2015年11月29日

意識のポイントと薄くなること


随分前からたまあに、本当に忘れた頃に思い出したように沸いてくる疑問がありました。変な話なのですがそれは


“人は、なぜ繰り返すと出来るようになる、精度が上がるのか?”


です。そんなん当たり前じゃん、と言う人が多いと思うのですが。一体何がどうなってるんだろうと考えたりしていました。

オケの練習でも、初日の最初のサウンドと音楽が、二日目の最初には随分違う形でできるようになっている。N響なら、初日の最初から立派な演奏が展開するが、その日練習をして、次の日の朝にはやはりより素晴らしいものに変化している。

昨日と今日。そりゃ理解できたとか、身体が経験したとか、慣れたとか単純にあるのだろうが、しかし具体的には何が出来るようにさせているのか、時々不思議になる。

これに関して、少し納得できたことがあります。


私たちが演奏する時に、三つの行為を同時にしていると考えたい。

・楽器で音を出すという行為。息を出し身体を動かし。

・目を使い、楽譜を見るという行為。

・耳を使い、自分の音を聞く行為。

これらは、どれも精度高くやれるにこしたことはないが、現実的には自分の意識は分散しにくく、いずれかに集中するよう。しかも、あることに意識を使うと他のことは薄くなるようなのだ。どれに集中して使うと、演奏には良いのか。

これは、自分の音を聞く、つまり耳に対する意識に他ならない。

一瞬演奏することと考えがちだが、演奏行為ばかり意識していると、聞くことは薄くなっており、きちんとできてなくても気がつけない可能性も高い。

耳がきちんと自分の音を聞き続けられれば、感性が本能を刺激し、理想を求め、身体を自然と良いように動かす可能性が高い。


目と耳の関係だが、たとえば初見の時には目が大活躍、意識の大半は見ることに使っている。音が並んだとしても実は耳は薄く、演奏のクオリティを精査する力は弱くなっている。繰返し練習することによって、だんだん目を使う必要性は弱まる。耳が自分の演奏のクオリティを確認したり、理想を追うことに集中力を使い始める。すると、譜面は見ているのだが、きわめてぼや〜〜っとしか眺めていないが、そのことはほとんど問題にならない。


練習を重ねて演奏が変化する。これは、演奏家の身体の中での意識のありどころが、変わっていくということのようだ。

そして耳の世界も、自分の音を聞きにいくことは変わらないのだが、繰り返すことによりたんだん周りの音も聞こえてくるように変化していく。あくまで聞きにいくのは自分の音で、その奥に周りの音がコーティングされ無意識でも聞こえるようになる。そして、ハイブリッド的に素晴らしいものへと変化していくのだが、この時の意識のありどころを間違えると、演奏は失敗の方向へ向かう可能性もでてくる。


このことが理解できれば、合奏の繰り返しのみならず、普段の練習の個人練習、基礎トレーニング、エチュードや曲に対する取り組みも、より的確なものになると思います。

また、奏法で悩んでいる人の原因の根っこは、奏法自体にあるのではない可能性も見えてきたりします。


室内合奏団。ブロカート。

posted by take at 17:22| 活動報告