2023年06月10日

長く寝たい人


年をとると否応なしに早起きになるというが、結局早く寝るようになるからではないだろうか?

若い頃には信じられなかった時間、10時も驚きだったが、今ではくたくたになった日は9時過ぎに眠たくなり、布団に入ったりする。

そりゃ早く目が覚めるよね。

それとも12時に寝ても、朝5時に目が覚めるようになるのだろうか?

間違いなく言えるのは、若い頃みたいに9時過ぎても10時過ぎても、なんなら午後になっても寝ていられる身体ではなくなった。何時に寝ても、8時を超えて寝続けるのは無理だ。目が覚める。

それでも僕は短睡眠人ではないので、それなりに長く寝たい。

あの大谷翔平君が「できるだけ長く寝る」ということで成果を挙げているのを見ると、嬉しくなっていたりするので。

posted by take at 20:53| 活動報告

2023年06月09日

飽きられないアイテム


人間とはやっぱり「飽きる生き物」なんですね。

内容がエキサイティングかどうかはおそらく関係ない。どんなに刺激的で興味深くても、飽きるアイテムはその時が来たりする。

世界的に認められた素晴らしい音楽家でも「料理人になろうと思うんだよね」と言ったことがあるらしい。(未遂)

きっとその頃あれこれ曲や編成やり尽くして「さあ、これからどうしよう?」ってなったとき

「飽きたなあ」

と感じたんじゃないかと思う。彼くらいなんでもできちゃうと、多少の努力でかなりできちゃうだろうし。


世の中のあれこれ、職業であっても趣味であっても、飽きる可能性あるものあれば、そうそう簡単に飽きることができないものもあると思う。

たとえば教育。

これはその難易度の高さ、完成し切らないノウハウ、次から次へと新しく登場する問題点、そして入れ替わる生徒たちということで、飽きようがない気がする。

なんせ人間相手、しかも若者相手。

僕にとって、トロンボーンや演奏はもちろん飽きようがないが、もしかしたら教育はそれどころではない気がする。

だから終わるときには、逃げるように辞めることになるのではないだろうか。

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2023年06月08日

よくあるナンセンス


とある番組で「焼きそば」と「醤油ラーメン」のどちらが好きか、より多く選んだ方を当てるという企画をやっていた。

バラエティ番組によくある、街で家族連れはじめ一般の人に聞くというもの。

いろんな理由を話しながらどちらかをはっきりと選んでいる人のインタビューが流れていたが、おそらくそんな人はとても限られているのではないかと思う。

正直このふたつを比べることは、極めてナンセンスだとだけ思ってしまう。

これって

「うどんとそばとどっちが好き?」

と同じくらい意味がないような。


大人になればなるほど、うどんが好きで蕎麦も好きで、そんな人生こそを幸せだと思っているから。

ほとんどの人は、うどんが大好きでそばもそれに負けないくらい好きなのではないだろうか。

僕は焼きうどんも醤油ラーメンも、ブラームスもチャイコフスキーもシューマンもシベリウスもバッハもプロコフィエフもラフマニノフもマーラーもブルックナーもあれもこれも好きです‥‥ん⁈

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2023年06月07日

深き淵へと


16分音符の伴奏型がずっと続くその上で、雄弁なレガートのメロディーが流れる。当然旋律がその伴奏の上に乗っかって演奏するようにと考えるのが筋だろう。

しかし伴奏担当者(担当組)が「我々のテンポ感にびったり合わせろよ!」と、旋律の細かいアゴーギグを全く優先せず自分たちこそが主導でと我を通したなら、完全なインテンポにどんどん近づいていくだろうし、演奏全体としては淡白でつまらないものになっていく可能性が高い。

逆に、揺らぎまくる旋律に16分を辻褄合わせのように付けようとしたなら、ある程度以上のアゴーギグからは、なんとも気持ちの悪い不自然なものになっていくだろう。揺れ過ぎの電車や船に乗っているように酔ってしまう。


つまりお互いを聞き合うという当然の事だけでなく、「旋律だから」「伴奏だから」を超えた意識の相思相愛というたしなみが不可欠だ。

なぜたしなみと表現するかというと、それは「大人こそ」の所業だと思うから。こうなると、音楽家としてどうというよりも人としてどうか、つまり人間力の領域の話になる。

そんな大人たちの意識と実行の力が一体化した瞬間、全く簡単には到達しようのない、素晴らしい音の重なりが現れるのでしょう。


今よりももっと指揮者が封建的テイストだったあの時代、アマチュアオーケストラを前に、とある指揮者が叫んだそう。

「アンサンブルなんて生意気なこと言ってないで、全員が俺の棒に合わせればいいんだよ!!そうすれば合うんだから」

アンサンブルが生意気とは驚愕かつ新鮮な価値観だが、これを発する者こそが子供(もちろん悪い意味で)であることは明白だ。

当然指揮者とオーケストラとの間にもアンサンブルはある。しかし大人と子供でアンサンブルは不可能だ。


大人たちのアンサンブル能力とは、簡単な言葉として誰もが思いつくようなものではなく、かくも奥深い。

つまり人間として大人になるということは、深遠な世界へ向かう勇気こそが連れていく、そんな世界なのだろう。

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2023年06月06日

これから先に必要な場所


品川に居を構えて24年目。現在絶賛リフォーム中です。

外壁や屋根、ベランダなど、劣化により「やらなければならない場所」をこの際一気にやっているのですが、実はそれ以外にも「模様替え」や「新しいドア付け」なんかもしている。

つまり安心のためのメンテナンスという義務テイストと同時に、これからの時間に彩りを持たせる楽しみとしての工事も同時に進めている。

具体的には、3階の寝室と練習室の壁を抜いて、広い一部屋の練習場にと。家人のアイデアから始まり、僕が一気に話を進めてしまった。


年齢的に「これからの時間」というのを強く意識する機会はとても増えた。

今まではただただ突っ走ってくればよかった感じだったが、区切りが近づくにつれ、その先は改めてきちんと計画したことでなければならないと。

若い時のように、先達が導いてくれることを期待してはならない。その人たちが作ってきた社会の中で、恩恵を受けながら慣れていき、自分の立ち位置をゆっくり作っていくというのとは、これからは違う。

自分のことはほぼほぼ自分で設定しないと。じーさんのためにそこまでしてくれる人はいないし、何もしなければ何も起こらない日常になるのだと思う。


そんな気持ちの中でのリフォーム。

僕は練習室を大きくすることを選んだ。

これから先は、その空間で何かを起こしていくのだと思う。それが何なのかは、まだはっきりはしてないのだけれども。

posted by take at 18:42| 活動報告