2020年09月23日

巨大な匠


今日も指揮者の印象について。


現代は「巨匠」と呼ばれる指揮者はいなくなったと言っていい。名匠はそれなりにいると思いますが。

若いオーケストラ楽員は1900年代にそんな巨大な存在がいたと言われても録音や録画でしか相対せれず、肌感覚にはならないのでわからないものはわからないだろう。


オーラ、近寄り難さ、ある意味恐さ、そして誰にも阻止できない神格化まで。


銀幕のスターもそうだろうから、世の中の体質がそんな存在を求めてないのかも知れないが、それだけではなく、やはり音楽の生み出し方に「巨匠」を感じない何かがあるのだと思う。


現代の指揮者たちが探し求めているのは、あの時代の演奏より、よりリアルタイム。「より細かい感情」「より細かい刺激」からくる共感なのだと思います。

それは映像はじめあらゆるものの緻密さのクオリティが上がり、聴衆のニーズもそうなっていっているからでしょう。

クオリティは高いんだけど身近みたいな。


ただそのせいで、わけもわからず魔法にかかるような瞬間は減りました。

オーケストラのステージにいても、「今この瞬間は、物凄く特別なことが起きている」と感じることは減りました。クオリティ自体はかつてより高いのですが。


僕はやはり「大きさ」に尽きると思います。

本当に大きなものが見えていて、それを体現させることこそをやる。

それよりも、インターネットのように「今、今」が大事になってきて「大きなものこそ」とならなくなってきた。

時空の大きさにはならなくなってきた。

大きな虹のように、ひとつの巨大な弧を描くのではなく、感情が直線的に並ぶようになってきた。


高いクオリティは進化しながら、しかし再びそんな巨大な世界を作り上げるマエストロは、いずれ出てくるでしょう。

人間は細かく丁寧なものに安心や感動もしますが、本当に巨大な世界に包まれる世界も本当は好きで、そんな魔法にもかかりたがっている。

世界が、また再び巨匠を求めるような空気もリターンしてくるのでしょうから。

posted by take at 11:12| 活動報告

2020年09月22日

リスペクトすべきこと


実は指揮者がやるべきスコアリーディングというのも、理論や理屈でやるものではないと考えます。

僕が言うのも偉そうでなんですが、時の流れも、人の感情というのもそんなものでは掌握できないことを、指揮をする者は知っておくべきだと思う。


スコアリーディングの際に、理論や理屈、知識までを持ち、自分の頭の中で流れや表現を細部まで細かく作り上げ、設定してからオーケストラの前に立つことが指揮者の準備、勉強だと思っている人は多い気がします。練習は、それを伝えて自分の思った通りに仕上げていくことだと。


指揮者がリスペクトすべきは、楽譜(スコア)という偉大な記号と、操作できない時間の流れ、そしてオーケストラの奏者たちの放つ音だと思います。そんな大きな世界、一曲を見つめる大きな視点にこそ敬意があれば、やるべきことは定まってくると思うのです。

それは、全体を見据えるフレーズ感と大体のテンポ設定であり、アンサンブルや表現は口で伝えるのではなく、流れとタイミングがわかる身体の動かし方を研究して放つだけ。

大きな意味でわかりやすくテンポとフレーズが作れれば、オーケストラプレイヤーからは、彼らの直感が生む閃きに満ちた素晴らしい表現が出てくるはずで、あとはその音たちから指揮者こそが直感で流れを繋げていけば良いだけ。

長くオケマンをやってて、本当に必要だと思うのはそれだけです。

本当に素晴らしい過去の何人かの巨匠たちに共通していたこと、彼らがやっていたのはそれだと思うのです。


ただその大きなものこそがリスペクトできるマエストロは、現代では少ない気がします。細かく散りばめたニュアンスやテンポにより自分の感情表現にしようとする。そんな他にはないことばかり探している人は多い。


