2012年03月14日

どぼぉしち


ドヴォルザークとの出会いは「新世界から」から。しかもあのブラスっ子達が日曜日なのに早起きし、8時半から寝ぼけながらラジオをつけ、ワクワクしながら聴いていた『ブラスのひびき』で。

……ん?ブラス??

そう、イギリスの金管バンドが全曲を15分くらいに縮めたダイジェスト版、それをカセットに録り何度も聴いていた。それが『新世界から』だ、と思っていたので“本物”を聴いた時かなり違和感があった。
コンクールの自由曲、編曲され更にカットした音楽でひと夏過ごし、原曲聴いた時“なんじゃ、こりゃ?”と思った経験ないですか?まあ、こちら側が“なんじゃ、そりゃ”であり、ご本人からするととんだ言い掛かりなのですが。

ドヴォルザークは人気の曲が極端にはっきりしてる作曲家ですね。
とにかく第九番の『新世界から』が群を抜いており、僕も今まで間違いなく一番数多く演奏した曲。演奏旅行といえばとにかくコレ。外国から来るオーケストラもかつてコレばかり持ってきていた。

次が第八番“どぼはち”ですね。その次が第七番、最近は第六番も「いいよね」と言う人が増えてきた。さかのぼる感じの人気ランキングだが、それ以前の曲がパッタリ支持されなくなる。僕はやったことないし、正直曲も一回くらい聴いたかなあ?全くヒットしてない感じ。

最近、読売日本交響楽団で交響曲全曲取り上げた、と聞いた。
第1番とか「どうだった?」とKに聞いたら、「とにかく40分くらいの曲中トロンボーンがずっと吹いてるんですよ。ブラスみたいだった。書き方がちょっと……」と。曲の印象に関しては「う〜ん」とだけ。

僕は『新世界から』は正直あまりヒットしていない。もちろん個性豊かな名曲だと思うのだが、ドヴォルザークに対するイメージ、“民族色豊かなメロディーメーカー”という“田舎臭さ”と言ってもよい地域限定の歌は、第八番以前の作品の方により強く感じている。まあ「新世界」に行ったので、洗練されつつあるのかも。

ブラームスと親交がありお互い影響を与えあっていた、とのこと。ブラームスの音楽が「都会的に洗練されている」とは思わないが、ドヴォルザークの方には“土着的”、“民謡”の魅力を強く感じる。それが“彼らしさ”。第八番には特にその印象が強く、聴いているだけで田園風景やそこに暮らす人達が目に浮かんでくる。

その前に書かれた第七番は最もブラームスを意識した作品のような印象だ。“ぶらさん”との類似点も感じる。ドヴォルザークはきっととても感情の起伏が激しく“熱い”人だったのではないだろうか。「音楽」と「情緒豊かな歌」をこよなく愛していたのはわかる。歌も感情も“ほとばしる”し“沸き上がる”。それが激しく熱情的に、エキセントリックとまで言っても良いくらい表出されたのがこの第七番だと思う。

実はN響でも取り上げる機会のきわめて少ないこの曲、僕は物凄く気に入っている。激しさはカッコよさに、合間に出てくる牧歌風な音楽は全体の激情を引き立てるつかの間の“安堵”として、見事な対比役を担っている印象。感情がはっきりしているし、全て“出し切ろう”とした形跡がある。潔い。
若い時も聴きながら興奮していたが、より情緒の種類を感じるようになった今は、この音楽で更に人間の深い感情の変化を知らされている。第一楽章の驚く程の激昂、第ニ楽章の幅広い豊かな歌、第三楽章のチェコの人々の民族的な踊り、フィナーレは厳しい歌と共に、ドヴォルザークの激しく生き抜いた人生を垣間見るよう。


今月18日の日曜日、葛飾シンフォニーヒルズでブロカート・フィルのコンサートがあります。14時開演。
後半が『交響曲第七番』、お時間のある方は青砥へいらしてください。


上野文化会館で、都民フェスティバル本番。

posted by take at 10:37| 活動報告