2023年07月21日

大谷翔平と奇跡


人生の彩り、その最も喜びの大きいものは「奇跡」だろう。

そしてその奇跡は不意に起こるのではなく、起こるべき道筋がそれなりにあって初めてやってくるのだと思います。

その道筋があってもほとんどの場合は想定内のことしかやってこない。

宝くじがわかりやすい。買わないと当たらないわけで、買うという道筋を辿って初めてやってくる奇跡だが、大抵は奇跡以外が来る。

そしてその道筋は自分が設定するもの。

つまり自分がやることこそが奇跡を呼ぶ唯一の道のり。

心の底で心から奇跡を信じており、既成概念(宝くじってまず当たらないよねみたいな)に囚われていない、そんな価値観が必要。

我が翔ちゃんがそうであるように。

彼は間違いなく、自分こそが奇跡を信じて進んでいる。

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2023年07月20日

夢のような完成品


我が翔ちゃんは、野球選手としてやっていることがあまりに素晴らし過ぎて、世界の中でも人類の歴史的にも唯一無二の存在だから、それで充分讃えられる‥‥たとえ人間的に突っ込みどころがあったとしても。

なんなら調子に乗って少々鼻につくような人間性の方が、自然に見えるのかもしれない。想像の範疇、理解の範疇の存在として。

しかし彼は違うのだ。

人としても尊敬されるような人格者、それも自然体で。

この点でも、全人類を対象にしても限られたこと。

そしてそこに夢がある。

本当は誰もがそうなった方が絶対良いと思わさせる、あまりの素敵さなのだ。


そりゃ推しというか、ファンにもなるよ。そんな人会えたことないし、夢のような完成品に見えるのだから。

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2023年07月19日

先生は教育ですよね


卒業した生徒と久しぶりの再会。学生時代にはできなかった話もいろいろでき、とても楽しい時間だった。

そんな会話の中、演奏と教育の二本柱の話題になったとき

「先生にとっては、教育が一番じゃないかと思ったことがあります」

と言われ驚いた。

「そう思ったの?僕自身は演奏家としてそれが最も大事だと思うと同時に、じゃあ教育は二番目かとか、選ばなければならないとなったらやめられるのかと言われたら、物凄く困ってしまう。どちらも同じくらい大切」

と答えていた。

よく考えてみると、このブログも教育に関することが一番多く書いてきた気がします。

彼は僕のことを「演奏家ではない」と思ったわけではもちろんない。でも話を聞いていると、何より教育者だと思ったことがあるそうなのだ。

やはり自分のことはわかっているようでわかってない。

そして周りの人が、僕がわかってない何かを何気にイメージしていることがあるのだと思いました。

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2023年07月18日

闘争心と力み


とあるメジャーリーガー投手

「彼は闘争心が強く、力み過ぎるときがある」

と言われていた。なぜだかこの言葉が印象に残った。

我が推し大谷翔平こと翔ちゃんも「勝ちにこだわっている」とよく言われる。スポーツとしてのベースボールを楽しむことはもちろんそうだが、勝負ごととして勝つことにこだわる。それはそのまま闘争心に繋がる。そのこと自体を非難する人はいないだろう。

「闘争心なんか持っちゃって」と揶揄されるのは、全く意味がわからない。

しかしそれが強すぎるあまり、力んでしまいうまくいかなくなるとしたら話は違ってくる。

闘争心が悪者というわけでは決してなく、それがメラメラ身体の中に渦巻いていたとしても、頭は冷静に、身体は的確にということだろう。まさに翔ちゃん!!


そしてこれはそっくりそのまま演奏にも当てはまる。

闘争心という言葉は少し違うのだが、表現や歌い込みに対して、そのエネルギーの強さが演奏の破綻に繋がるほどの力みになってしまうと、それは全くよくないとなる。冷静さを失っている状態みたいなこと。

どんなに燃えても、頭はクールに、身体は的確に。

何気に人生を貫く課題の代表的なものである。

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2023年07月17日

先生の顔が見てみたい


生徒は先生を映す鏡である。


これを強く感じる瞬間がありました。

とある大学、生徒も多いが先生も多いその大学のとある先生が

「誰の門下かって、学生見てたらわかるんだよ」

と話し始めました。

「そうなんですか?僕は少人数を1人でやってるので、そういうのを目の当たりにする機会がないんですよね」

と答えると

「〇〇さんの生徒はみんな礼儀正しくて受け答えもちゃんとしてる。楽器も上手いのが多い。でも〇〇と〇〇の生徒は酷いんだよ。見事にそうだから。合奏中も態度悪いし‥」


ここで誰とは具体的には書かないが、傾向として感じたのは、先生がちゃんと敬意を持って尊敬されているクラスの生徒は、とにかく良い印象なよう。

逆に基本自分本位で生徒に対する思い入れなくちゃんと向き合えてないだけでなく、その先生の人柄が学生からバカにされているようなパターン、そのクラスは酷いよう。


そらそうなるだろうなあと思う。

本来敬われるべき立場の先生の人間性が酷かったりくだらなかったりした場合、若者はその環境にいる間の時間ずっと「目上の人をバカにする癖が染み込んでいく」わけで、それが鏡のようになっていくこともあるのでしょう。


知らぬは先生ばかりなり。


とても怖く感じ、また襟を正そうと思わされる夜になりました。

posted by take at 17:24| 活動報告