2020年05月24日

やすきよ


ふと思い立ち、すんごく久しぶりに、やすきよの漫才を見ました。

子供の頃よく見ていた、とにかくたたみかけるようなやり取りに、休む間もなく爆笑しまくっていて、お笑い好きな僕の一番好きな漫才師だった。

ネットの時代になってから久しいが、なぜだか見ておらず、リアルタイムの人たちばかり見ていた。でも「やすきよがとにかく好き」という気持ちは、自分の中にははっきりとあり続けてきた。


練習の合間に見たら止まらなくなり、何本もネタを見続け、やっぱり爆笑、やっぱり好きだなあと。

ただ「そうだったのかぁ」と思ったのが、ネタは今ならほとんどがNG。もう少しはオッケーな感じかと思い込んでいたのですが。

下ネタやハラスメント的なものはとても多く、常識人と破天荒の二人のハイブリッドだが、ネタ自体は現代においては非常識な方に傾いている。

しかし当時の会場は老若男女が大爆笑している。男だけ、おっさんだけが笑っているのではなく、若い女の子もゲラゲラ笑っている。ある時期はヤッさんは若い女子たちからの人気が沸騰、黄色い声が飛んでるくらい受け入れられていた。

僕も昭和の人間なので、見ていると直ぐに慣れるし、そんなネタが面白くて違和感なく見いってしまった。


ヤッさんの破天荒にネタの照準を合わせて、きよしも常識と無茶苦茶を往き来する。もちろんいろんな事件を起こしたヤッさん故の流れだろうが、ネタの大半はデフォルメされまくっているのは当たり前のようにわかる。

事件以外のヤッさん本人の自分話、きよしのヤッさん話、家族いじり、下ネタエピソード、ハラスメント的なエピソード、全てがあまりに誇張されていて事実ではないのは一目瞭然。

だからそんな無茶苦茶話が、本当に面白い。


しかし現代は、事実じゃない誇張話であってもこれらは駄目。おそらく子供に影響がとかいろんな理由があるのだろうが、本当にこれらを現実的に捉える人はいるのだろうか?

完全に見ている側に、想像力と妄想力を委ねている世界であり、芸事のネタでしかないのに、今の時代は、芸人のネタにすら現実を逸脱しない感覚を要求している。

昭和の人間としての僕は、見ている側に委ねられた想像力や妄想力、判断力までが排除される流れは少々寂しい。芸事を楽しむのは、大人のたしなみでもあるし。

でも今の若い人たちはダメなのかもしれない。


実はこの時代の変遷の中で、やっぱり下ネタだったりハラスメント的ネタだったり、どつきだったりだが、感じの悪い芸人たちもいたし、今でもいる。

やすきよは、そんな芸人たちとは違って感じる。

本当に誇張しながら人間の本質が楽しむ部分を、愛嬌と親しみ、お互いをかまい合いながら、才能とセンス溢れる話しっぷりでやりきってくれる。

そこには一生懸命さもあり、人間味が十分すぎるくらい滲み出ていたからに他ならない。


休日

posted by take at 18:09| 活動報告