2023年10月04日

時代への思い


もしかしたら今の若者たちは「昭和時代」に対して、軽蔑の眼差しで見つめているかもしれない。表立ってなくても、潜在的にはそうだと思う。

ジャニーズの問題が黙認されまかり通った時代。そんなセクハラ・パワハラが普通だったと伝えてきたのは、何を隠そう私たち昭和時代の人間だし、「それはそれで良かったんだけど」みたいな含みまで持たしていたりした。

しかしそんな昭和原人たちの見積もりは全く甘く、令和を生きる若者たちは思ったよりそこに嫌悪しか持っていない。もちろん彼らをそう育てたのは私たち。

また時代が変わった感を感じている私たちにとっても、このことは「そうだろうなあ」と受け入れるしかないくらいの変貌。

もはや「昔は良かった」と言うのはリスクしかなく、公の記者会見でなくても日常気をつけなければならないことは目白押しでやってきている。


おそらく人類における必然的な自浄作用だと理解しながら、それでも「若者が過去を軽蔑する」という空気感は、残念でしかないだけでなく良くないとしか思えない。

そういう意味で現代は残念な時間が流れていると感じざるを得ないのです。


それは個人の中に本来内在しなければならないリスペクトの気持ちを無くし、批判、非難によるアイデンティティの確立に貢献してしまうから。

そうなると無益に自信に溢れ、横柄になり思いやりのない人間へと育っていってしまうから。


僕は自分が生きた時間のことしか正確にはわからないが、それでも

「どんな時代も素晴らしい叡智、努力、開拓し生み出す力、尊敬に値する人間力に溢れている(いた)」

と信じている。それが受け継がれてきたからこそ、あまりの素晴らしさに包まれながら生きていける。

もちろん人間だからこその愚かさも姿形を変えずに存在し続けている。しかしそれを抑え、なんなら自浄しながら素晴らしいことこそを受け継いでいこうとしてるのも、太古の昔からずっとそうであるはずなのだ。

未来のいつかになれば、この令和の時代も、軽蔑ではなくそのように懐古されるべきだと思うのです。

posted by take at 08:45| 活動報告