2022年06月25日

奇跡復活


僕は音楽の演奏に最も必要なのは「感動」だと思っています。

それはとてもとても高いハードルで、特に昨今、努力と叡智の結晶としての結果の素晴らしさがあちこちで花開いているにも関わらず、涙が流れるほど心から感動する頻度が下がってきた気がする。


料理を食べてもそう。

昭和のあの時代より、大半が圧倒的に美味しく、なんなら感動するほど不味いもの(?)に出会うのは困難になった。

それなのに「美味しいなあ」と感心はしても、身体が震えるほど感動まではなかなかいかない。

自分が歳をとったから?
クオリティの高さに慣れたから?

それもそうだと思うが‥‥


なぜか?

高いクオリティは全ての人にとって日常の当然になった。これは不快が減るというのと同居している。

もう一度書くが、これは多くの人々の叡智と努力の賜物だ。それはそれは人間的であり、それこそ感動するべきこと。讃えられて然るべきことだし、非難するのは全くもって違う。

それでも感動が減るのは、一緒に何かも減ったからだ。


それは「奇跡」だと思う。

演奏の感動に必要なのは、奇跡と感じるほどの瞬間だろう。


ではなぜ減ったのか?

多くの人が、より理屈を学び、過去のあらゆる素晴らしいものにある「文句の付け所」を排除し、そのせいで画一的になっていき、冒険をしなくなり、マーケティング重視で、更に情報も世界共通で手に取りやすく駆け巡り、とにかく正しそうであり、降りてくる感性こそを最優先にしなくなり‥‥

そうやって奇跡は影を潜めてきた。


そろそろ奇跡復活のときにならないかなあ。

そのためには、セオリーや理屈を無視した、反骨冒険テイストとも言える大胆な「個人的啖呵」が必要だ。

それは鬼のような勇気を持たないと発動しない。


まあ、言うならお前がやれよですよね。

posted by take at 21:45| 活動報告