あらゆる分野、あらゆる世界に於いて真理は同じだと思うのですが、本当にリスペクトすべきことにできているかで、出来上がるものの価値が変わってくる気がします。

自分の外にあるとても大きなものを、その全体を見渡せる視野だと思うのです。

posted by take at 18:47| 活動報告

2020年09月21日

若い演奏家たるもの


極論のようだが、音楽は教えてもらったり、学んだりというものではないと思う。

和声にしても形式にしても論理や理屈は存在するが、それはあくまでも参考中の参考でしかない。それらで演奏を組み立てるようなことは、実はしてはならないのだと僕は思っている。

じゃあ音大でやることって‥‥


音大の学生の立場に必要なのは、


「感じること」

「凄いエネルギーを使い練習すること」

「妄想すること」

「直感で閃くこと」

「凄いエネルギーを使い音楽を放つこと」

「時間の流れを掌握すること」


だと思う。

つまり教えてもらおうとか、学ぼうなんて思ってはいけないのだと思う。学生というのは。

posted by take at 16:43| 活動報告

2020年09月20日

まだまだ直感


自分らしく生きるというのは「自分らしい直感を放ち続ける」なのでしょうね。

ただ、なかなかそうはいけないのは、直感で判断したことの全てが正解だとは限らない、失敗することもあるから。

それでも自分らしくを貫こうとするなら、やはり持続力にはなるのでしょう。継続により周りの認知、納得からの正解へ。


直感という言葉からは「思いつき」というイメージが湧くので、それで人生を彩るとなると、バラエティにあらゆることを放つイメージになる。

しかし失敗にならないために必要なのは、一本筋が通っているということ。それは思いつきから連想される多様や多方向とは逆、揺るがないひとつみたいなもので、そここそが自分らしい個性だと素晴らしいのだろう。

人には、持続型(継続型)と散発型がいますね。

直感がうまく活かされるためには、そもそも持続型である必要を感じます。失敗になりそうな判断だったとしても、それを結果正解に持っていく唯一の手法は継続に他ならず、その過程の中から降りてくる新しい直感が、その後の未来を救ってくれるのでしょうから。

とにかく持続しながら、継続しながら自分らしい直感を放ち続けることですね。

posted by take at 18:47| 活動報告

直感音


中野信子さんの直感力の記事には、いくつものユニークポイントがある。

学生時代には、試験を含め「正しいものを選びなさい」というアプローチをそれこそ物凄い回数経験するが、社会に出たら自分の選択が正しいかどうか判断するのは自分だと。

例えば自分が結婚した相手が正しかったかどうかを判断するのは自分なのだから、必要なのは直感で選んだ答えを正解にする力であり、必ずしも正解を選ぶ力ではないと。


面白いなあ。


確かに、日々の生活の中で正解だから選んでいるというのはもうほとんど習慣になっているようなことで、その都度考えて選んでいる機会は凄く少ない。

それより、明らかに選ぶタイミングの場合、した選択を結果良かったことに持っていけるかいかないかの力こそが大事というのはよくわかる。

その力に自信があり、多少の困難は自分のペースで強引に吉へと持っていけるとなれば、迷わず直感のみで進んでいくのでしょう。


思ったままに発言

思ったままに行動

思ったままに選択


後がどうなっても‥


自分の話術で納得させる

自分の行動で良しとできる

自分は得た結果で満足できる


演奏家としてやってきたことなんて全てそう。コンクールやオーディションが「正しい結果を出しなさい」の最後だったが、そのタイミングはずいぶん昔で、以降は自分が直感で吹いたものを正解に(失敗ではなかったと)してきた歴史。

そう考えるとやはり、考えながら「正しく吹こう」ではなく直感で音を出し、どうなっても前向きにやり続けるしかないのだ。

正しいものを選ぼうと頑張ったって、「人が感動してくれる正しいやり方」なんて何ひとつないのだから。

posted by take at 18:24| 活動報告