2018年02月26日

ソルフェージュへの態勢


「結局、ソルフェージュ能力ですよね」


リズムや音程について、洗練されない奏者の話になると、必ず総括のように発せられる価値観。

まあ、そうなんでしょうが、そう言ってしまうと考察を終わらせてしまわなければならないくらいの実弾ワードであり、もう少し頑張りたくなる。


当然ソルフェージュを積み重ね、身体に入れていかなければならない感覚というものはある。

ただ、ソルフェージュは凄くできるけど楽器になると「ん?」って人はいるし、楽器はいい感じで吹いてて「ソルフェージュは苦手」なんて人もいたりする。


アレクサンダーテクニークのように、身体の使い方はソルフェージュ、特にリズムの洗練に影響があると思う。

うまくリズムがとれるような身体の使い方、そのコツがあるということ。

そこがうまくいってないがゆえに不安定なリズムに対して、ソルフェージュ能力が…とだけ言っても、あまり解決にはならない気がします。


また道具のこともかなり気になりはじめました。道具との相性が「実は」良くないから(本人は気づかず自分のせいだと思っている)リズムの取り方がわからなくなることがある。


そうなると、これら身体や道具に対して多少なりとも探究心があり理解するタイプなのかなんて、人間性の話にもなる。


いずれにせよ「ソルフェージュ能力」という言葉にだけに閉じ込められない現実があり、我々教師も、本当に正確な知識と、どこまでどのようにアプローチするかの判断力が必要になる。

何でも生徒の自主性まかせだとたどり着かないし、だからといって手取り足取り教えたって、限界の壁には直ぐにぶつかる。


この点でも絶妙なバランスが必要。

生徒も教師も、熱意と知識、継続と転換、スタンダードと新規開拓のバランスこそが大事。

どれかが欠けていた場合、あの恐ろしい言葉

「ソルフェージュ能力がねぇ」

が、引導のように発動されてしまう。


N響練習、レッスン

posted by take at 16:54| 活動報告