2016年03月31日

昇るクァルテットの世界


一昨日のコンクール、素晴らしくエキサイティングな一日でした。全体のレベルがかなり高かったのです。審査員も皆口々に 「うまいなあ……」と。

ほとんどの団体が、凄く準備をしたことが伝わりました。スタイルやフォルムが統一され、貫かれている団体が多かったのです。このコンクールにかける意気込みと、アンサンブルをやることへの高い理想が内在していることは容易にわかりました。審査員は全員、自らがクァルテットを恒常的な続けている人たちでしたから。


難易度の高い自由曲に取り組む団体も増えていました。スピーディーな細かい音、高い音域、跳躍が鮮やかに吹けることはもう基本仕様の時代。

「かつてと楽器が違うのか?」

と思わされるほど、皆さん見事な吹きっぷりでした。

そして時代は、更なる高みへ行く今この時なのだなと、感じさせられました。


トロンボーン奏者の常として、ハーモニーを重要視すること、そして同一楽器であるが故の「乱れる印象回避」として、タテの線を合わせることに大いにこだわるのはわかります。まだまだ精度の極みを目指して欲しい団体もありましたが、かなりの確率でそれが高い次元でなされていた。


例えばこう考えてみたい。

木管五重奏や弦楽四重奏のコンクールだった場合、彼らの準備は、ハーモニーやタテの線、スタイルの統一に特化するだろうか?

木管なら、受け継ぎや旋律と伴奏のバランス、技術の聞かせ所、そして皆楽器が違う故に各々が強く持っていそうな音楽観をぶつけ合い、全体のテイスト、流れをまとめて説得力を目指していく。

弦楽四重奏なら、もうこれは想像でしかないが、和声なんかは合わせるなんて次元ではなく、「どう響かせるか」であろうし、それは作品のスタイルに対する普遍的かつ深淵な音楽性ありきの音によるディスカッションの上、自動的に生まれてくるものなのだろう。タテなんかも 「せーの」 で合わせるものではなく、どのように音が生まれ、どのように伸び、どのように消えるのかの共有だと想像します。


私たちトロンボーンクァルテットの世界も、いかなる演奏が調和や刺激、驚異とは別に

「純粋な音楽として感動するのか」

という部分に立ち入っていく時代に入ったのかなと。

管楽器であり、しかも金管なので、まず音ありきであり、調和ありきであり、印象ありきなのはこれからも変わらないでしょう。しかし、より積極的な普遍的音楽性の追及こそが、今後の勝負になるのだと思います。

最後に私たちが向き合うのは 『息、そのキャラクター』なのだろうと、強く感じました。

そこにこそ、驚きや快感を超える

『感動』

というものがある。この、最も困難な目標を目指す時代に。



ジークフリート練習。

posted by take at 21:35| 活動報告