2023年04月02日

WBCあまのじゃく論


WBC熱はまだ冷め切らない。テレビでその勇姿含め、侍たちのあれこれを見聞きしない日はない。

特に栗山監督の価値観や采配に対する特集は多い。昭和から大きく変わりつつある現代、そんな今における理想の上司、指導者の姿として、今までにはないようなその突き抜けた姿が、あらゆる方面に影響を及ぼしている。

これからの若者の導き方、仕切り方を、世界一という成果を挙げた大成功例から学ぶ気満々で、どうして良いのか分からなかった大人たちが、閉塞感を破る扉のように感じ、今こそ変わろうと答え合わせのように語っているように見える。

まさに社会現象と呼ぶに相応しいウェーブだ。


その価値観の柱は

「若者を信じきって、判断の大半ややり口を彼らに任せる。ひとりひとりと細やかに対応はするが、いざ采配となると自分の価値観を押し付けるような余計な事はしない」

というものに尽きる。

若者側からするとまさに理想の先達だろう。信頼してもらえるという喜び、余計なことを言われて萎縮したり、考えることが機能しなくなったり、不満が膨らんだりという事は極めてなくなるのだろうから。


ただ、ひねくれている僕はそのことだけを素直に受け取る事はできない。町のサラリーマンたちも言う通り「自分の部下には、そうはやりきれない」と言うのも理解できるからだ。

なぜなら今回の WBCの場合は、あまりにも優れた選手の集合体だったが故にそのやり方が最高のプロセスと結果に繋がったからであり、もしそこまで能力の高くない構成員たちだった場合、自主性に任せたり、自分たちでこそハイブリッドしろと見つめても、何も起こらないかグスグスにな結果になる事は明白。

つまり今回の理想系は、ここまで全体が優れてきたこと、そこにたどり着いたこととセットで考えるべきだと思うのです。

栗山監督の素晴らしさには大いに憧れるとして、そこまで個人と全体のレベルが上がることに貢献した先人たち、そのノウハウと努力、考え方こそを見つめるべきではと強く思います。

何よりそこのハードルこそが最も高いわけで、今回のように選手たちのレベルが世界の上澄みにまで達していたなら、自然とリスペクトは生まれ、逆に采配の仕方は決まってくるだろうし、そうできない人が指揮官になると、そちらがはじかれるようにも感じます。

今までの指導者、個人の努力やノウハウという見えにくい部分こそ見つめることが、世の中の悩める上司たちの突破口なのでしょう。

posted by take at 17:13| 活動報告