2023年09月15日

知識や能力の行く末


知らないより知っていた方がいい。

ただ知っているだけではだめ。それを利用して、できなければ。

同時に知らないけどできる人もいて、それはそれでいいとなる。できさえすればみたいな。

でも知らないより知っていた方がいいと、堂々巡りのようでもある。


センスという、説明が困難な感性がものを言うが、良きセンスと共に生きると知識欲が出てくるのが自然。そうやって知っていく。

人間とは何か、なぜ素晴らしいものを目指すのか。そしてそれが自分一人では決して辿り着けないことも知っていくことになる。

そうやって最後、知識も能力も全てが人間力、人生力になる。周りに求められ、讃えられる人間になっていく。

posted by take at 21:19| 活動報告

2023年09月14日

東京と香川県の恐ろしい現実


東京銀座では、美味しい讃岐うどんを食べるのに3時間並ぶことがある。

僕が若い頃には考えられないこと。しかし、そうまでして食べたくなるような本当に美味しい讃岐うどんが食べられるようになったのは良いことですね。


香川県では、美味しい讃岐うどんを食べるのにその日運悪く並ばなければならなくなった場合、行列を見て10分以内なら並ぶが、それ以上なら少し歩いて5分後にやはり物凄く美味しいうどん屋へ行く。


そして銀座から羽田空港へ行き飛行機に乗り高松空港を目指せば、場合によっては3時間も経たないうちに美味しいうどんが食べられる。


あなたはどこでうどんを食べますか?

posted by take at 09:34| 活動報告

2023年09月13日

もたらすもの


音と音楽は違う。

もっと正確にいうと「ただの音」と「音楽の音」は違う。

自然の音含め「ただの音」には、意味は無くてもいい。

たとえば川のせせらぎの音、雷の音、雨音、風の音、何かがぶつかる音‥‥私たちの生活の中で聞くことができる自然音には、人間として意味は無くても構わないし、そもそも意味は無い。ただ鳴ってればいいだけ。


しかし音楽の音となると話は違う。

人が人のために奏でる音楽の音は「ただ鳴ればいい」とはならない。

私たちは勘違いしがちだが、どんなにいい音でも「意味が内在しないいい音」ならそれはただの音。つまり音楽の音ではない。

音楽は音ではないから。音楽だから。


美しいことはそれだけで価値があるが、しかし「意味が内在しない美しい音」ならそれもやはりただの音。音楽の音ではない。


わかりやすく考える。

ただの音(自然音含め)が人間にもたらすものとと、音楽が人間にもたらすものを真剣に考えれば、おのずと「音楽の音に必要な意味」は見えてくる。

「聞く人にもたらすものは何か」を意識することで、本当に必要なことは見えてくる。

そして「あなたのやっていることは実は意味が無い」と言われない人生を送りたい。

posted by take at 20:55| 活動報告

2023年09月12日

新しいことがやってくるために


昨日から大学における後期の個人レッスンがスタートしました。

1時間を3人、3時間のコースでしたが、その時間の中でいくつかの貴重な気づきがありました。


一人でさらったり妄想している時に全くアイデアが出ないわけではもちろんないが、やはり人と相対してる時の方が

新しい出会い

新しい気づき

新しいアイデア

がやってくることが多い。


コミュニケーションとは本来多面的な意味合いがある。

ただその言葉からイメージしやすいこと、交流をしているとか楽しいとか、ただ話している、ただ緊張したり安心したり助け助けられたりというだけでなく


「新しいことに出会える可能性が上がる」 


という意味で、ひとりでいるとき以上にとても価値がある時間なのだと思いました。

とてもシンプルなことですが、それに気づけたことは、これからの自分の時間における柱やそのプログラミングにおいて、とても貴重なことになりそうです。

新しいことがやってこないというのは、すなわち惰性や怠惰ということになる。

そうならないために、コミュニケーションこそを利用するのは、人間の本能に存在する大きな知恵なのでしょう。

posted by take at 10:20| 活動報告

2023年09月11日

権力の最悪な副作用


「60過ぎたらもう存在自体がハラスメント」といった人がいる。

失礼極まりない言い方だが、これは「それくらいの認識を持って言動に気をつけましょう」という教え、またエールのようなものでもある。


「権力とは持つだけでハラスメント」


これは僕が考えた価値観ですが、実際そう思います。

権力者に着任した瞬間から、与えた側やその下で仕える者も、途端に自動的に崇めテイストになる。まだ何もされてなくても、支える側が勝手に態度が変わるのだ。

まるで「ハラスメントをどうぞ」と言わんばかりに。

そしてあっという間に「権力を持ってない側からの見方」「成功できてない側の思考」がわからなくなり、権力者だからこその見方がスタートし、ある意味不感症になってしまう。


「あー、それは失敗したことがない人間の考えることだよね」「あー、それはずっと認められてきた人特有の言い方だね。認められたことが無い人のことはわからないんだろうなあ」となる。

だから持てた喜びに浸るのもいいが、同じくらい気をつけましょうと。

権力者という肩書きが、既にハラスメンターでもあると。

posted by take at 15:52| 活動報告