2017年08月14日

教師の責任


「今の時代は、なんでなんでも子供の意思を尊重して、彼らに決めさせてなんて流れなんでしょう?」

現場で頑張るある教師の嘆きを聞いた。


この流れの根幹にあるのは、その人らしく生きてほしいというのと別に、責任感を育てたいという美しい気持ちと、自分が責任を負いたくないのでという厭らしい気持ちの両方が混ざる価値観があるように感じられる。うがったような見方ですが、自戒の念も込めてです。


このフラストレーションを解決すべく、完全に反対をやるというのは、

「一人一人の子供の意思、希望、個性はおいておいて、全て上意下達でやるべきことを指示し、教え、伝える」

となる。

それこそ今の時代だとこの言葉に恐怖感すら滲んで感じるので、多分うまくいかないだろうというムード満々だが、それでも個別に対応したりするよりうまくいくこともあったりするのだろう。


きちんと上意下達で伝えなければならないこと、要求しなければならないことと、その上で若者が自らの沸き上がりを主張することの両方でしょうね、必要なのは。

何こそをはっきりやれと言い、何を探せと言うのか。それを的確に知りたい。


教師に必要なのは土台造りでしょう。逞しく力強い土台。これこそを間違わずに要求し、あらゆる可能性に自らが応えられる人へと導く。

土台の重要性を教え、要求し、そこには教師として責任をもち、後は見つめ続ける……


高松一高レッスン

posted by take at 15:37| 活動報告

2017年08月13日

管楽器奏者とフィジカル


【フィジカル】

physical

1(精神的と対比して)物質(的)の,物質界の (⇔spiritual); 自然(界)の

2身体の,肉体の (⇔mental,→psychic)

3【限定用法の形容詞】 物理学(上)の,自然の法則による

4(スポーツで)〈人・行為が〉荒っぽい


スポーツでいうフィジカルの強化、フィジカルが強いというのは、シンプルに2の「身体・肉体」ということ。この場合、対義語としては「メンタル」となっていますね。

我々の世界とフィジカルの強化なんてのをシンクロさせると、あの時代の吹奏楽部の

「腹筋200回じゃあ!」

くらいしか思い浮かばす、特に最近の桜の園部では、まるで見当たらないのだと思う。

ひとつ言うなら「口回りの筋力の強化」というのはあるが、それは普段の練習がそのまま「強化トレーニング」になっているし、そこを強化してからどうこうというより、音を鍛えたり音楽を鍛えたり(?)というのが同時進行。意識としても、練習をしていることが身体や肉体を強化しているとはイメージしにくい。


