2020年07月05日

見つめない気持ち


もし私たちの世界に鏡が無く、水面に映ることもなく、一切自分を見る術がなかったとしたら、人は自らをどうするのだろうか。

自分以外の人は我が姿形を知っているが、自分には見えない。絵に描いてもらうか。手で触って想像する能力が凄くなるかも。

ただそれでも、顔含め頭部の身繕いには無頓着になるのではないだろうか。実際現実でも、見るのが困難な後頭部は他と比べてほったらかしだし、見ようとしない。


話をそらすが、自分が作った料理の味見をあまりしないまま出す人もいるようだ。自分の作り方と味に自信があり、もう工程で仕上がりがわかるからしないという人もいるかもしれないが、本当に自信のある人こそ確認作業はつとめてやりたがると思う。

逆に自信のない人ほど、結果的に無頓着になっていくのではないだろうか。

普通自信が無い人ほどしっかり確認し整えるべきだろうと他人は思うが、当人はそういう気持ちになりにくいのだろう。


演奏も、よく見つめ、なんなら録音して確認しと他人のことなら当然のように思うだろうが、自信の無い人からすれば、なるべく見つめたくないものになっていく可能性がある。

しかしそんな心の晴れようのない現状を打破したいのなら、鏡を見つめずにというのは無理難題だ。不可能と言っていい。閉塞感から抜け出すには、勇気を持って先ず自分の演奏を見つめ、そして自らが評価し、自分の力で変えていくしかない。


現実の鏡となると、見つめない人はほとんどいない。器量が良い悪い、自信がある無いにはかかわらずみんな見つめ、自分にとってベストな状態へと身繕いをする。もちろん身だしなみとしてという気持ち、外へ出るのにみっともないのはまずいという気持ちが強いが、それだけではなく良く見せたいという美意識は少なからず働いているはずだ。その方が人生の時間は幸せに流れていく。

演奏も同じだ。やっぱりちゃんと見つめ今できる身繕いをした方が、楽器と出会ったときのあの純粋な本音、「この音と共に幸せへ」と向かっていくはずなのだ。


posted by take at 16:20| 活動報告