2023年03月16日

僕のトロンボーンは?


僕のトロンボーンも、経験年数だけで語れない領域があるのかもしれない。

マエストロたちには遥か及ばないが、3年後には60になるわけで、その脳で吹くトロンボーン、表現する音楽は、僕自身まだ経験できていない。

70歳になったらどうだろう?

欲の内容が変わり、多くを諦め、そんな現実の中で考える脳なのだろうが、しかし今はまだ到達できてない特別な領域に行けるのかもしれない。

そしてそんな脳で吹く演奏は、今までとは全く違うものなのかもしれない。


posted by take at 17:52| 活動報告

2023年03月15日

90年を経た至芸


御年90歳のマエストロ・フェドセーエフとのリハーサルが始まりました。

演奏旅行のプログラム、チャイコフスキーの5番とラフマニノフのピアノの2番は、どう考えてもマエストロの十八番中の十八番でしょう。

面白いのはリハーサルのスタイル。

しつこくしつこく返す場所、返す楽章は「え〜もう一回なの」と嘆きたくなるくらい。そんな期待を裏切る「ダ・カーポ」に比して、一回通して終わりの楽章もある。いいのかな?

いいのでしょう。

マエストロの永年の経験で、やり口は定まりきっている。場所による練習の比重も、もう何十年も世界中でやり尽くしてきた末の結論なのでしょう。


マエストロ・ブロムシュテットもですが、90を過ぎた指揮者の表現は、本当に至芸としか言いようのない極まり感に満ちている。

大半の指揮者はその年齢までやれていない。ということは、その年齢の脳での音楽作りは経験できずじまいということになる。

彼らのような特別な存在の、特別な到達点を目の当たりにしながら、思わず隣のチューバ奏者池田君に呟いていた。


「指揮者は90からだね」

posted by take at 17:46| 活動報告

2023年03月14日

ルーティン論2023


以前も「ルーティン論」を考察し書いたことがあるが、あらためてとても大きいものとして意識する日々です。

ルーティンというのは、意味としては習慣的・定型的パターン、日課。

ただ現代としてはっきりしているのは、全ての人において「これさえやっておけば大丈夫」という定型は存在せず、大まかな基本の基はあれど人によってパターンはそれなりに違うということ。これは世界の常識になっている。

人によってはその日のコンディションによってウォーミング・アップも変える。じゃあルーティンじゃないじゃんだが、基本的パターンのいくつかからセレクトする人もいるよう。

僕の考えとしては、ルーティンというのはどんどん進化し、幅広く奥も深くなっていかなければならず、それこそが最も重要なこと。

ある程度やってその繰り返しから得られた変化があれば、しっかりと飽きてマイナーチェンジしていく。場合によってはメジャーチェンジも。

必要なことは経験則や知識からくる成長であり、そのためにルーティンこそが成長していかなければならない。

自分があれこれ試し、失敗や成功を経験し、そこで留まらずそこから何か真理めいたものを見つけ、パターンを進化させていく。

新しいことと出会えるために、巡り会おうとする努力も必要。

そういう意味でもルーティンとは留まっていてはならず、たえず今の自分に最も必要な生き物のような存在でなければならないのだだ思う。

自分の成長はルーティンの成長こそが支えるのでしょう。

posted by take at 19:28| 活動報告

2023年03月13日

メンタルという技術


大リーガー・ダルビッシュ有が「メンタルの鍛え方」という質問に対して「うーん、メンタルって鍛えるものじゃないと思うんですよ」と答えていたのが心に残った。

もちろんいろんな経験をし、対応の仕方や「何があっても時が解決してくれる」なんてことがわかってくれば、不安は減っていったりする。

その状態が「鍛えられた」と表現すればそうなのだろうが、強くなったというよりは、理解できたことが増えていったということだろう。

それによりやり口が現実的になっていく。

ダルビッシュ有の大リーガーとしてのそんな経験則を聞いていると、やはり身体と心に対するより現実的なアプローチを感じる。

それは彼の言う通り「技術」なのだろう。

つまりメンタルというのはやみくもに鍛えられるものではなく技術。

メンタルこそが技術なのだろう。

posted by take at 19:12| 活動報告

2023年03月12日

世の中には二種類の


世の中には二種類の人がいる。


自分の希望が叶うことこそに関心があり、それのためなら周りはどう思おうがどうなってしまおうが関心がない人



自分の希望は大事だが、それが叶うかどうかは何より周りの判断も大きいわけで、そことの折り合いをつけるように進もうとする人

の二種類。


posted by take at 18:18| 活動報告