2023年08月11日

やはりグループで


楽聖各々に自分の癖に気づいてもらう、自覚してもらうのに最も有効なのは、やはりグループレッスンだと思いました。


全員で一斉にあるパターンを吹く。しばらく繰り返していると、ビート感や流れ、音のツボや響きがまとまってくる。まとまってくるということは、最大公約数的な演奏に寄ってくるということ。そこにはやはり説得力がある。

その後「1人先導からの全員でそれをリピート」の先導役を回していく。

そうすると、自分1人になった音、1人になった演奏が全員で吹いていた時と微妙に違うことに気づきやすい。

とにかくこれを繰り返し繰り返しやることだなと思いました。


音大の最も大きなメリットは、周りに同じ目的の仲間がいること。一緒に吹くことを最も効率よく利用する方法は、常に模索しています。

posted by take at 21:01| 活動報告

2023年08月10日

人生劇場


自分が生きている意味を考える。


なぜ存在しているのか

なぜ生きたいのか

なぜ生きれているのか

なら、どう生きるのか

その意味


考えることを諦めてしまった瞬間、人生は終わる。

あらゆる感情は枯渇し、人生劇場の幕は下りてしまう。

ドラマもロマンも愛も、生き甲斐はもう戻らない。

主人公は跡形もなく消え去ってしまう。

posted by take at 16:56| 活動報告

2023年08月09日

やりたいことを、やっぱりやる


「答えなんか探さず、やりたいことを探せ。お前が本当に好きで、やっていて幸せなことを」

若者が師匠に言われている。


僕は基本そうやって生きれている自負はありますが、それでも見失っている時はある。

長く続けたことが終わってしまっての過渡期とか。

自分でプロデュースしなければ始まらないことがわかっていても、結果サボって始めなかったり。

また「もういい歳だから」と遠慮して、周りにアプローチするのを躊躇。年齢のせいにしたり。


でもいくつとか関係無く、本当に好きでやっていて幸せだったことは、そんなひとつが終わっても、また始める。

それが楽しくて、夢中になれて、笑顔になれることが自分の心のどこかでわかっているのなら、シノゴの考えずにやはりそれをしようとする。

まだ模索中の若者と違い、自分のそれがわかっているのなら、とにかく動き始めることですね。

posted by take at 16:47| 活動報告

2023年08月08日

自分オリジナル


「誰かのように生きる必要はない。ただお前らしく生きればいいんだ」

本当にそう。


そうは言っても人を意識してしまうのが人間。

憧れるのは決して悪いことではないが、でも羨んでも仕方がない。というか羨むべきではない。

決して他人と同じにはなれない。全ての人がそう。

森高千里さんの曲に「非実力派宣言」というのがあったが、全ての実力は個人オリジナル。

オリジナルだから尊重すればいいのに、比べたりする。比べられたりするから、誰かを羨んでしまう。

でも最期はこの正解と生きるべきだ。

誰かのように生きる必要はないから、自分らしく自然に生きることだ。

誰にもそれを責める権利はない。

posted by take at 16:32| 活動報告

2023年08月07日

演奏家か教育者か


大学時代に教えた生徒。卒業してからもう15年以上経つそんな彼らと、久々に会う機会が、別々に続けであった。

もちろん積もる話はたくさんありいつまででも尽きないのだが、彼らから言われて改めて自覚することがあった。


1人の人は「先生は演奏家であり大学の先生ですが、僕は凄く教育者だと思ってました」と。

次に会った人には「僕は敢えて言うならどちらだと思う?」とそれらしく聞いてみると「教育者だと思います」と。

彼らは、僕が吹く姿はたくさん見ている。オケでもアンサンブルでも、ソリストとしても数多く客席にいてくれた。

それでも教育者だと言われたのだ。

僕の本音は、長らく

「演奏家であっての教育者。演奏家だから教育者に選ばれているという順番だろうし。ただ、どちらかを捨ててどちらかだけを選べと言われたら、簡単に演奏家を選べるかと言われれば実は難しい。それくらい教育は、僕の人生の中でとても重要で必要なこと」

と。

演奏家じゃないというつもりはないが、まさに教育者になった生徒2人から「先生は教育者」と言われたのなら、改めて自覚することがある。

僕は教育者として生きなければならない。それは生業なのだと。

posted by take at 15:48| 活動報告