SNS上で吹奏楽コンクールに関して対話がなされている。
「そもそもコンクールは音楽活動に必要なのか?」という意見に「確かにそう思うこともよくあるが、コンクールが演奏のレベルを上げてきたことは間違いない」という意見が。
僕もかつて同様の発言をしていた。コンクールがレベル向上に貢献するパワーは凄いと。
同時に今は「そもそも演奏のレベルがそこまでに上がらなければならないのか?中高生の間に?」と感じてしまう。
もちろん上がらなくてもいいと考えてはいるわけではない。ただ日本人らしい進み方
「時間をかけずに極めて高いレベルに仕立て上げる」
という感覚は、本当に必要なことなのかと思うこともある。
少なくとも吹奏楽コンクールにおいては、指導者の力量が結果を支配するパーセンテージが、生徒のそれよりも物凄く高い。「誰を審査しているコンクール?」という意見は、そういう意味でよく言われるもの。
活動の充実感と成果のバランス。
そういう意味で「レベルアップに貢献するから」という利点を肥大させるのではなく、演奏の喜び、表現の喜びの比率こそが高くなることを第一義に考えた上で、コンクールの是非と向き合うべきだと思う。
これは吹奏楽コンクールのことだけでなくだ。
2023年07月11日
そんなにレベルアップしなくてはならない?
posted by take at 16:29| 活動報告
2023年07月10日
スコアの中の音ひとつ
ロングトーン一発で、スコアの縦と横に関連性が必須。
縦というのは、当然周りの音との調和に尽きるでしょう。
大学時代によく「その音じゃハモらない」「あいつの音はよく混ざる」なんて言葉を聞いた。
倍音の多さもそうだが、やはりツボがセンターを捉えており、楽器の上下倍音が同じようにしっかりと鳴っているということ。
横というのは、どんなに「いい音だなあ」と感じても、止まっているように聞こえたり、一直線に未来へ向かっているというよりはフラフラしている、無目的ニートみたいな不安定さでは、未来が見えない。
そうではなく、とにかく未来へ未来へと向かいまくっている音。
ロングトーン一発で、スコアの縦と横に関連性が必須。
縦というのは、当然周りの音との調和に尽きるでしょう。
大学時代によく「その音じゃハモらない」「あいつの音はよく混ざる」なんて言葉を聞いた。
倍音の多さもそうだが、やはりツボがセンターを捉えており、楽器の上下倍音が同じようにしっかりと鳴っているということ。
横というのは、どんなに「いい音だなあ」と感じても、止まっているように聞こえたり、一直線に未来へ向かっているというよりはフラフラしている、無目的ニートみたいな不安定さでは、未来が見えない。
そうではなく、とにかく未来へ未来へと向かいまくっている音。
posted by take at 18:33| 活動報告
2023年07月09日
向かって、お願い!
やはりどんなに歌っていても「どこへ向かっているのかが音にのってない」というのが、どうにも好きになれない演奏なんだなあと、あらためて思うきっかけがありました。
曲が始まったら、自然にするすると留まることなく最後まで連れて行って欲しい。
音やフレーズ、歌がそう聞こえれば、自動的に感動するようになっている。
そういう意味でも「作ってやろう」と思わず、スコアの縦にも、なにより横の全てに関連性を持たせることを必須として、止まらないように先へ行けばいいだけ。
指揮者はそうで、演奏家としては、ロングトーン一発がそれだけでそう聞こえるかどうか。
それに尽きます。
posted by take at 18:24| 活動報告
2023年07月08日
人にわかりやすく、自分にわかりやすく
良い指揮者(良い指揮の仕方)というのは、オーケストラのメンバーにわかりやすいだけでなく、自分自身にもわかりやすいんだなと気づく瞬間あり!
自分自身にもというのは、自分にも自分のやりたいタイミングがわかりやすいということ。オーケストラにもわかりやすいことで、自分の頭の中とても出てくる音とのブレも少なくなるという意味でも、これまたわかりやすい。
これでこれから指揮をするのが益々楽しみになりました。
更に集中力も続くし、身体の疲労も軽減されることも。
つまり指揮の仕方が的確でないと、自分にもわかりづらく、よって慌てることもあり、一生懸命になりすぎて疲れてしまうということだろう。
posted by take at 18:15| 活動報告