2017年12月16日

あなたってサイテー!


『全日本バストロ連合』というのがある。通称ぜんばれん(全バ連)というらしく、このネーミングも素敵だが、会の挨拶が


「今夜は最低の夜にしましょう」


と始まるらしい。夕べのイベントに出演した黒金君から聞き、今日一番の爆笑で幸せになった@みなとみらい舞台裏。

バストロ吹きばかりが、サイテーの夜にするということで、ペダルのB♭からEのラインは高音域になるのでしょう。相撲部もびっくりなディープ過ぎる夜だ。


僕はといえば、長いオケ人生で初めてを経験中。

細川俊夫作曲、ソプラノとオーケストラのための「嘆き」を再演しています。数年前ザルツブルク音楽祭でやったこの曲。三番だけでなく、二番も一番も低い低い。どのパートにもペダルあり、F管内も多用。

ザルツブルクの時は僕は三番で、テナー2バストロ1と普通の形でやったのですが、今回は僕が二番、全バ連の黒金君が三番。

こんなに低いならバストロ使うか、とふと思い(一番には高い音域もあるので)テナー1バストロ2という編成でやってます。

四本の場合はバストロが二本並んだりしますが、三本では初めての経験。

一昨日までサントリーでの定期。今日が横浜みなとみらい、明日福島磐城と、サイテーな本番が続いています。


N響みなとみらい公演
曲はエキサイティングな魅力たっぷり。ソリストの素晴らしさもあり、サイテーな音域から素晴らしい音楽が流れています。

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2017年12月15日

自分と彼らのための備忘録


今日は1日レッスンだったのですが、生徒に対し、思いついて投げた言葉のアプローチ(個人的というより、普遍的指摘)を、直後に自分で黒板に箇条書きにしていきました。

文章にすることで、自分自身に対する整理になる。

その整理した言葉を更に携帯に打ち込み、帰宅中のたった今『レッスン備忘録20171215』としてまとめ、生徒全員に送りました。


レッスンを受けてない人は「なんだろう?」と思う部分もあるだろうが、でも読み砕いてくれることを期待したい。いずれ、その人とも話すことになる内容。

僕も彼らも反芻することで、より整理され、より心に残っていくことを願う。


川越へ

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2017年12月14日

リードとホルスト


KSKコンサートでは、アルメニアンダンスパート1とホルストの第一組曲という名曲中の名曲の指揮をします。(オケで威風堂々と弦だけでレスピーギも)


実はブロカートでオーケストラの指揮は長くやってきましたが、ブラスの指揮は本当数少なく。しかし今回とても楽しんでやっています。


リードのスコアは厚く書かれてあり、楽器の組み合わせも絶妙なので、普通に音を出すとそれだけでいい響きがします。

元大阪市音楽団にいた池田君に

「それに比べ、ホルストは超名曲だけど、音色づくりとか難しいっすよー」

と言われていたのですが、まさにその通り。

シンプルなシャコンヌの音形を音楽的な音で奏でてもらうのに、様々なアプローチを試します。


リードの方は、ブラスにありがちな厚いスコア故に、吹いてしまうと自分も周りも聞こえなくなり、個人のクリエイトメンタルが地味になるのを避けたいため、各々のフレーズに対する個人的イメージを強く要求しています。

