とあるドラマを見ていて、あらためて「知らないことの悲劇」を感じることに。
借金を残したまま両親共事故死、しかも障害を持った祖母を唯一の身内として介護している若い女性。祖母は耳が聞こえず歩くこともできない。寝たきりで手話でのコミュニケーション。
状況としては悲惨過ぎる。
彼女は「孫には祖母の介護義務がない」ことを知らない。借金取りから逃げるような暮らしなため、誰ともコミュニケーションを取らない日々。よって教えてくれる人もいない。貧乏極まりない中一生懸命面倒をみている。
介護を放棄する手続きをすれば、祖母は無料で施設に入ることができる。面倒をみたいみたくないの話ではなく、施設の方がいろんな意味で祖母の暮らしも安定し快適になる。
つまり知っていたなら、直ぐにでも施設に入ってもらい、安心して暮らしてもらえる。
しかし彼女はその策を知らない。
残された身内は自分だけだから、自分が面倒みなければならないと思って、自分も祖母も悲惨な生活をおくっている。
知らないとはかくも悲劇的。
知ることの大切さを痛感するエピソードです。
昨日書いた「理想にふさわしいことを知ること」とは少し内容が違うが、それでも「知らないから先へいけない」「知れさえすれば大きく変わることもできる」ということは同じ。
「知らない」とは、何より自分に対して酷く、時には残酷にまでなることなんだなあとあらためて思う。
知る方法を考える、知る方法を知ることもとても大切だ。