2017年06月21日

どうぞ52


Facebook他、メッセージをくださった皆様、ありがとうございました。

今年も例年通り一番日の長い日に誕生日を迎えましたが、かなりの確率で梅雨テイストなこの日なので、それなりにどんよりとした空の下にはなったものの、無事52歳になりました。


より目の前の人の生きざまや考え方こそを理解し尊重しなければならないと、この年になって考えています。

自分ができることは自分に対してだけであり、それがたとえ教育の場面であったとしても、自分以外の人には無益な越権行為(本当の人権を越えない)にならないよう、気をつけたいと思います。

勘違いをなさらないでほしいのは「僕は周りに介入しないから、自分にも介入しないでください」という例の無関心スタンスではありません。

僕はたとえ罵倒であっても、愛と笑いを生むための投げ掛けであれば大歓迎なくらい相手にしてほしいさびしんぼなので、どんどん介入してください。うまいこと反せるよう頑張りますけに。


そこいらへんは、どうぞご自由に。


50歳の日にいただいたご恩は忘れておりません。いろんな形でお返しできるよう、この一年も精進してまいります。m(__)m


N響定期練習

posted by take at 18:31| 活動報告

2017年06月20日

登り方を疑う


同じ頂上を目指すのに、登り方はいくつもある。

なだらかを行くもよし急勾配を行くもよし。真っ直ぐ行くも蛇行するも、結果同じ頂上にたどり着くなら、プロセスに良し悪しはない。

ただ、どの登り方にも、他とは違う際立つ良さがあり、逆に壁になる原因になる要素があるとしたなら、頂上も同じに見えて、実は違う場所なのかもしれない。

長く携わる登山なら、運命のような自分の登り方ひとつだけでなく、相反するテイストのルートも、勇気をもって取り入れ理解するのは大事。


日本人の壁は、私たちが疑問を持たない常識的な価値観を疑いにくいこと。

「当然でしょ」を、二の次三の次にやり、手前に感情を持ってくる。その判断、そんな生き方。


休日

posted by take at 23:22| 活動報告

2017年06月19日

あの頃


今日はソロのおさらい会でした。

楽聖たちは、とても充実した音楽的表現へとはっきりと向かっている。聞いていて、これからが益々楽しみになり嬉しかった。


実は先月から取り組みに関するアイデア、その投げ掛けを大幅に変えてみた。

皆きちんと試し、きちんと探したようで、各々の楽曲に対する思いが、サウンドにかなり反映されるようになってきたので、これまた嬉しい。


教師というのは、まず自分が辿ってきた道と同様なことを、楽聖たちに要求しようとする。途中からそればかりというわけにはいかないことに気づき、研究が始まったりするのだが、そんな過程の中で、自分の学生時代を思い起こそうと何度も試みたのだが、どうしても思い出せないことがほとんどで。

コンクールやオーディション等転機になったことは記憶にあるが、毎日の生活、毎日の練習をどんな気持ちでどんなことをやっていたのかが、どうしても思い出せなかった。


それが、ここ数日ふとわいてきています。


理由は、楽聖たちに要求したことが、そのまま僕が彼らの年の時日常取り組んでいたこととリンクしていたから。思い出したから投げたのではなく、投げたら思い出した。


それは……

とにかく曲の場面、一音の中に、自分の心のクレパスから心色をチョイスし、その心情が充分コーティングされるよう練り込むこと。その探求と実践、そして本番で放つことを大いに楽しむこと。

大学は学ぶところという名前だが、音学的ではなく音楽的日常を送ること。

自分が特別な存在でありたいために、周りに認められようと自分だけの表現を披露することを楽しむこと。

オケに入りたい、周りよりも上手くなりたい、そんな気持ちはあるにはあったが、そんなプレッシャーテイストの時間的パーセンテージは意外に低く、表現が見つかっていくこと、トロンボーンでできることが増えて変わっていくことを、とにかく楽しんでいた。

酒も飲んだし恋愛も失恋もしたが、人生経験を重ねた今より鈍感だったかといえばさにあらずで、今と変わらず多感に揺れ動いており、不安とそれ以上のよくわからない希望が心を明るく支配していた。

そんな自分の心音を探し、トロンボーンに練り込む作業を、本当に楽しんでいたからだろう。金は無く、首の伸びきった変なイラストのTシャツに洗濯してないジーンズ、穴の開いた靴下やボロボロのスニーカーで大都会を歩きながら、それでも表現の希望に包まれていたのだった。


30年近くたって、ようやく思い出してきました。


楽聖たちを一人一人見つめながらそんな話をしていたら、目の前の彼らのようだった当時の若い僕が急にいとおしく感じられ、更に少々凹み気味な今の自分が救われる感覚すらわいてきたのでした。


川越へ

posted by take at 13:19| 活動報告

2017年06月18日

自戒


「皆が同じ動きをしなければならない」


と考えるこをとにかくやめようと、自分を戒める毎日です。

どうしても根っこから抜けにくいこの考えこそが、結局一番具合を悪くする種のような気がして。


「いや、自分は考えていない、個人の個性や意見を尊重しているし、そもそもみんな同じじゃないじゃないですか」

大抵の人がそう思うと思うのだが、日本人は特にばらけていると不安になるし、何より自分の思った通りではない反応には、抵抗したり論破したり同調を求めたりする。

可能性や成長、未知数を見ようとせず、自分の価値観と違うと非難することも、全くやめてしまうことができない。

義務教育から高校くらいまでは決まったシステムを基準に進むのはわかるが、大学生くらいになったら、個人個人でいろんなことが違ったり、伝承芸術的要素が強くても日頃の表現は同じ動きにならない方が自然。

そう考えなくてはならないのだが。


自分の思い通りにしたい

いや、してはならないのだ、自分以外は。


ブロカート合宿

posted by take at 12:07| 活動報告

2017年06月17日

ペールギュント


今回のブロカートでは、グリーグのペールギュントから抜粋をやっています。 (あとニールセンのフルート協奏曲とチャイコフスキーの四番)


決まった経緯としては、まずチャイコフスキーがあり、フルート協奏曲がソリストとの話し合いでニールセンになり。最後にオープニングの話になった時ソリストから、「ニールセンだから北欧の、たとえはペールギュントとかどうですか」との意見をもらい、団員が決定。

N響ではあまりやる機会はない。2,3年に一回、組曲をやるくらいか。全曲は定期で一回、デュトワの指揮でやっただけ その演奏は印象に残っています。特に難しい曲ではないのですが、楽しかったのを覚えている。そんなくらいだから、グリーグといえば「ピアノ協奏曲」。こちらは、年に1,2回は必ず。

で、今回選曲は任され、6曲を選び取り組んでいるのですが…


なんだか気持ち入るんですよ、ペールギュントたち


美しさはより美しく、切なさはより切なく、激しさはより激しく表現したくなる。有名な「朝」や「オーゼの死」も、普段よりとても素晴らしい作品に感じる。

指揮者があまり取り上げないのは、芸術性としての評価が低いのだろうか。

ただ、僕にはどうやら感性の相性が良いようです。

話の内容は、なんだかなあって感じですが、曲は様々な表情に独自の魅力を感じます。チャイコフスキーのバレエとかより、それぞれの曲に顔の違いを感じる。

秋の演奏会が楽しみです。「いい曲だなあ」って思ってもらいたい気持ちが強い。

そういえば、ピアノ協奏曲も結構好きなんです、グリーグ。やっぱり合ってるよう。


ブロカート合宿

posted by take at 19:14| 活動報告