2018年10月28日

世界観 空気感


世界観、空気感は人によって持ち合わせているものが違う。

ただ、携わっているジャンルに相応しい空気感のタイプというのはやはりある。相応しくない世界観も。


最近の僕、指揮者に対しては、その人の演奏や立ち居振舞い、言葉から醸されるこの空気感や、私たちオケマンや聴衆を誘ってくれる世界観がファンタジックであり、原点である西洋の時空間を感じさせてくれる人を望みます。

それがあれば、多少棒がわからなかろうがなんだろうが、全くかまわない。

実はそんな指揮者が少なく感じられる。

棒のテクニックがあり、よく勉強もしてきており、アンサンブルもやりやすいように示してくれたりするが(実はこれはこちらの仕事だったりする)、香りたつ空気感がない、その世界観に幻想的なイマジネーションを感じられず、なんだか現実的にオーケストラが鳴るだけみたいな人が多い。歌っている歌ってないとかとは別の話。


僕自身が、50を過ぎてから特にそういうことを望む価値観になってきた。

細々と、うまいことテクニカルにまとめたり、「勉強してきました!」「僕の気付いたアイデアどうでしょう?新鮮で今までになく素晴らしいでしょ?!」とアピールされても、とにかく、空気感からの世界観こそが


なんにもない


みたいに感じられたなら、たいしたことないとしか思えない。少なくとも、僕はあまり価値を感じられない。


これは演奏家としての自分にそっくりそのまま反ってくる言葉だと思う。

自分も、テクニックやミスなき完成度だけを感じられてしまい、それ以上のファンタジーを見つけてもらえなかったとしたなら、それこそ現代を彩るテクノロジー発展至上の空気感、そのスタンスにのっかった今風の凡庸な演奏家として、いずれまるでいなかったように忘れ去られてしまうのでしょう。


そうは言っても自分のことはよくわからないのですが、少なくとも音や音楽観に言葉にならない何かが宿るよう、感性の幻想性についてこそ感じようとするしかない。


N響郡山公演

posted by take at 20:16| 活動報告