ただ「フィジカルが強い=逞しい身体」と考えると、逞しい音には逞しい息が必要で、その流れが作れる身体は必要。

「逞しい息が流れる身体を作る」ということを意識した場合は、フィジカルの強化、強いフィジカルというのは必要な考えだと思う。

つまり『管楽器の演奏には屈強なフィジカルが必要だ』と。


高松へ

posted by take at 19:17| 活動報告

2017年08月12日

実は……


「聞きに行って本当に良かった……」

と思われる演奏をする。


これができる人というのは、この最難関課題に対して、真っ向から向き合う人だけだろう。


とにかく簡単ではない。


なにせかなりの感動が必須だし、しかもそれが聞き手の生きざまやその時の精神状態とリンクしなければならない。

聞き手一人一人の状況というのは、演奏家には全くどうすることもできないので、それならもう誠心誠意音楽に奉仕して、

「これぐらいの演奏なら、自分は感動する」

というところまでもっていくしかない。それで相手の琴線の震えを信じて、祈って、賭けるしかない。

とにかく余裕をもち、聞き手の耳の集中度×耳の数くらい自分こそが没頭し、全身全霊をもって取り組むしかないのだ。


それはそれで相当大変だ。並の労力ではない。そのつもりで準備し、そのつもりで気持ちを作らなくてはならない。

だがそれしかない。「聞きに行って本当に良かった」と思わせたいなら。


ただ……

自分が100%そうできているか、はたまたできていないかは置いておいて

「聞きに行って本当に良かった」とまでは思われない演奏をする、またその程度のことを目的とする

そんなことをすることに、何か価値とか、何か意味があるのだろうか……


よく考えてみたら、見つからず、そして無駄だと理解した瞬間、初めて凍る背筋がある。


休日

posted by take at 22:24| 活動報告

2017年08月11日

豪快泡盛伝説

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コンサートの打ち上げは、大学直ぐ近くの居酒屋。うちなんプレイヤーや大学の友達たちも参加して、賑わい溢れる沖縄らしい会になりました。

楽聖たちは、各々のミスを悔やんでいる。ゲネプロまでが大変に完成度高く仕上がっていたので、余計悔しいのでしょう。

これは全ての人が通る道。問題なくうまくいくことは素晴らしいが、失敗こそが未来の自分を安定へと導く糧になる。全体を通しては、大変に素晴らしい出来だったのでなんくるないのだ。


ビールを一杯やった後は、当然泡盛。最近は「菊の露ブラウン」がお気に入りなので、四の五の言わずにボトルでもらう。なんくるない。

で、飲みたい人が多いみたいだとわかると、店の人は、写真の後ろに写っているピッチャーを氷満杯で持ってきた。

わからない僕らが、そこから氷を琉球グラスに分けようとすると、

店長夫人「ちがうちがう……」

すると、すかさずうちなんのプレイヤーが

「ボトルを入れちゃうんだよ」

と。


あ、この中で水割りつくっちゃうのね!


楽聖が、ドボドボ泡盛を入れ、水も幾分か入れ。

たけ「こうなると、みんなおんなじ割合の水割りになるね」

あっという間にたくさんの水割りが出来上がり。楽しいさー。


で、それもあっという間になくなり、楽聖がピッチャー二杯目を作ろうとしたら、再びうちなんプレイヤーが

「氷入ってるからさ、ピッチャーにもグラスにも。水入れなくていいよ」

とアドバイス。楽聖も泡盛だけをドボドボドボドボ……

それで注がれた菊の露の、なんと絶妙な美味さ。このピッチャーロック。島ではメジャーなよう。

さすが琉球、早く美味しく飲める方法知っちょります。

え?明日のこと??

まあ、明日は明日の琉球の風が吹くさー。なんくるないなんくるないなんくるないさー。コンサート終わったしさー、良かったしさー。


朝、頑張って起きて帰京

posted by take at 12:45| 活動報告

2017年08月10日

本拠地での威厳


那覇バブテスト教会の響きは、トロンボーンアンサンブルにおいて理想的だと思えるものでした。

基本、残響豊かによく響くのが教会。ただ個人のパーソナルは響きに埋もれ、美しいのだが魅力が画一的になりがちな空間も多い。どのプレイヤーも同じサウンド、吹きかたも一緒に聞こえたり。

バブテスト教会は、よく響くが個人のキャラクターはまるで失われず、その絶妙なバランスが、僕に「これこそ」と思わせるものだった。

特にバッハとパレストリーナの響きは、この年にて初めて

「本来教会で演奏されていた形態であり、作曲家もそれをイメージして書いている」

ということが、身をもって理解できたサウンドになっていた。

だからといって、トウキョウトリプティックやハートレーが様になってないわけではない。それは、見事にかっこよく放射状に放たれていた。

楽聖たちの伸びやかさ、そして見事な調和は、ピアノでもフォルテでも、コラールでもアレグロでも「本拠地での威厳」を示しており、トロンボーンがあまりに素晴らしい音を出す楽器だと証明しているようでもあった。


近々YouTubeに、いくつかの演奏をアップする予定です。是非聞いていただけたら幸いです。


沖縄県芸、東邦音大ジョイントコンサート

posted by take at 19:43| 活動報告