2018年08月09日

好奇心


子供の頃の話。田舎のおじいちゃんちの裏にあった森、その奥へ奥へと入っていき帰り方がわからなくなって泣き叫んでいたことがある。

自分が来た道をきちんとチェックするということを知らないような幼児期だったが、怖さあっても前へ前へと進んでいったあの原動力とは、まだ知らないことを経験してみたいという我が好奇心にほかならない。


先日年長者の回顧話を聞く機会があった。

若かりし頃の人に言えないような恥ずかしい行動を打ち明けられたその末尾に

「あのときは、みんな好奇心が強かった。とにかくやってみたかった。もう好奇心好奇心やったんや」

という発言があった。

その直後から、僕の中にはこの「好奇心」という言葉が何度も沸き上がってくるのです。


小さい頃若い頃はまだ知らないことだらけ。具体的な喜びも具体的な恐怖も、大人も社会も、時間の流れも人生も、お金も身体のことも、男なら女性も、そして森の奥もそこへ向かおうとする自分も……

知らないことは知ってみたい、楽しさや気持ちよさという快感を知れば更なるアイテムを経験してみたいという方向へは、DNAに組み込まれた欲望プログラムに対して好奇心というエネルギーが働き、本能的な流れで自分を動かしていったのでしょう。


そら公明正大なことばかりではない。やってしまってから駄目だと理解することあれば、いかん、できればそうしない方がいい、人には言えない恥ずかしさとわかってはいても、あの「好奇心」が自分を止めてくれず……



時は流れ、大体いろんなことがわかってきて、安心感と共に、平穏な日常をコントロールしながら生きていけるようになり


あの欲求は内容が変わったのか、それを発動させるより大切なことを優先しているのか

それとも、本当に与えられた一生分を使いきろうとしているのだろうか

好奇心とは、結局最期は枯渇してしまうものなのでしょうか


川越へ

posted by take at 11:27| 活動報告