2020年06月28日

記入困難

本日スマホ開始三千日以上柄携書是於限界明日以降頑張故勘弁頼。



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2020年06月27日

口内バルブ


付点が続くレガートのフレーズ。その録音を聴きながら、このパターンでの16分音符の捕まえかたの難しさに、感じ入ってしまった。

どう聴こえたかというと、音程含めはっきりせず存在感の薄いものに。通り過ぎてる感が強い。よくよく考えると、そうなっているのもよくわかります。

前の付点8分からの移動はたとえ隣のポジションでも時間がかかっており、更に滞在時間短く先の音へと移動しなければならない。

タンギングなら、舌をつく動きにタイミングも分かりやすく合わせて反応して鳴らせそうだが、レガートの場合更に曖昧に。

短時間であり、タイミングのみならず鳴り方も曖昧になるわけで、そりゃ存在感薄くなるわと。

そうなるとかなり16分の方を意識してピックアップしようとするのだが、絶妙にやらないとリズムがおかしくなるし、滑らかにもならなくなる。

バルブやピストンの楽器だと、本当にたいした問題にならないこのスライドによる難点。

これがトロンボーンであり、それがトロンボーンなのだ。


敢えてシステム的に捉えると、口の中がバルブの役割をになっているとなる。レガートタンギングをする舌がバルブの遮断となる。しかしそこまで毅然としてないし、やる度に動きも色々で定まりはしない。へたすればただのタンギングになってしまう。

トランペットとトロンボーンは同じ直管で音域が違うだけだが、実はこのシステムを考えると、かなり違う楽器となってしまう。


……まー、好きだからしょーがないんですけどね。

posted by take at 12:55| 活動報告

2020年06月26日

は、速すぎ…


昨日から録音機が怪しい。録れるレベルが勝手に変わったりする。

まずいな……

毎日録音してあげてる身としては、少なからず焦ってしまう。

祈って録ってと賭けになるが、まだこいつが気まぐれながらも働けているうちに新しいのを注文しよう。

家人に頼んでポチってもらったのが12時20分。

明日中に来るといいなあ……


夕方外出。

帰宅中のさっき、20時18分メール有。


「録音機、今届いた」


ま、まじかっ!!昼過ぎで夜にもう??速過ぎない?!

有難いやら、そこまで凄くなくていいやら、誰かが無理してるなら申し訳ないやら………

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2020年06月25日

籠ってみられた夢


N響の休みはもうしばらく続きます。

最初生徒とのコミュニティサイトにソロの録音をあげていて、ある程度の曲数録れたところで一区切り。

1ヶ月以上続けたことが終わって寂しくなったので、オケスタとエチュードをあげることに。

それを始めた段階でも、これらをひとつにまとめてライブラリー的な財産にする考えはありませんでした。

ただこれらも曲数が増えてくると、少し違う気分に。同時に家人の「エチュードコンプリートしたら?」という言葉も降ってきて


いやあ、そこまでの根性は……


それから更に日にちが経ち、完全にそれが目標に変わりました。


間違いなく言えるのは、今回の籠り生活ではなく普段のペースなら、まずやらないどころか思いつけないこと。曲をある程度とは考えてもいたが、オケスタやエチュードまでとは、まず至らなかったはず。


コップラッシュとロッシュは、やはりトロンボーン人生の柱になってきたエチュードで、人生後半のこの機会にまとめてライブラリーにするというのは、運命なのかなあと。

オケスタがあと10曲くらいで終わりそうなので、その後はもうひとつ、21世紀のトロンボーンには欠かせないあるエチュードに取り組もうと考えています。

N響が始まるまでの日数を計算し、なんとか頑張れそう。


長期に渡り籠れたからこそ導かれ、形に残せそうなこと。集大成にできたならと、有難い夢ができました。

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2020年06月24日

業にやられる前に


いかんことしたりその容疑がある人に対する社会の評価。許す許さないにレベルの差やテンションの差はあれど、その人間性に対する評価は、総括すると本当に鋭く真っ当だなあと最近つくづく思う。

テレビでコメンテーターとして選ばれている人たちの言葉も、テンションや見るポイントが少し違ったとしても、結局その人間性に対する評価は概ね一致する。

それはネット上でも(誹謗中傷ではなく)同じように定まっていき、時間が経つとまるで国民全審査員に評価されていき、精査総括から渡される通信簿のようにすら感じる。

つまりどんなにまことしやかに言葉を並べたり良く見せようとしても、社会を埋め尽くす人々が騙されることはないということだ。


実はそのいかんことをするような人間も、ひとたび評価する側に回れば、他人の事はそのように正しく見抜けたりするものだ。

つまり自分のことも客観的に見れば「こうこうこうで、こうだから駄目な人間」と思えるし言える。

なのに自分の言動はアカンことになるのは、ひとえに業へとの性(さが)がなせるわざなのだが、致命傷にならないために気を付けるとしたら、自分が他人を評して駄目だとわかることを「とにかくやらない!」。これしかない。四の五の言わずに。


たとえば社会的に認められていった男がどんどん慢心から傲っていき、「自分はこれくらいは大丈夫」と、自ら盲目になっていくことが多いが、そんな話は実は無い。やっぱり駄目なものは駄目。

女性もアウトな男を好きになってしまったばっかりに、最初持ち合わせていた正否に対する感覚が呆けていき、遂にはわけのわからない共感力から価値観を曲げてしまい「それでもいい!」と、好きになった自分を否定したくないからと、ある意味開き直ったり。アウトな男は好きにならないにこしたことはないのだろうが、それでも運悪くなったなら、ほだされてないで自分の価値判断を貫いかないと駄目。貫けないなら結局駄目人間と評価されてしまう。


テレビでコメントする人たちは、彼らの方がとかく非難されることも多いが、感心するような場面も多い。

年長者が、年の功がちりばめられたようなぐうの音も出ない神の声を発したり、若者でも、驚くような深き視点で爽快とも言える躊躇無さで、バッサリ切ることもある。


そこにもある意味性(さが)が感じられ、業も徳もそれぞれだなあと思うのだが、とにかくやってしまった事が露になった後には、世の中というのは真に真っ当に評価することは知っていたい。

本当に誤魔化すことなんて出来ない、そんな時代。

だから本気で気を付けながら生きていく。とにかくそれしかしかないのだろう。

posted by take at 21:01| 活動報告