2022年05月30日

最高の理解者


人間は


「真の親友とも呼ぶべき最高の理解者に巡り合う」


そのために長い人生を生き抜いているのではないか。

そう思う瞬間がありました。


巡り合うといっても、現実的には出会ってすぐにその実感がとはならない。つまり人生の長い時間をかけてそうなっていくべく生きているのではないかと。


それはまさにパートナーという言葉が相応しいが、一般的に想像しやすい夫婦の関係だけとは限らないだろう。子供かもしれないし、友人、ペットかもしれない。


人生が終わるとき、全ての人がそんなパートナーといられるということにはならない。見送られる側はそうなっても、見送った側は独りになってしまうから。そういう意味で愛と理解が最高に達していたなら、残して先に逝くのも、見送るのもやはり辛いこととなる。

そうなる可能性があるとしても、それでもやはり「人生の最期は独りになりたい」というのは、本音ではないと思う。それはある時期、人間関係が煩わしくなった人の口上だと思うが、その気持ちこそ、最高の理解者を求めているように聞こえる。


前も書いたが、僕の印象では50歳を過ぎると心の立ち位置が変わった気がする。

人生の前半が、自然と自分のフィールドや人脈をとにかく拡げていこうとするのに比して、後半になると本当に必要なものだけで生活を埋めようとし始める。

それが徐々に極まっていくにつれ、最も理解してくれている相手、理解できる相手、つまりたった1人の最高のパートナーを求めていくのだろうし、そのために必要ならどんどんシェイプしていくことこそが欲求になるのだと思う。

全ての気持ち、それが陽であれ陰であれ本音で表現でき、なぜ自分がそうなのかこそを全て理解して容認してくれるたった1人の相手。


だから「最高の理解者に巡り合うことを目指して生きる」ということが、人間が生き抜く本当の目的なのではないかと思ったのです。

posted by take at 18:26| 活動報告