2023年06月15日
自分が得しようとばかりする人
「自分の得になることを、人から得ようということばかりをしようする人がいる」という言葉を聞いた。
そうですね、いますね。
そもそも「人から何かもらおう」というのではなく、「与えよう」と生きるのが根っこになっている方がいい。
もちろん「いろいろ貰っていくばくかは与えて」というのが生き方の真実だとは思うが、でも「自分の得のために生きるんだ」とあからさまな人、そうやって人から取ろうとばかりしている人は、基本周りからは嫌悪されるし、本人はそれに気づかないし。
そんな人はなんなら「何が悪いの?」となるし。
「与えようと一生懸命生きてたら、なんだかご褒美的にいくらか貰えた」っていうのが、やはりいい生き方かと。
posted by take at 19:04| 活動報告
2023年06月14日
2023年06月13日
聞こえているか?
誰もが疑わず理解できる価値観として「自分の音はよく聞くべきだ」「自分の音が聞こえてないのはよくない」というものがある。
自分の音、どれくらい聞けているのだろう?
僕は今までどのくらい聞こえているかは精度だと思ってきた。精度というものでざっくりまとめて考えていたのだと思う。
あの人はよく音が聞けている、あの人はあまり聞けてないみたいな。
最近少し違う観点で生徒たちと向き合っている。
「人の話を聞いている聞いてないじゃなくて、そもそも大半の人はその全て(の情報)を聞き取れていないのと同じように、聞こえている音と聞こえてない音があるんじゃない?」
というもの。
それは音一つの中でもあるのかもしれない。
立ち上がりしか聞いてない。立ち上がりは聞こえてない。処理の部分は聞こえてない‥‥
いずれにせよ「自分の音は全てよく聞こえていた方がいい」
なぜなら聞き手には全て聞こえているから。
演奏者が聞けてなかったら「あそこがこうなっている」と指摘を受けたり、聞き手に感じられても
「あれ?どんな音出したんだろう?」
としか思えないから。
それでは改善しようもないのだから。
posted by take at 18:30| 活動報告
2023年06月12日
不誠実に扱われる誠実
人は誰もが「自分には誠実に接して欲しい」と願っている。「自分に対して不誠実でも構わない」と思っている人はまずいない。
なのに自分が周りに誠実でいるかどうかとなると、人それぞれ。
「申し訳ないとは思う」から「自分はこうしかできないから」、そして「何か問題でも?」まで、不誠実な人の心の中も様々。
でも自分に対しては誠実さを求める。
無理がある。
posted by take at 18:17| 活動報告
2023年06月11日
聞いてない
巷でよくある言い合い。
それが恋人同士や夫婦、友人なんかでも多いと思うが‥
「言ったよね?」
「そうだっけ?」
のようなもの。
僕は最近深く理解できたのだが、人というのは本当に「全部は聞いてない」。でも言った方は全部聞いてくれていると思うもの。
「明日1時に渋谷でね」
しばらく経って「1時にどこだっけ?」「渋谷で何時だっけ?」ということは本当によくある。これは忘れてしまったというだけでなく、そもそもちゃんと聞いてないのだ。
これが高じて小さな喧嘩から裁判まで、いわゆる有名な「言った言わない論争」になるのだが、これが不毛なのは、現実としては言ってたとしても、相手が聞いてなかったらその人にとっては本気で「言ってない」なわけで、録音でもしてない限り検証しようもない。
もちろん言ったつもりで本当に言ってないのもあるのだろうが、いずれにせよ証明できなければこの手のくい違いを正確に正すことはできない。
実は問題の根っこは、言った方が「全部を聞いてくれたはずだ」と信じるが、かなりの割合で聞いてないというのが人の現実だということ。
世の中はこの「実はいくつかの項目は聞いてない」ということで溢れており、それでも回っている。というか、それで回っている。
聞く側のコンディションや怠慢、言う側が思う重要性と聞く側の優先度の低さなど、もちろん聞いてない方が悪いっちゃあ悪いのだが、でもそれがほとんどの人間の現実なので、責めても無駄骨だったりするし、関係が悪くなって終わりみたいなことも多い。
なので、本当に全部伝えたいなら
「ねえ、今から言うの全部覚えてね。明日は!1時に!渋谷だから!いちじ!しぶや!!」
と。
ま、あとは文章にするしかないですね。証拠を残す。それでも「メール読んでない問題」や「斜め読み問題」なんかも起こってきますが、基本人ってそんなもんです。
自分がそうだし、周りもそうだと最近気づきました。
そしてこの理解からのアプローチが、レッスンで活きることにも気づきました。それはまた今度。
巷でよくある言い合い。
それが恋人同士や夫婦、友人なんかでも多いと思うが‥
「言ったよね?」
「そうだっけ?」
のようなもの。
僕は最近深く理解できたのだが、人というのは本当に「全部は聞いてない」。でも言った方は全部聞いてくれていると思うもの。
「明日1時に渋谷でね」
しばらく経って「1時にどこだっけ?」「渋谷で何時だっけ?」ということは本当によくある。これは忘れてしまったというだけでなく、そもそもちゃんと聞いてないのだ。
これが高じて小さな喧嘩から裁判まで、いわゆる有名な「言った言わない論争」になるのだが、これが不毛なのは、現実としては言ってたとしても、相手が聞いてなかったらその人にとっては本気で「言ってない」なわけで、録音でもしてない限り検証しようもない。
もちろん言ったつもりで本当に言ってないのもあるのだろうが、いずれにせよ証明できなければこの手のくい違いを正確に正すことはできない。
実は問題の根っこは、言った方が「全部を聞いてくれたはずだ」と信じるが、かなりの割合で聞いてないというのが人の現実だということ。
世の中はこの「実はいくつかの項目は聞いてない」ということで溢れており、それでも回っている。というか、それで回っている。
聞く側のコンディションや怠慢、言う側が思う重要性と聞く側の優先度の低さなど、もちろん聞いてない方が悪いっちゃあ悪いのだが、でもそれがほとんどの人間の現実なので、責めても無駄骨だったりするし、関係が悪くなって終わりみたいなことも多い。
なので、本当に全部伝えたいなら
「ねえ、今から言うの全部覚えてね。明日は!1時に!渋谷だから!いちじ!しぶや!!」
と。
ま、あとは文章にするしかないですね。証拠を残す。それでも「メール読んでない問題」や「斜め読み問題」なんかも起こってきますが、基本人ってそんなもんです。
自分がそうだし、周りもそうだと最近気づきました。
そしてこの理解からのアプローチが、レッスンで活きることにも気づきました。それはまた今度。
posted by take at 20:39| 活動報告