2018年12月13日

あひる未遂


40代後半男性うちなんちゅに「食べ物、明日から一種類しか食べられない」を聞いてみた。

果物はマンゴー

魚はグルクン

麺はそば(多分沖縄そば)

野菜はパパイヤ

と来たので、肉は当然あぐー豚、もしかしたらヤギか?と思ったら


「あひるを食べましたね。お祝いのときに飼ってるのを絞めて」


ときた。


あひるですかあ〜〜〜


ということでググってみると、那覇市内にも一軒あひる汁を出す店ありとのこと。うちなーの楽聖たちはほとんど食べたことないと。これは歴史的レアな沖縄グルメかっ!?

午前中の金管五重奏のレッスンも終わり空腹の絶頂の中、「お昼にあひる…」という僕渾身のギャグに楽聖たちの失笑をかいながらも、うちなーの楽聖といざ探検!!どうしよう、あひる食べちゃったら、芸大と首里城の間の竜潭池に生息しまくるバリケン(図々しい鴨)から襲われるようになったら……


結果を報告すれば、店があった場所は広大な工事現場と化しており、あひるはおあずけ、食べられなかったのでした。グワッ☆


沖縄県芸レッスン
ちなみにお酒は泡盛って言うのかと思ったら「日本酒、しかも甘口」と。パパイヤとグルクンつまみに日本酒かあ。

posted by take at 13:54| 活動報告

2018年12月12日

特別でいたい


いい音を出す人はかつてよりかなり多くなりました。上手く吹ける人も。


ということは「いい音を出したい」「上手くなりたい」という漠然としているともいえる希望というのは、かなり広いフィールドであるあちら側へ行きたい、ということになる。


僕は、楽聖たち含め、この漠然とした目標ではなく


「特別でありたい」


という希望を持つことが、とても大事だと思っています。

それは、マニアックでありたいとか、とにかくみんなとは違うことがしたいみたいな「意固地・頑なテイスト」という意味ではなく、自分の希望が、具体性をもって突き抜けていた方がよく、漠然としたフィールドを目指すのではなかなか伸びないのではないかと思うということです。


たとえば音に関しても

とにかく物凄く柔らかく吹きたいとか、とにかく艶々に吹きたいとか、とにかく美しい響きで吹きたいとか、何か具体性を欲して邁進していることが大事。それは誰にも負けない、自分はその点で特別だという存在になりたがってほしい。


それは決して人から馬鹿にされたり軽蔑されたりするメンタルではないし、現代がこう進化してきて、未来へ向けて裾野がクオリティ高くなっていっている現代とこれからだからこそ、本当にそう思うのです。


日本人は横並びがちとはいえ、一線で活動している人は多かれ少なかれそうだし、未来を変えていくほどの人になれば、確実にそんな野心を野心とも思わず当然のように生きているはずですから。


沖縄県芸レッスン

posted by take at 21:08| 活動報告

2018年12月11日

本日の確言


演奏というのは、始めたら停めてはならない、止めてしまってもならない、ちょんぎってはならない。

演奏というのは、始めたら停まらず、終わりにせず、繋がったまま、最後の音が終わった後の静寂まで流れ続けなければならない。


川越へ

posted by take at 17:50| 活動報告

2018年12月10日

良かったね


高校生、大学生に続けて、音楽の価値について話していたら、


「君たちが思っているより素晴らしいものだ」


との結論づけからスタートし、あらゆるシーンを振り返ることに。


出会いから若き時代、震災を経験からの被災地と音楽の必要性、そして生死を分ける大病との闘いから、音楽への憧れで生き返る人との時間からの、様々な悟り。

で、結論を確信にしたのが、


「音楽は人を生かし、そして殺さない」


若者たちには、最期に


「良かったね、音楽を選んで」


と投げ掛け話を終える。


被災地で経験した、真理にたどり着くまでの時間からの気持ちの変化が、本当の音楽の存在理由を理解させ、病を乗り越え命を繋げることを目の当たりしたことが、人間にとって衣食住だけでは生きていけないことをわからせてくれ、音楽こそが人を生かしているとすら思わされたから。


好きだという気持ちだけで今の環境を選んだのだと思うが、実は本当に素晴らしいものを人生の伴侶にすることになったわけであり、故に君たちの人生こそ充実したものになる。


僕もあの頃は、憧れだけでわかっていなかった。しかし選んだまま進んで、今そう確信している。


結局、想像している以上に素晴らしい、信じられないくらい素晴らしいものを選ぶことができたんだ、君たちは。


川越へ

posted by take at 14:11| 活動報告

2018年12月09日

ネットVS勘


若者たちよ

勘でものを言おう

実は真実と違ってたとしても構わない。


周りに迷惑がかかる、良くない影響があるなら、取り返しがつかなくなるくらい具合が悪くなるから、きちんと真実を確認してから語るべきだろうが、よく考えたら大半がそうではない。

そうでないコミュニケーション上での自分の意見や気持ちなら、とにかく思った時に思ったまま語ってみよう。



情報クリア手軽入手時代だから、たしかに調べれば直ぐわかることも多い。

しかし

「正しいことを言え」
「きちんと調べてから言え」
「未熟なら黙ってろ」

といった目に見えない圧力が、君の言動を抑圧し心の負担になるなら、気にしなくていいから勘でしゃべってみよう。


「あの人はいい人だ」と思ってそう言ったら、実は悪人だった。伝えた相手が「自分にはわかっていた。君は人のことがわからないんだねぇ」みたいに見てきても、気にすることはない。

君が「いい人だ」と思ったならそう発言し、しかし世の中にはそう見えてそうでない人もいるんだと、ひとつお利口になればいいだけ。

良くないのは、自分の考えや知識に自信がなく、発言を控える癖がついてしまい、ストレスは溜まれど学んでいけないこと。


実は、現代ほど情報がクリアではなかった時代は、皆ほぼほぼ勘でものを言っていた。検証しようもなかったりするから同意したり、また勘VS勘でよく喧嘩にまでなったりしていた。

そうした経験で、失敗から賢くなり、そして周りを信用することも覚えていくものだ。

今偉そうに言っている年長者の大半が、そうやって大人になってきた。勘でものを言って、それなりにきちんと大人になってきた。


みんな、勘でものを言おう。

気がついたら、その勘が真実とリンクする確率が高くなっていく。

つまり自分の勘が研ぎ澄まされるように成長していくから。

そして人の表現に対しても、おおらかに見つめられるような人になろう。


それがスマホに勝つ、唯一の道程だと思う…………多分。


川和高校管弦楽部レッスン、ブロカート

posted by take at 15:55| 活動報告