2023年01月09日

良く映りたい


先生は生徒がいて初めて先生、生徒は先生がいて初めて生徒。つまりひとりで先生や生徒がやれるわけではなく、相対する人がいて、初めてその存在が成立する。

生徒として良い先生を求めるのはわかるし、先生が良い生徒を求めるのも自然。

同時に相手に対して自分がどうありたいかという気持ちも、人によってだが実はあったりする。

「実は」というのは、普段そこはあまりピックアップして考えることも少ないだろうから。


考えよう。


日本の場合、生徒の方が先生に対して「良い生徒でありたい」と思う気持ちで接するのはありがちだと思う。基本礼儀正しいのも、そうしなければならないと教育されているだけでなく、良い生徒に映りたいからというのはあると思う。裏表人間に映るとアウトだが。

コミュニケーション上の表現ももちろん大事だが「教育内容に対して充分成長が見られる人こそを良い生徒と思う」というのが本質としてありたい。もちろん成果に乏しい生徒を良くない生徒と思うのは間違いだというのも当然だとして。


逆に「生徒に対し良い先生でありたい」という意識は、実は大半の教師が持っていると思う。(中には無関心な人もいるだろうが)

もちろん「良く伝わり良く成長に繋がる教育ができる教師」として、良い先生でありたいと思うのがこれまた本筋だが、ハラスメントが横行、なんなら賛美された時代を辿ってきた日本の教育界としては、これからの時代、コミュニケーション上でも

「生徒に良い先生と思われたい」

という気持ちを宿すのは、僕は必要なことだと思う。

そんなんどうでもいいんだ。嫌われてもいいから成果を上げることのほうが大事だ。そんな生徒に媚びを売るような感覚は良くない!!

とは、到底思えないのです。

媚びを売るなんてのではなく、年長者としても(年上の生徒もいたりしますが)大人としても恥ずかしくなく、なんなら模範になれるよう意識するという当たり前の意味で。


人が開き直ってもいい場面というのは、意外に限られているのだと思う。

実は、先生は生徒の前では極めて開き直ってはならない存在。良い先生に映るよう、意識と努力は必要でしょう。

posted by take at 20:29| 活動報告