2018年06月22日
知っていたい本当の意味
一万時間の法則はある意味説得力を持っているが、やはり例外の中の例外もあると思う。
「学問でも芸術でもスポーツでも、世界レベルに達している人には、本人が自覚するしないに関わらず一万時間のそのことについての練習や努力を費やしている」
【一万時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない。 まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのようだ】
神童や早熟の天才が一万時間までかけなくても……という例外を言いたいが、ここで言う世界的レベルというのは、もう少し大人として完成されたものを指しているのかもしれません。
【「練習をせずに天才的才能を発揮する人」も「いくら練習をしても上達しない人」の両者もいなかった】
練習をせず云々はそうだと思うのですが、いくら練習してもに関しては、熱心に取り組むが上達しなかった人を知っている。
やはりAさんとBさんが同じ時間、同じ内容に取り組んでいても、目指していることはじめとしたメンタリティで結果は大きく変わってくる。
今自分がやっていることの意味合いに関して、理解していることが真理に近ければ近いほど、直接的上達に繋がるのでしょう。
もし遠かったとしたら、足踏みかないしは後退になってしまう。
そしてその「真理に近い取り組みの意味合い」の理解と共に、変化の実感がそれなりにいいスパンで訪れる人ほど、更なる変化を求め、工夫をしたり知恵を働かせたりしながら、新しいアイデアを探し試すのでしょう。
そんな人ほど、どんどん一万時間目まで、自分の時間を邁進するのだと思います。
好きこそものの上手なれなのですから、
好きこそ今やってることの意味を知れ
ですね。
大塚へ
posted by take at 17:41| 活動報告