2018年05月02日

物質のように見つめない


演奏は、聞き手へ向かって流し込んでいかなければならない。

「どこへ」が場所とすれば聞き手の心へ向けてだが、大事なのは、かの人が所有している未来の時間へ向かって、常に流し込んでいくこと。


楽譜は左上からから右下へと視界の位置をなぞっているので、一曲がまるで「ひとつの物質」のように存在しているが、演奏という本来の価値ある姿には、目の前に登場するような“形”は存在しない。

だから、一曲を物質のように固めて見つめてはならない。

あくまで、瞬間の羅列が存在するだけ。

いずれにせよ、印象は残れど、それ以外の物も事も、形も存在も何も残らない。


思いを息にのせて流し込み続けなければならないわけで、途中で止まってしまうような時間を作ってはならない。

一曲の演奏をひとつの形ある物質のように感じ、それを演出しようとして、切り取って止めたように仕立ててはならない。

聞き手は、そんなことでは好意的には感じないことをしっていたい。

同じく時間を流れても、目に見える演劇とは違う。止まったような演技から感じることはあっても、止まったような演奏からは伝わるものはない。


演奏とは、止まらずに流し込み続ける作業としては、休まず働くサービス業のようなもの。

時間でしかない。形はない。

「頭で考えて形を作る」ことで、止まりようのない時間の真実を見失ってはならない。


N響練習、川越へ

posted by take at 11:19| 活動報告