2023年09月05日

ゴミは見たくない


外国人観光客が、日本社会の清潔さ美しさを讃えている。

「街にゴミ箱が無いのに、道にゴミが落ちていない!」

「私の国では、あちこちにゴミ箱があるのにあちこちにゴミが落ちている。ガムがあちこちに落ちているんだ。私は5ヶ月日本に滞在しているが、ガムが落ちているのは一回しか見ていない」


その一個落としたん誰や!逮捕!!


まあ、私たちにとっては当たり前のこのことですが、讃えられると嬉しいし喜んでくれたなら誇らしい。

メジャーリーグ観てて、選手や監督がペッペッ唾を吐くのを見るのも慣れないが、やはり自宅だけでない生活空間全体に対して求めていることの根本が違うのでしょうね。

清潔にするのは、ご先祖様が美意識を今にまで受け継ぐべく教育してくださったおかげですから、自分が立派なわけでもなんでもないのですが、やはり日本人に生まれてよかったと思える資質のトップにくるくらい、心から良かったなあと思えるのです。

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2023年09月04日

教師の永遠なる進化


教師は、生徒に自分の経験やスキルを伝えるだけではダメだ。

なぜなら、それでは表現の世界は進化はしないから。進化しないと教えている教師こそが未来へは行けず、限界点のような位置で留まってしまうから。

一演奏家としての教師がある程度の成果を成したとしても、その表現の素晴らしさが永遠に伸びていくわけではなく、ひとつの結果点で終了するのは確か。

生徒がそれを超え、更なる到達点を達成してくれることで、教師自身も初めて進化の中にい続けることができる。

そういう意味で、教師こそが時間や憧れを止めてしまってはならない。


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2023年09月03日

落ちて着く


しつこくてすみません。

「落ち着かない」という言葉は「落ちているんだけど地面に着かない」という風に見える。「落ち切らない」

つまり、ビートや足取りがしっかり地面に着く前にもう先へ行ってしまうという風に感じる。

ビートや拍感、重心がしっかり着いてから、着き切ってから次へ進むとなると「落ちて着いている」となる。

そうやって重さや深さは生まれてくるのかもしれない。

インターネット21世紀は、もたもたしたことが嫌悪される。サクサクどんどん行きましょうと。パッと転換明晰にだ!

しかし人には、重々しさ、そこから生まれる深遠さを許容から理解、更にそれを欲する能力は根本的にはあるはず。

表現の世界においては、そのリバイバルは大いに期待したいものです。

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2023年09月02日

ふかおも〜


もうひとつ。

「最近の指揮者は軽い!」という文句はあっても「最近の指揮者は重い!」という文句は皆無であり、「表現がない!」や「浅い!」はあっても「深い!」という賛辞はほぼ聞けない。

まとめると「ゆったりと重々しくて深い」という褒め言葉になる人が見られないということになる。

僕が個人的に一番「そーなのかー」と思うのはワーグナーで、あの方の音楽というのは「透明度高く美しく」というよりは、圧倒的に「重心が重く、表現は深く」だと思うのですが、世界的に見てもそうやってくれてる感じがほぼしない。まあそうしてしまうと、ただでさえ長いオペラがもっと長くなってはしまうのですが。

せめて管弦楽曲みたいな単品ではそうして欲しい希望がある。


なぜ軽くなってしまったのか?

音程感が明晰になり、美しく濁らずハモることを重視した結果、伸びた音に奥行きこそを求める人が減ったからではないかと思う。

オーケストラの精度が上がる、指揮者のまとめ上げる精度が上がるのはいいのだが、フランス物はともかくワーグナーはやたら重くて深い、という人が出てきてもいいと思うのですが。

これは昭和のジジムジカーの時代錯誤的戯言になるのかなあ?

posted by take at 18:21| 活動報告

2023年09月01日

インテンポはダメ?


先日N響のとあるベテラン奏者と飲んでいる時、指揮者の話になり

「最近の指揮者は軽いだけでなくインテンポが多い‥」

という嘆きが聞けました。

インテンポが多いというのはユニークな表現。


現代の指揮者が流れの良さや縦の線、リズムの明瞭さという意味でのアンサンブルを意識したとき、どうしてもインテンポに寄りがちな部分が多くなるのかもしれない。

じゃあアゴーギグをつけまくって、速くなったり遅くなったりしまくればいいのかといえば、それはそれでツボにハマるかどうかはわからない。

絶妙に激しいアゴーギグを表現したフルトヴェングラーの後続の指揮者の発言として

「私はインテンポでやる」

というものが残っている。

つまりアゴーギグもやりゃいいってものではなく、やりようによってはアンチ的感覚も湧いてきて「それならインテンポで」という流れも出てくるのだろう。

今僕が求めたいのは、大見得もあってもいいが、小見得が散りばめられたもの。つまりほんの少し早かったり遅かったりというタイミングで揺さぶれるもの。

いずれにせよ、人の心にすっと入っていき、気がついたら喜びや感動を誘うものというのが絶対条件ですね。

それができればどうでもよろし。

posted by take at 18:07| 活動報告