では「とにかく怒らない、追い込まない」として、それで全てが解決するのかと言えばそんな単純な話ではない。
これはあくまでも不必要なことなだけで、必要なことというのは他にある。
不安を持たずに潜在能力を発揮し切ってもらうために必要なこと。
よく「自己肯定感」という成功体験からの産物の重要性が語られるが、これを生み出すのは、とにかく「(生徒自身の)手応えに繋がるシステム」と「定期的な評価を得る場」、つまり日常追われることと、評価が得られる恒常的スパンで訪れる目標点(本番)。
逆説的に考えるとわかりやすい。
日常がノープランノーシステム、つまりやるべきプログラムがはっきりしてなかったりぼやけたりしていると、成長という変化はまず望めなくなる。手応えのある内容はもちろん、多少追われるくらいの方が良いのではと考えています。
そしてそれを発表し評価を得ることで、やったことの価値を確認する機会が定期的にあること。
それらの積み重ねで「自己肯定感」は生まれてくる気がするのです。
怒りもしないが、じゃあ褒めればいいのかというこれまた単純な話ではない。評価というのは真っ当であればあるほど良い。
ほとんどの問題点は簡単には解決しないため繰り返される。それはそれで「問題だ」と指摘されるべきだし、幸いにもクリアできてたりそれ以上に素晴らしいことが発揮できていたなら、そこは具体的に称えられるべき。
そうやって、成功体験と問題認識体験の両方が的確に訪れることで、自分で自分を変えていく筋力がついていくのだと思います。
未来の教育とは、そんなプログラム、そんなシステム、そして明るく前向きな気が流れる人間空間作りという、難易度は決して低くないが、奥深くもやり甲斐のある理想教であるべきでしょう。