2023年02月18日

絞るタイミング


「最近なんでも手に入れたい時期から、大切なことに焦点を絞る段階に入った実感があり‥‥」

コレは40代後半の知り合いが書いていた文章の一部。

だよなー、と思い返す。

というか、僕自身は若い頃から「何でもかんでも欲しがる系」ではない自己評価だが、それでもこの頃から諦めることを覚えたこと、同時に絞ったものに対し、それを与えてくれる人や環境への感謝の気持ちはどんどん強くなっていった。

なぜ絞っていくかというと、結局自分に合ってること、自分が得意なことだけど向き合っていく、つまり「自分の資質や能力を知る」というタイミングだったのであり、今となっては、それまでそれがわからず闇雲に進めていたって、どんなこっちゃねん!!とも思うのです。

怖いもの知らずなのか無鉄砲なのか。

いずれにせよ、そんな勢いも懐かしいし、わかってからの自分も「それでいいのよ」と慰めてあげたい気持ちになりまする。

posted by take at 17:00| 活動報告

2023年02月17日

生徒たちへ


高校生の君も大学生の君も、毎日のように迫ってくる

「あまりやりたいことではないことなのにやらなければならないこと」

と向き合うと、辟易として嫌になってくることは多々あるでしょう。宿題が嫌みたいな。

ただ残念なことに、人生その状況から解き放たれる日が来るとしたら、それはもうとてもお爺ちゃんお婆ちゃんになり、なんなら頭も多少ボケて介護してもらうくらいの時まで待たないとそうなりません。

それが証拠にもう58歳になろうかという僕も、いまだに毎日のように多くの雑務をこなしています。メールの返信から始まってあらゆる交渉や原稿を書いたり。家事もほったらかしにできないことはやらなければならない。何気に多忙。

君たちは薄々わかっているはずですが、それらが面倒くさくて「もういいや!」と放り投げて、やりたいことしかしない、学校も行かない、掃除も洗濯もしない、仕事もしない、食って寝るだけ、ゲームとネットだけなんて怠惰路線で生きることにしてしまうと、まず本当の希望の大半が叶わなくなり、人生ズタボロになっていきます。

それは間違いない。自分の人生を本気で充実させたいなら、やるべき雑務はやり続けなければならないのです。面倒くさくても。


だったら、どのタイミングでどのようにこなしていくか、それを自分なりに確立していくことこそが、人生の達人になる一番の秘訣です。

林修さんの100年に一度の名言「いつやるの?今でしょ!」を柱に、自分の24時間や1週間を計算し、とにかくこなすべきはこなすべきタイミングでどんどんこなし、今からの時間に極力やるべき負担が少なくなっているような状態が作れるか、そのためのプログラミング、そしてそのための計算ができるかに尽きます。

一度自分流のそんなペースができてしまえば、あとはそのマイアプリを利用しながら、どんどんこなしていけば、不思議とそれ以外の「やりたいことができる時間」というのが、俄然楽しく充実してくるものです。

とにかくわかっていてください。人生、やらなければならないことはなくなりません。

やらなくてもいいような状況まで歳をとったとしたら安気で幸せかというと、逆に怠惰でつまらない時間になってしまい「嗚呼、忙しかったあの頃は幸せだったなあ」と思うものなのです。

posted by take at 16:49| 活動報告

2023年02月16日

小野伸二のように


サッカー界における最高の天才とも言われる小野伸二さんに関して、ある人がこう書いていました。


「グラウンド全体が俯瞰して見えていて、ゴールに向かうのに一番よい選択肢の選び方、シンプルに、あるいは相手を欺く仕掛けをした上で実行する。

しかもトラップもパスもシュートも、平面的でなく空間を最大限に使うアイデアと、それを実現する極めて高いテクニック、

そして何より、

小野選手自身が、とても楽しそうにボールを触り、それを動かす。

日本人選手の中で一番好きです」


これを演奏家にしてみます。

「一曲全体が俯瞰して見えていて、終止線に向かうのに一番よい選択肢の選び方、シンプルに、あるいは聴衆を喜ばせるための仕掛けをした上で実行する。

しかもアクセントもレガートもクレッシェンドも、平面的でなく空間を最大限使うアイデアと、それを実行する極めて高いテクニック、

そして何より、

演奏家自身が、とても楽しそうに楽器をさわり、それを動かす。

演奏家の中で一番好きです」

posted by take at 08:24| 活動報告

2023年02月15日

真夜中の成功


真夜中のラブレターというのは、ネガティブな意味として存在していますね。

副交感神経に支配されている夜中は理性よりも感情が優先されるということで、真夜中に思ったり行動に移すことは、基本感情的にやり過ぎになってしまうから気をつけましょうと。


僕も若い頃失敗した経験はあります。

怒りの感情からの言動を翌日にぶつけることを決めてしまい、それを実行したことで、トラブルを大きくしてしまったことも。


同時に、明け方、思い描いたことが、新しいアイデアとしてとても功を奏する結果に至ったこともあります。

実は最近も、悩みがちな日常の中で「そっか!そうすれば良いのか!!」ということが浮かんできて、これから先に光明を感じることもありました。

そういう意味で、真夜中の考察自体は良いこともあると信じていますし、そんなことが多く訪れるといいなあとも思います。

それが昼間には到達できないことなのかどうかはわからないのですが、夜中の感情をうまく利用できるようになればいいのだろうなあと、よく思うのです。

posted by take at 18:42| 活動報告

2023年02月14日

最後まで推進するために


音楽にはクレッシェンドがあればディミヌェンドもある。ずっと同じ音量では飽きてきて退屈してしまうしていまうからだ。

音楽には速いテンポの曲あればゆっくりの曲もある。一曲の中で変わることもあれば,速くなっていったり遅くなっていくことも。全部が同じテンポ、一曲がずっと同じテンポだと、飽きてきて退屈してしまうからだ。


同時に私たちが生きている時間、そのテンポは変わらない。1秒の速さが変わったためしはない。速く感じたり遅く感じだりは個人の感情や体調の状態によるもの。つまり個人の勝手でそうなるわけで、人類が設定した1秒=四分音符60は、太古の昔から変わったことはない。世の中は完璧なるインテンポだということだ。


音量の変化はどうだろう?

音楽の場合、クレッシェンドすると興奮や喜びが増す場合が多く、ディミヌェンドすると安堵や終焉を感じるような感覚になることも。

私たちの人生がどうあるべきかというと、加齢による身体の衰えや社会における世代の循環をかんまみて、ある程度登って頂点に来たらあとは下っていくイメージがあったりする。つまりクレッシェンドをしていき、どこかで頂点を迎えたらディミヌェンドしていくような。


しかし、本当はそうあるべきではない気がする。

インテンポのときの流れは誰にも止められない。つまりそこには「向かわなければならないという運命」がある。

その運命に抗えない以上、推進力というのはどの世代においても必要なことだと思う。

推進力がなくなり、止まったような生き方になると、それは身体の状態以上に死期を早めるだけになるだろう。しかもその状態に突入してからは、今の僕には「自分にとっても、周りにとっても意味のない無駄な時間」なのではないかと思ってしまう。

推進力のためには目的と方向が必要だ。そして年齢を重ねれば、その設定自体の難易度が上がることも理解している。

そういう意味では、人生は最後までクレッシェンドのみをしなければならないのではないかと思う。

理想論ではあるのだけれど。

posted by take at 18:30| 活動報告