2020年02月15日

音楽に連れ去られる


昨年から、伊藤蘭さんが歌手として復活し、コンサートツアーを行っている。

65才になった復活アイドル歌手。テレビで見る限り、キャンディーズ時代と変わらない魅力に溢れていて、ファンを惹き付けて止まないのは、ノスタルジーだけでない現役としての努力と美意識がはっきりと充満しており、とても輝いて見える。

インタビューをうけるファンの方々も、ランちゃんの美貌や歌のみならず、1人の人間を心から応援しているのがわかる、大人なムードがとても微笑ましい。


そんなランちゃんのインタビューの中に、シンプルだが印象に残るものがあった。


「キャンディーズの曲は歌うと息が上がってハアハアと(笑)。でも音楽が始まると、自然と惹き付けられて……」


そう、それが音楽なのだろう。

かつて演奏していたが年齢を重ね今は止めてしまった人も、それが始まると知らず知らずうちにその世界の中に連れ去られるように引き込まれ、曲が終わるまで自分の意志では脱出できず、終わったらぐったりみたいな。


ある大病をした歌手が、その病気を知るきっかけの話も同時に聞いた。

「いつもは20曲くらい歌ってもへっちゃらなのに、その日は3曲歌ったら凄く疲れてしまって……」


そう、これまた病の現実だろう。

そして、体調管理も抱えてのプロとして復活したランちゃんを、きっと充実した時間の中に進ませている音楽の現実とは、それがなり始めたら、無条件で興奮と幸せへと誘うものだと。


これからそれなりに時間が経ったときの僕にも、音楽はそうやって運命を投げ掛けてくるのだろうか。

拒む理由はないが、楽しみというよりは、そんな自分がそのときできること、そのクオリティこそをとにかく願うだけだ。

そして今日の、たった今の演奏に身を委ねることに、没頭できる自分でいたい。


N響定期練習

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2020年02月14日

考える効率


亡くなったノムさんが強くこだわり、その必要性を感じ、彼の生涯を貫いたとも言える野球に対する取り組み、「考える野球」。 現代では当たり前になったシステムの多くが、ノムさんの発案だったとも言われています。


「考える奏法」を考えます。


逆に考えないで吹いてるとしたら、どういうメンタルでしょうか。

惰性でという言葉はざっくりとしててまさに考察が惰性っぽいが、なくはない。ただ普段目指していることが、考えきれてないということはあるだろう。

感じるだけだったり「いい音だしたい」「うまく吹きたい」と、やはりざっくりとした目標で、出たものを受け取りながら進んでいるだけという人も多い。


最近僕が強く意識する「攻める」ですが、フォルテやピアノを攻めるようなニュアンスで吹こうということではなく、もっと大きくもっと小さくと、限界を目指すようなメンタルをということです。

これは目標と向き合うということですが、考えるというのは目標に向かってその方策を意識するということで、そうなるとやはり具体性が存在していないで吹いている人が多いかもしれません。


実は「時間練習する」に代表される根性論から入り、様々取り組んだ末、最後に意識しないと絶対壁が越えられないと僕が感じているのが「効率」です。

これは短い練習時間でという意味ではなく、振動の効率。小さなパワーで最大の響き。


フォルテを目指そうとなると、どうしても「もっと力を使おう」となる。

もちろん正しいのだが、その力が「とにかく使う」という意識だけになると、必ず越えられない壁にぶち当たる。

最後は、非常に繊細に効率を目指し「力を温存する」みたいな意識が不可欠だと思います。

考える奏法の先に、今の僕が見えるのは効率なのです。

『振動の 効率に勝る パワー無し
全ての理想の 最期の課題』


N響定期

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2020年02月13日

美しさの研究


ベルリンフィルのシュテファン・ドールさんが、久々に来演しています。アブラハムセンのホルン協奏曲の初演シリーズの一環。世界初演は、1月末ベルリンでありました。


ベルリンフィルの首席は、かつて在籍していたバボラークとドールが複数回来演しています。

2人共に、世界最高峰オーケストラのソロに相応しい素晴らしいホルンを聞かせてくれます。毎回強いインパクト、様々な印象が残ります。


バボラークは、完璧ともいえる技術やイントネーション、もちろん音楽性と共に、日本人が目指しがちなものとはかなり違うその音やスタイルに、常に驚きをもって唸らされる。とにかく安定と安心感が凄い。

ドールは、ドイツに向きがちな日本人としては、馴染む感じのスペシャル高品質。

今回は、彼の全ての素晴らしさの中で特に


美しいなあ……


というのが、溜め息と共に。

たとえば、音や響きがとても立派で「いい音だなあ」と思わされる演奏家は、日本含め世界中にいる。また技術的に長けており、弦楽器や木管楽器のようなニュアンスも音にのせられ、音楽的に歌える名手もいたりする。

ドールは、もちろんそれらを兼ねながら、とにかく美しく聞こえる。

本来ホルンは柔らかく美しい音だが、そこそこからまあ美しいまでがあちこちで聞かれる現代において、とにかく美しく感じられるというドールを基準にすると、大半は「いい音」「巧い」の範疇に収まってしまう。


