2015年11月26日

自分の耳を捕まえ続ける


以前、男と女の能力の違いとして、

“男は、テレビを見ている時電話がかかってきたらテレビか電話かどちらかしか選べないが、女性はテレビ見ながら電話の会話を成立させることができる”

というのを考察した。更に僕の知り合いのピアニストは、テレビドラマを見ながら電話で会話し、更に書き物もできる人がいたと。

ただ、女性に聞くと

「結局、それぞれは薄くなってるんですけどね」

と言っていた。


今日レッスンしながら、楽器を吹く場合は、目と耳というのはどちらかが優先されている、つまり片方は薄くなっているのだな、と感じる瞬間がありました。

例えばテレビや映画を見るときは、映像を見ることも音声を聞くことも、合致して高い精度でインプットできるのでしょう。お喋りなんかは、相手の表情まできちんと読み取るほど目は力を使い、相手の話もきちんと聞き取り(理解能力は別の話っす)、更に口から発するメッセージ、アウトプットも負けじと大活躍したりする。

だから、必ずしもどれかが薄くなるほど、人間の能力は低くない。

しかし演奏に関しては、集中力に使うエネルギーが高いのか、分散は難しいのではないかと感じます。

「いやあ、楽譜は見て、きちんと聞きながら吹いてるよ」

でもどうでしょう。初見の時は、やはり目が優先で、本当にいい音、いい発音、いい音量になってるかは怪しくないでしょうか。

何回かトレーニングした後は、練習でも本番でも、視界に入ってても、楽譜は

“ぼや〜〜っ”

としか見ておらず、耳が音の成功を確認する方に力を使ってないでしょうか。

逆に、ほとんど練習なく本番とかやっちゃうと、高い初見能力で間違わず音が並んだとしても、演奏のクオリティまでは確認しきれてないのではないでしょうか。

今日は、生徒と一緒にロングトーンやリップスラーをしていたのですが、聞き続ける耳に力を使うと、やはり目は開いていても焦点が合ってないというか、ボヤけてる気がしました。目からの情報は入れないようにしてるというか。

ところがある瞬間、見ることに意識を使いはじめると、やはりそれまでより音は集中して聞けていなかったのです。

特に私たち管楽器は、発音と音色、音程や音量が上手くいくと、伸ばしている途中で安心するみたいで、高い精度で聞き続けるのをやめてしまい、音の後半は

“惰性テイスト”

になっていることも多々あります。息流せば音出るし、なんとなく抜いて、自分で気持ちよくなったりしてるし。

そういう意味でも、先日書いた目をつぶるのは得策。ただ、暗闇の中、逆に視界は無であり変化がないからか、これまた油断をすると他のことを考え始めたりする。


やはり、耳の集中持続力に尽きます。私たち自身が、自分の耳を捕まえ続けることが大切なのでしょう。


レッスン。N響定期。

posted by take at 22:15| 活動報告