2023年02月14日
最後まで推進するために
音楽にはクレッシェンドがあればディミヌェンドもある。ずっと同じ音量では飽きてきて退屈してしまうしていまうからだ。
音楽には速いテンポの曲あればゆっくりの曲もある。一曲の中で変わることもあれば,速くなっていったり遅くなっていくことも。全部が同じテンポ、一曲がずっと同じテンポだと、飽きてきて退屈してしまうからだ。
同時に私たちが生きている時間、そのテンポは変わらない。1秒の速さが変わったためしはない。速く感じたり遅く感じだりは個人の感情や体調の状態によるもの。つまり個人の勝手でそうなるわけで、人類が設定した1秒=四分音符60は、太古の昔から変わったことはない。世の中は完璧なるインテンポだということだ。
音量の変化はどうだろう?
音楽の場合、クレッシェンドすると興奮や喜びが増す場合が多く、ディミヌェンドすると安堵や終焉を感じるような感覚になることも。
私たちの人生がどうあるべきかというと、加齢による身体の衰えや社会における世代の循環をかんまみて、ある程度登って頂点に来たらあとは下っていくイメージがあったりする。つまりクレッシェンドをしていき、どこかで頂点を迎えたらディミヌェンドしていくような。
しかし、本当はそうあるべきではない気がする。
インテンポのときの流れは誰にも止められない。つまりそこには「向かわなければならないという運命」がある。
その運命に抗えない以上、推進力というのはどの世代においても必要なことだと思う。
推進力がなくなり、止まったような生き方になると、それは身体の状態以上に死期を早めるだけになるだろう。しかもその状態に突入してからは、今の僕には「自分にとっても、周りにとっても意味のない無駄な時間」なのではないかと思ってしまう。
推進力のためには目的と方向が必要だ。そして年齢を重ねれば、その設定自体の難易度が上がることも理解している。
そういう意味では、人生は最後までクレッシェンドのみをしなければならないのではないかと思う。
理想論ではあるのだけれど。
posted by take at 18:30| 活動報告