一体どの部分が?と、あらためて研究。出た結論としては


極めて反応良い振動からスタートし、密度が高いがゆえに明るく柔らかく聞こえる音が、驚くほどスムーズに流れている息によって、解放され響いている。美しさに必要な透明感の反対は雑味なので、それが聞こえてくるような力みや抵抗、ノイズがないくらい、スムーズと解放が、豊かな響きの上に透明な艶という美しさをコーティングしている。


という感じだろうか。

どの楽器においても美しく聞こえる原因は同じなのだろうと、深く考えさせられた。


N響定期練習

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2020年02月12日

業績と人間性


男が特にそうだろうが、後世に残るような功績、足跡を残したいという意識が人にはあると思う。

カラバッジョはそういう意味で残っている。それまでなかったような書法を駆使した作品は、驚愕をもって受け入れられ、後の画家たちに多大なる影響を与えたと。

後世の人たちの創作の発展に大きく貢献するようなことを産み出したわけで、まさに名を残すに相応しい業績を成した人。

ただ同時に、その短い人生の中で2人の人を殺傷し、逃亡や脱獄を繰り返した狂気の人物でもある。


世の中にありがちだが、優れた能力の持ち主が必ずしもよい人間とは限らない。後世に残るような偉業を成した人でも、周り中には誠に不愉快な人物、場合によってはカラバッジョのように許されない一面を持っていたりもする。


さあ、どうでしょうか。

何かしら功績を残すことが大事なのか、それとも……


僕は、1人の人間として

たとえ何も残さなかったとしても、誰もその名前を覚えておらず、ひっそりと世を去っていったとしても、周りに共に生きる人が笑顔になり幸せを感じるような、そんな生き方をした人こそが、素晴らしく価値ある人物なのだと思う。


才能や成果、業績は、あるにこしたことはないが、素晴らしい人間性に勝る価値はない。

人類が消え去ってしまう日がきたとしたら、全ては無意味が如く消え去る。

しかし1人1人の日常の幸せだけが、人類の命を受け継いでいくものだと思うから。

業績に敬意を払えど、人に払えるとは限らない。

業績はそれ以上にはならないが、素晴らしい人間性こそがなにものにも代えがたい価値があるのだと思います。


N響定期練習、大塚へ

posted by take at 19:24| 活動報告

2020年02月11日

風の現実


なかなか観ることができなかった映画『風の電話』。今日の大阪日帰りの旅にて、ようやく観ることができた。

東京で開催されなかった「カラバッジョ展」を観る目的の大阪旅。東京で噛み合う上映が夜遅い時間なので、大阪で観てからの帰京となりました。


高校三年生のハルが、広島から故郷大槌へと旅し、最後浪板海岸の風の電話に辿り着く。


映画のテーマは実はシンプル。


震災で家族全員を失い広島で叔母とくらすハルは、心の傷が癒えぬまま、センシティブなメンタルの生活が続いている。

叔母が倒れたのをきっかけにいよいよ自暴自棄になり、そこから様々な人と出会いながらヒッチハイクで大槌に辿り着く運命に。

出会う人たちは皆事情を抱えており、様々な辛さの立場、様々な優しさを知っていきながら、かつ「生きろ」とのメッセージを与えられ続ける。

最後、風の電話で家族と話すことにより、積年の思いが外へとあふれでると共に、自分は生きていくことへと再生したことを告げる。

1人の若者の再生への成長物語だ。


ただ普通のドラマ、映画と違うのは

題材が東日本大震災の被災者の話であり、暮らす広島の水害から旅先で出会う人たちの事情も全て、私たちの国の国民が実際に体験した現実をもとにしたもの。更に最後辿り着く風の電話も実際に存在し、ハルのように家族を全て失った人も、少なからず生きることへの再生を経験した人も、どう考えてもたくさんいる。そして今なお辛さも希望も存在しながら復興は道半ばという、そんな現実を1人の若者を描くことで表した点だ。


役者たちの演技は全て素晴らしく、リアリティーに溢れていた。

ゆえに現実の悲しみを知る身としては、溢れる涙を抑えることはできない。


このような映画を作る人たちの価値観とエネルギーは、本当に素晴らしい。

エンターテイメント性はなく、現実的な辛さの先に少しだけ光がさすだけ。しかしそれが生きていくということだという重々しいもの。

言葉としては陳腐に感じるかもしれないが、その創作は全て「人助け」の精神こそがなし得るものだ。

あらためて、ハルのように辛い辛い時間が述べものすごく流れたこと、「助けたい」という人たちの力があちこちで渦巻いたこと、そして「生きる」と決めて懸命に命を動かしている人たちがいることを、知る必要を感じさせられた。


泣きながら話すハルを優しく包み込んだ電話ボックス。その周りには強い風が吹き続けている。

その風は僕も経験したもの。

あのときも、映画の中も、辛さを吹き飛ばし希望を連れてくるようでありながら、現実の厳しさを訴えているが如く、強く強く吹き付けているものでもありました。


大阪へ日帰り旅
負けるわけにはいかん。

posted by take at 18:33| 活動報告