2017年07月20日

単調ではなくなった短調


子供の頃、なんだか短調の曲の方が好きだった。

テンポがゆっくりで、次々と悲しみが滲み出てくるようなフレーズを情感たっぷりに歌うような音楽の方が優れている、とすら思っていた気がする。

大人になっていくにつれ、明るい音楽も好むようになり、ある時期は暗いものへの興味がかなり薄れていたりもした。


高校卒業するまでは、夜遅くまで部屋で一人でレコードを聴いていたというのが、内向的な暗さへと向かわせていたのかもしれない。人生経験が短いなりに多感な琴線が、とにかく悲しみの情感を求めて、内側へ内側へとはまっていっていた。

大学、そして社会へ出ていき、バブルの華やかさや、お金やお酒との付き合い、東京の賑わいを浴びていくにつれ、徐々に明るく開放的になっていく。実際暗い人間性は否定されがちで、周りから明るさを求められたし。

音楽の時間も、一人の部屋から、他人との社交の場でと移っていく。何よりオーケストラをやるようになってからは、コンサートホールの数千人が、共に体験する人として存在するのが当たり前になった。

レパートリーも増えていき、明るい暗いは、僕の趣味の袋を満杯にし、様々なものに対する価値観も広がった。


自分自身が前向きに明るめに生きるようになり、わけもわからず悩みそれをコントロールできないようなこともなくなってくると、暗い音楽も聞こえかたが変わってしまった、そんな気もします。


今、ブロカートでチャイコフスキーの四番に取り組んでいます。昨日までのN響のツアーもこの曲でした。

最近少なくともチャイコフスキーに思うのは、明るい曲より暗い曲の方がいいなあと。バレエの明るい華やかさも魅力だが、陰鬱なピョートルは、その表現のインパクトがより強力な気がします。


若い頃と短調に対する感じ方は変わったが、しかし悲しみや辛さを忘れてしまったわけではない。

より深い刹那は、これからの僕をさらにより暗い表現へと誘い始めた気すらするのです。


大塚へ

posted by take at 21:24| 活動報告