2023年09月21日
重い(思い)言葉がもたらすもの、軽い言葉がもたらすもの
「言葉は大事」という価値観で話が盛り上がった。
たとえば関わる人全員でやるべきことがそうなっておらず、一部に大きく負担がかかる。距離や事情でやむを得ずお金でなんとかしようと。
誠意がないならまだしも、そうやってどんなに感謝のこもったお金を使っていっても埋まらない心の溝が、たった一言の「ありがとう」や「ごめんなさい」で解決することがある。長年の不信、恨みが一言で雪解けへとか。
「関心もお金も出さないなら、せめて一言だけでも」「でもそういう人に限って一言もない」など。
特に女性は「一言の重要性」をよく知っている気がします。
同時に、そうだからと乱用されている謝辞や謝罪も多く見る。まるでマニュアルのように。
そんな言葉は発音もテンションも乱れてくる。
「ありがとうございまーーす」
「ごめんなさーーい」
「すみませんでしたぁー」
「了解でーす」
商売ならわかるが、日常の深い関係では実は歓迎しない。不愉快にすら感じたりする。湯水のように口から流れ出ている本人は気付いてないだろうが。
言葉こそが唯一の薬になるくらい、改善への力が内在していることは確かだ。
同時に「とにかく言っておくことが大事」となり、心もTPOも感じられない言葉のなんと不必要なことか。
それが潜在的に理解できており、正直で真摯、きちんと周りが意識できる人の言葉からは、そんな不安や不愉快は一切ない。
これは日常忘れがちであり、定期的に真剣に意識すべきことだと思います。
posted by take at 11:46| 活動報告