2017年09月02日

言葉の重要性


凄くシンプルなことを思いました。


「言葉にならない感覚」というのは、それはとても難解な領域なので、自分に宿っている部分を人と共有するのは難しい。

それをなんとか共有したいなら、大分削れてしまうだろうが、既存の言葉にして常用する必要がある。


たとえば音色だったり、よかれと思っている価値観だったり。


魅力の細胞の解像度としては大分ぼやけた表現にしかならないにせよ、その簡略化された言葉を多方向からいくつも尽くしてながら話していて気づくのですが、相手がその数限られた言葉の、更にいくつかしか意識してなかったりする。

となると、更にシンプルな味付け、出汁は無く醤油だけとかになるので、当然更なる幅広き発展は難しい気がしてしまう。

そうなのかと思った時……

「いや、考えとして自分の中になかったものを言ってもらい、意識したら、凄く納得できました」

と言われ「嗚呼、こうやって深くなっていけばいいだけか」と。


とにかく、簡略化されたいくつかの価値観は、漏らさず残さず共有することがまずは大事なんだなと。

教育やコミュニケーションが上手い人って、簡略化された感覚だけを、しかし必要な数漏らさず表現するのでしょうね。


すみません、結局シンプルでもなくわかりにくくて。


川越へ

posted by take at 20:45| 活動報告