2017年07月25日

四次元的基礎考


僕は今まで、いったいどれくらいの時間ロングトーンをしたのだろう。どのくらいの時間リップスラーをし、何往復スケールを吹いてきたのだろう。

それで足りていたのだろうか、実は足りていなかったのだろうか……



『基礎』という言葉からは、全ての人が絶対的なものを感じる。

絶対的に素晴らしいもの。絶対的に必要なもの。


基礎あるいは基礎力無くして出来上がったものからは、怪しさと不安定さ、本物ではない感じ、実力のなさが香り立ってくる。


そんな基礎は実は立体的なものであり、基礎トレーニングというノウハウ、そして基礎力という力も全て、点や線、面、空間といった3次元までのイメージではなく、積み重ねる時間という時間軸と共に、四次元的に存在しているものである。

それは、ポチッとすると瞬時に答えが登場するインターネットや、一方的に快楽が享受できるゲームとはある意味対極の位置に存在している。実際インターネットもゲームも、基礎トレーニングを積み重ねなければできないわけではない。


人間は、誰でもが容易に入手できるもの、誰でもが容易にできてしまうことには、瞬間的な快楽しか感じない。本来のホモサピエンスの感性が讃え羨むものは、実は難易度の高いもの、簡単にはできず、簡単には手に入らないものだと本能が理解している。

よって演奏家だろうがアスリートだろうが、料理人だろうが絵描きだろうが、より多くの人にとって困難なこと、生み出すのに困難な物を実現している人こそを尊敬したがり、実は求めている。

この高い難易度にこそ、四次元的基礎が、その中心に微動だにしない頑固さをもって存在している。



基礎トレーニングの必要性は、ほとんど全ての人が理解していながら、しかし熱心に取り組む人とそうではない人がいる。

それは求めている完成品のクオリティと、それを手に入れたいタイミングが全うかどうかで差が出てくる。

そこそこのものが直ぐに欲しい人は、基礎には触手がわかない。少しでもレベルの高いもの、いや実はとても高いものを望んでいる人は、小さな進歩に喜びを感じ、時間をかけてそれが繰り返される道を選ぶ。

その際、どうやっても基礎の積み重ねという王道を無視することはできず、結果そのストイックなテイストを楽しむようにすらなっていく。

実はノウハウや時間だけでなく、このストイックへと向かいたがるというメンタリティも四次元的世界に絡んでおり、そうなるともう立体的というだけでなく、命をもっているようですらある。



ある高名な画家が「基礎としてのデッサンはどのくらいやりましたか?」という質問に「若い頃、1日にスケッチブック一冊書きなさいと言われ描いていた。電車の中でもずっと人物を描いていた。今は電車内は問題になるからできないけど…」と答えたのだそう。

スケッチブック一冊って実は凄いことだ。軽く30ページ以上ある。1日中描いている感じだ。

モデルが確保できないから、石膏像を描いたりしたようだが、アングル変えるだけでなく、同じ角度から何回もトライしたそう。同じアングルでも、何度か描いていると、違って見え描き方もわかってくるのだと。

まさに基礎トレーニングの極みのようなエピソードだが、同様に「やらなければならない」と言われても、そこまでやらなかった人もいるのだと思う。


やるかどうかは、やるべきだとのの勘が働くかどうかに尽きる。


基礎だったら何でもやみくもにやればいいというわけでなく

「これこそを毎日休まず、量必ずやれ」

と言われたことに関して、

「そうだな、これをやらなければ絶対だめなんだ」

と超素直に納得からの自分への鼓舞となり、ストイックの扉を開けられるような人間でないと、人々が真に求めている魅力クオリティには辿り着けないのだろう。


私たちの生活、心の豊かさが流れていく人生の時間は、全て「基礎」によって支えられている。

それは太古の昔から、そして未来永劫変わらないものであろう。私たちが人類である限り。


川越へ

posted by take at 09:24| 活動報告