ホルストは、難しい音作りですが、それでもこの名曲の流れの中にある精神性までたどり着いてほしく、高校生たちと向き合います。

「オケとブラスの指揮って違いますか?」

ある人に聞かれました。僕個人としては同じです。スコアのタイプが違いますが、向き合い方は一緒。

僕自身中学高校、大学で、そして演奏家になってからもいくつかエキストラで吹奏楽を演奏してきました。N響でも何年もやった。

そんな中感じてきたブラスのステージ上での難しさ、聞こえ方、音作り等を逆に想像し、彼らにオケの1パートに携わっているように吹けるような投げ掛けをしています。


熱意溢れる彼らならではの、新しいアルメニアンダンス、ホルストが奏でられるよう頑張っていくつもりです。


N響定期
KSKウィンターコンサートは今月27日、17時時半から海老名市文化会館です。

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2017年12月13日

脱二極化


「現代は、ストレスに強い人と弱い人が二極化していっている」

「1950年くらいから世界は成果主義になってしまった」

最近聞いたこのふたつの情報が、僕の中で繋がって、あれこれ考えている。

生徒たちにポジティブに人生を切り開いていって欲しい、ストレスを感じ過ぎて心悩まないでいて欲しいと願うと、成果主義というものは考えるべきキーワードとして是非を考察すべきだと思うのです。


ここで言われている成果主義というのは、社会的に称えられるべき貢献度の高いことができるということだろう。

問題は、いつの時代も、かつてないハイレベルの成果をあげる人材が出てくると、その後はそこが基準になること。教育や伝承、道具の洗練や初期イメージの当然レベルの向上により、更に成し得る人材が出てくる要求の空気が蔓延する。それに引っ張られるように「出来る人」のフィールドにいる人たちのレベルも上がっていき、逆に「出来ない人」のフィールドにいる人たちが感じる恐怖感からくるストレスはどんどん強くなり、引きこもる。二極化とはそういう流れだと思います。

人間は高いレベルを目指すからこそ発展していくし、それを目指すことに生き甲斐を感じ、認められたり対価を得ることを目標にすることで生きる喜びを得ていくというのはよくわかる。

しかし、全ての人がそんなに高いレベルのことはできないからこその高度への称賛であり評価である。どんどん「成果こそをあげる人材になり、社会に貢献せよ」という見えない圧力が若者はじめ社会を覆い、しかも前人未到のなんて成果が基準になってくると、ある程度のパーセンテージいる不器用な人、頭が早く回転しない人、理解が苦手な人は本当に辛くなり、そのプレッシャーは生きる意味をも脅かすように感じさせてしまうだろう。


それでもこんな世の中になった以上、成果主義はそうそう変わらないと思う。


僕がなんとかしてそうなれば良いと思うのは、優れた人材のフィールドにいる人も認められにくいフィールドにいる人も、全ての人が否定されずに「自己表現」できるような社会になればということ。

「お前の言ってること、やってることは駄目だ」と言われることが、実は一番心を蝕んでいくから。


ここにも「全ての人が同じ動きをしなければならない」と考えることの限界と、打破すべき新たなる価値観、お互いの尊厳こそを尊重する本物の人間愛の装備の必要性を感じます。


N響定期

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2017年12月12日

今ブログを書く


人は常に「今」しか生きることができない。そんな自分

「今を生きる自分のリアルタイムに関心をもち、興味をもち、要求をもち、できているか確認をしながら今を生きる」

ということがすごく大事な気がしています。よく言う「今を生きる」というのはそういうことではないかと。


僕がなぜこのブログを毎日(まとめ書きしたりしてますが…汗)書いているのか、その理由。

自分の意見を文章にし、まとめて発表することに単純に喜びを感じているのだと思います。


ある人から「書いてある正直な内容に、いろいろ考えさせられます」と言われました。

正直に書いている自覚はありますが、それが読んでいる人にわかるんだと少しだけ驚きました。


僕は、今自分が考えていることに向き合って、六年間毎日書いてきたことは、自分にとって良かったと思い始めています。

「文章にするとまとまりますしね」

との応援のようなコメントももらったりしました。


自分で、結果今の自分を知ろうとしていることになる。自分の意見を意識し引っ張り出すようにまとめることで、今の姿をしっかり見つめ、これから先どう生きていけばよいか自分で道を作っているのかもしれません。


ブログを書くのは悪くないですよ、とこれまた少しだけ言いたくなりました。


N響定期練習、大塚へ

posted by take at 17:27| 活動報告