2023年02月13日
パワーと計算
物事を成し遂げるのには、推進力というパワーが必要。希望や気持ちがあっても、自分を前へと動かしていく力が湧いてこないと無理だ。身体がくたくたなら、やりたい気持ちがあってもなにもできないのと同じ。ご飯すら食べられない時もあるし。
同時に力(パワー)だけでは結果に繋がらないのも事実。体力も気力も満ち溢れているが、何をすべきかわからないと力の持ち腐れ状態なだけ。
そこで必要なのが、やるべき努力がわかる頭。そのためには、自分がやっていることに特化した計算ができなければならない。音楽演奏なら、感性のための計算。
しかし計算だけできても力が湧いてこなければ‥‥
つまり、明確な方向性のもと、計算とパワーを持ち合わせながら進むこと。
したいことが定まっていない、計算ができない、力が湧いてこない。このどれかがあるだけでもダメだということになります。
posted by take at 08:34| 活動報告
2023年02月12日
2023年02月11日
見積もりミス
基本私たち金管奏者というのは、タイミングが遅くなってしまうことが多い。
特にトロンボーンなんぞ「指が回ってすべってしまう」ということとは無縁で、タイミングはどんどん遅くなり‥‥
もし寸足らずのように滑ると人がいたとしたら、それはビート感の無さが問題で、そんな人はどんどん遅れていったりもする。
原因は唇の反応に時間がかかるというのが最もメジャーだが、実は
「見積もりミス」
ということもある。
メトロノームで、特に速いテンポの中に細かい音を入れようとしたときに顕著なのだが、「これくらいだな」と思って舌を突き始めたものが、大抵正解より遅いことが多い。むくんでいるのだ。
だから思っているより速く付く。それで初めてカウントとずれずに終われたりする。
これは唇の反応の遅さだけではなく、スピードの見積もりミスになっているのだが、たとえば3連符の場合、カウントとカウントの間を3分割するのではなく、次のカウントに三つ目が来るように感じてしまうことがあるのかもしれない。
16分にしても、5回目のタンギングが次のカウントと合わなければならないのだが、4分割だから4回目と勘違いしてしまうのかもしれない。
いずれにせよビートにきちんと乗り、正確な割り算ができなければならないわけで、それができなければメトロノームともずっとずれたままきがつかず演奏していたりする。
見積もり名人にならなければならないということだ。
基本私たち金管奏者というのは、タイミングが遅くなってしまうことが多い。
特にトロンボーンなんぞ「指が回ってすべってしまう」ということとは無縁で、タイミングはどんどん遅くなり‥‥
もし寸足らずのように滑ると人がいたとしたら、それはビート感の無さが問題で、そんな人はどんどん遅れていったりもする。
原因は唇の反応に時間がかかるというのが最もメジャーだが、実は
「見積もりミス」
ということもある。
メトロノームで、特に速いテンポの中に細かい音を入れようとしたときに顕著なのだが、「これくらいだな」と思って舌を突き始めたものが、大抵正解より遅いことが多い。むくんでいるのだ。
だから思っているより速く付く。それで初めてカウントとずれずに終われたりする。
これは唇の反応の遅さだけではなく、スピードの見積もりミスになっているのだが、たとえば3連符の場合、カウントとカウントの間を3分割するのではなく、次のカウントに三つ目が来るように感じてしまうことがあるのかもしれない。
16分にしても、5回目のタンギングが次のカウントと合わなければならないのだが、4分割だから4回目と勘違いしてしまうのかもしれない。
いずれにせよビートにきちんと乗り、正確な割り算ができなければならないわけで、それができなければメトロノームともずっとずれたままきがつかず演奏していたりする。
見積もり名人にならなければならないということだ。
posted by take at 16:47| 活動報告
2023年02月10日
本番が近くなって
ブロカートの本番が近くなり、この20年毎度思ってきた
「頑張って仕上げなきゃなあ」
というプレッシャーがどんどん大きくなっている。
特に今回は僕が提案させてもらったプログラムで「吉川先生が好きな曲なんでしょ?」なので、いつも以上に中途半端な表現や仕上がりでは、「あなたの好きはその程度なの?」と思われそうでと、1人で追い込まれていたりもする。
しかし冷静に考えてみて、どこまでやったらやり切ったことになるのか?というのは何気に曖昧で、曲が仕上がってきても、課題は尽きないわけで、できてないところはどんどん気になり、更に気になり、でも本番は近くなりと、キリがない道を進んでいる感は否めない。
しかも自意識過剰的に「自分の好きな」と言っても、演奏者も聞きにきてくれる聴衆も、そんなことはほとんど関係ないことなので、意味がないっちゃあ意味がない。
この20年その都度思うベストを尽くしてきただけで、振り返ってみても「こんな感じかあ」と反省することだらけだったりする。
何年か経って今回の本番を振り返っても、やはり「この程度か」と、自分の力の弱さを感じるのだと思う。
だから、なるようにしかならないのだから、できていることだけをしっかりやろう。
きちんとやろうとし過ぎて、固くなっていることは、トレーナーの先生から見透かされている。
本来の目的のひとつ「豊かに歌う」を忘れないことと、聞き手もそんなにびったり合ったりずれないことを特に求めているのではなく、それよりも感じたがっていることというのに敏感でいたい。
最後はおおらかにならなければならない。
posted by take at 16:18| 活動報告
2023年02月09日
教える意味
大学で教える意味、理由を、シンプルにしたいと思った。
工業製品のように全く同じものができあがる運命とは違い、学生たちの未来は当然まちまちである。今想像し得るような道筋と全く違う、驚くほど異なる人生を辿る人もいるかもしれない。
それでも音楽と楽器を学びに入ってきた学生に対して、教師として何を教え何を伝えるのか。
彼らの第一の希望はそれこそ何気にシンプルで
「楽器が上手くなりたい」
だけだったりする。
そこから先、その楽器の演奏と音楽の知識を持って何を柱に人生を生きていきたいかは定まってなかったり、後回しに考えたがったり、運命に身を任せるようなスタンスでいたいものもいる。
「そんなことでいいのか!自分の将来を見据えて進まんか!!」と怒る人もいそうだが、でも正直「楽器が上手くなりたいだけ」だったりする人は多い。
だから彼らが自分の力で楽器が上手くなっていく、そんな方法を教え伝えればいいのだと思う。本当にシンプルに。
そしてそれが、本当に難しいことだったりするのです。
posted by take at 16:03| 活動報告