てくる。


リサイタルみたいな演奏というのがクオリティが高く、大半がそこまでたどり着けていないということなのだろうが、受ける人が自分の何を評価してもらいたがっているのか、そもそもなぜコンクールを受けるのかということがぼやけているとしたら、きっと受けるだけ無駄で、意味のない労力となる可能性は高い。


僕はコンクール懐疑論者ではないが、それでも時代の流れの中で、社会とコンクールというのはゆっくり変わっていっている気がしています。


音楽を演奏していきたい人が理解しておくべきは、聴衆としてコンサートを聞くというごく当たり前の聞き方に比べ、コンクールの聞き方(最初から加点や減点を探そうと聞く)は凄くアブノーマルな聞き方であり、だからそれ用に仕上げようというのは、演奏行為としても決してノーマルではなく特別なやり方だということ。


合奏のコンクールにありがちだが、しかしソロは個人の音楽性こそを評価するもので、リサイタルで聞けるものと違うものというのは、やはりよくわからないのです。


帰京、レッスン
あの吹奏楽団の定期演奏会、コンクールみたいに完成度が高かったというならわかるし、大半のバンドはその方向を向いて取り組んでるでしょうし。

posted by take at 19:18| 活動報告

2019年02月02日

お金と息


入ってくるお金以上に使おうとする人は貧乏になる。入ってくるお金よりも使わない人はお金持ちになる。

吸った息より多く使ってしまう人はフレーズが続かない。吸った息より少なく使おうとする人はフレーズが長くなる。



入ったお金より多く使いたがる人は無計画である。入ったお金より少なく使おうとする人は計画的である。

吸った息よりたくさん出してしまいフレーズが続かない人は無計画である。吸った息より少なく使おうとする人は計画的である。



入ったお金よりたくさん使ってしまう人には余裕が無い。入ったお金より少なく使おうとする人には余裕がある。

吸った息よりたくさん出してしまう人は余裕の無い表現しかできない。吸った息より少なく使おうとする人は余裕のある表現になる。



入ったお金よりたくさん使ってしまう人を「財布の紐がユルい」という。入ったお金より少なく使おうとする人を「財布の紐が固い」という。

吸った息よりたくさん使ってしまう人は息の出口がユルくアパチュアも大きく振動も粗くなっている。吸った息より少なく使おうとする人は口元がしっかりしていてアパチュアも絞れており振動も細やかである。



入ったお金よりたくさん使ってしまう人を「金銭感覚が無い」という。入ったお金より少なく使おうとする人を「金銭感覚がしっかりしている」という。

吸った息よりたくさん使ってしまう人を「ブレスコントロールができない人」という。吸った息を少なく使おうとする人を「フレーズ感が魅力的でまるでブレスをしていないようだ」という。



それでもお金も息も、使わないと入ってこない。


N響福井公演

posted by take at 12:58| 活動報告

2019年02月01日

爆笑という宝


人を笑わせるのが好きだ。


笑顔にして幸せを願うとか、そんな高尚な気持ちではない。爆笑になる瞬間がとにかく好きなんです。

心に溜まったマイナスが一気に目減りするようなパワーが素晴らしく感じられ、サプライズでプレゼントを貰うときのような喜びに、なんともいえない価値を感じてしまう。

そう、人間にとって爆笑の瞬間って宝物みたいなもん。

どんなに偉い人、ムスッとした人、カッコつけた人、暗い人相手だって、ただの人間だから、不意討ちのように腹筋を揺らし、爆笑させることができるはず。

それが二人の平和、家庭の平和、アンサンブルの、オケの、日本の、そして世界の平和に繋がるアイテムとして、同じく楽しいお酒と共に、いや、副作用か無いぶん爆笑の方が更に徳が高いのだと確信する。


音楽と爆笑じゃなかろか


で、昔憧れたりはしたが、プロのお笑い芸人になると実は大変だと、今ならよくわかる。

プロっすから、求められるクオリティがね、タイミングもね、常に欲しがられたり。

いやあ、そりゃ大変よ。毎日どの時間帯でも、はいどうぞって言われたら最高の音でノーミスで感動的な演奏しろって要求されるくらいね。

だから素人の爆笑生みニストとして、これからも精進します。

アマチュア笑ニストとでもいいますか。


実はもっと実力を高めて、頻度をあげたい。正直若いときよりは、多少スキルはアップしている気はします。

でもね、本当に難しいと思うんですよ、笑いを生むって。失笑は比較的簡単で、まあそれなりに頻度高く。


アマチュア素人ではありますが、これからも諦めず、理想こそを心に増やし生きていきたいと思います。


N響京都公演


posted by take at 12:28| 活動報告