2023年05月31日

状況が変わってしまったら


状況が大きく変わる。望ましいこと、良きこともあれば、悲しいこと、残念なこと、なんなら悲劇も。


たとえば‥‥

入学する。留学する。優勝する。就職する。転職する。引っ越す。交際する。結婚する。出産する。何かしら成功する。

卒業する。失業する。離婚する。事故に遭う。病気になる。入院する。死別する。スキャンダルや悪事が発覚する。何かしら失敗する‥等々


良い変化なら人生の時間には幾度かは欲しい。しょっちゅうだと変化に伴う切り替えに疲れてしまいそうだけど。でも安定=退屈という側面もあるので、ある程度のスパンでやってくると、未来へアクティブに生きていく励みになる。

逆に想定外にやってくる残念なこともある。自分の不徳の結果なら言っていくところはないが、不意にくる不可抗力のようなこともやはりある。

いずれにせよ変わった状況を元に戻すのは困難で、でも平穏な日常というよりは、思考的にも肉体的にも努力をせざるを得ないことから逃げられなくなることがほとんど。

そして如何なる場合でも、新しい状況には慣れるのに時間がかかる。 

そんな時に何よりの助けになるのは、やはり近くにいて理解と共有をしてくれる人。一番の理解者。

そして疲れを吹き飛ばし、前向きに新しい時間を生きていくのに必要なのは新しいアイデア、プランニング。

もちろん僕は経験はないが、刑務所に入ってもそうなのではないかとすら思います。

posted by take at 11:17| 活動報告

2023年05月30日

相性


美術を習うのにも教師との相性はあるそう。

そらそうでしょうね。

たとえば基本的な絶対的共通項を習うにしても、伝える言葉のチョイスや雰囲気でわかりやすさが変わるし、そこら辺から生徒は教師の人間性を見つめ始め受け入れ易くなったり難くなったりもするのでしょう。

先生は先生!努力と結果は全て生徒の側にその責任がある!!

昭和の教育ならそうだったのでしょうが、令和の今は違う。

先生の能力、人間性のことではあるが、最後は相性の問題。

もちろん教師が感じる生徒との相性もある。

自分が生徒であれ教師であれ

「自分はこのスタンス、わかってくれる人だけいれば、あとは嫌われてもいい」

という考えでは、済まされない。

なぜなら、その度合いが強ければ強いほど相性の良い人は減り「そんな人が教師でいいの?」となるから。

生徒の側は当然人数も多く色々いますが‥‥


僕は今、とても生徒たちに恵まれています。

彼ら一人一人と僕との相性が良いことを心から願っています。

posted by take at 16:43| 活動報告

2023年05月29日

気持ちをコントロールする


状況が変われば気持ちも変わる。変わってしまい、それ以前にはどうしても戻れない。

若い頃はそれを運命のように受け入れて流れていくだけだったが、この年齢になると、この気持ちを自分でコントロールしなければならないと強く思う。

人道的にもモラル的にも、間違ったことをしてはならないと心底思うから。

それで非難されたり、それまでのイメージが大きく変わってしまう人もいる。自分がそう見る以上、人からもそう見えるのは間違いないから。


ここにも「自分がしてほしいことをする(見たい自分になる)、してほしくないことはしない(ちゃんと客観的に見る)」という、絶対必要なたががある。

「自分がしたいことをする。それを正当化する」では、最終的に人生は完成せず、なんなら間違った方向へどんどん進むのだと思う。


自分がしてほしくないことはしない、してほしいことをする、そしてそれが自分のしたいことになる。

やはりそれが真実。

posted by take at 16:32| 活動報告

2023年05月28日

これから


これは全てがネガティブではない。立ち向かい克服するための宣言にも近い。


人生の試練は、後半に向けてその重さを増している。


自分自身の病気(今は治っている)。これは加齢とともに、命に関わる度合いが高くなり深刻さを増すが、もちろんそれと相対し、若い頃よりよりきちんと検査やケアをすることで、気持ちの折り合いをつける日々。

介護。親が存在する以上大半の人が経験するだろうが、自分でするか誰かに任せるかで、その重さは大きく変わってくる。それでも年と共に変わった肉親と向き合うのは、誰もが「嗚呼、その時が来たのか」と、あまりに悲しい運命と向き合うことになる。そして認知症などの病、その症状のなんという酷い現実。こうなると、あなたがそうしたのではと神を恨むまでになってしまう。

自身の老後への不安。いつまで生きられるのかが絶対はっきりしないわけで、経済面のことは大きい。いったいいくらあれば安心なのか?そしてそれ以上にその時間の内容がどうなってしまうのか?今までには無かった現実的深刻な課題。


人生の前半には全く無かったこれら。後半に入ってもその前半にも無く、やはり50を過ぎてじわじわやってきている。

そして今ちょうど、それらをより深刻に考え、方向性を定める時期にきているのは確か。諦めるべきは諦め、大きく舵を切るなら切り、より計画的に図面や表を作らなければならない。

実は心が重くしんどい瞬間もあるが、必ず乗り越えてみせると拳を握りしめている時でもある。

posted by take at 16:18| 活動報告

2023年05月27日

質より量はどう?


もしかしたら昔の日本は「質より量」的な美徳があったかもしれない。

これはトレーニングに感して。だから、長い時間練習する=根性=成果に繋がるみたいな方向を向いていた気が。会社員も凄い長時間残業をしていたし。

しかしどんどん「量より質」へと向かっている。

今の僕は、必要なことを漏れずにやり切るためのそれぞれのアイテム、その内容を考察する日々。

そうすると「項目としての量」はそれなりに増えてくる。

生徒たちには、その量をこなしながら、多角的に何が必要なのか、何を網羅することによって安定するのかをわかっていってほしい。

それにしても「やればいいってもんじゃない」という例の壁が立ちはだかり、行手を困難なものにもする。

やはりどの道も簡単ではない。

posted by take at 15:53| 活動報告