生徒に内在している能力。どんなものがどれくらいあるのかは誰にもわからない。
本人にはそれこそわからないだろう。周りから見えやすいような幸運なパターンもあるだろうが、大半は目に見えない。どれくらいなんて話になると、本当に誰にもわからない。
しかし、そんな目に見えない誰にもわからない力を大いに使ってもらうように導ければ、それこそが教師の立派なポテンシャルなのだろう。
そして生徒たちが、そんな隠れているポテンシャルをガッツリ利用できるようになれば、その能力はいずれ「才能」になる得る。
自由にやらせてくれる親、決して反対しない親含め、周りのスタンスひとつひとつも、個人の才能を生むアプローチに繋がっている。
逆に言えば、才能へと昇華するくらいの能力を周りで潰してしまうこともあるだろう。というか、思った以上に多くそうなってしまっているのかもしれない。
私たちが自分にも周りにも求める「才能」
それはそうやって本人と周りのアプローチで作られていった、後天的な結果なのかもしれない。