2023年01月26日

古めかしさの真実


打楽器協奏曲を聴きながら「ジョリベも古典になったなあ」と思ってしまった。もちろんバロックという意味での古典ではなく、もう新しくはないなと。


全ての作品は時と共に古めかしくなる。

ただそれは、価値とは別。

若者たちは特にだが、皆最新含め新しめのものを手に取りながら、一時代前のものには関心を示さなくなる。

しかし、更にときが経ったある瞬間、ふと立ち止まるように純粋にながめ、ふた時代前、三時代前のものでも良いものは手に取りはじめる。

リアルタイムの時には取り上げられたものでも、このときに選ばれなかったとしたら、そんなものこそが過去に閉じ込められるように、未来からは消えていく運命にある。


そしてこんなときに「良いものだから」と手に取ったものを、決して古めかしいとは思わない。

それは現代の自分にとって価値ある古典であり、過去こその素晴らしさに想いを馳せるようになるくらい、有難いものだから。

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2023年01月25日

好きの実力


好きだという気持ちというのは、最強だと思う。

「好き度合い選手権」があったとして、自分の好きさ加減よりなんぼも好きでたまらない人には、どうやっても絶対敵わないのだろう。

操る才能や結果を出す能力に長けており目に見える形で成果が出せる人がいたとしても、本心はそこまで好きではないというのだとしたら、やはりより好きな人にはある意味敵わない。

そこまで成果が出せないとしても、好きという気持ちこそが、人生の柱へと向かわせるし、喜びや充実へと自分を向かわせるのだろうから。

人生の時間をまたぐように貫くものとは、好きという気持ちでしか選ばれない。
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2023年01月24日

敵は(自分の)本能寺にあり


井の中の蛙とは、井戸の外を見ない、中だけを見てお山の大将のようになることだが、環境としての井戸を強く意識している人の蛙っぷりの話。

中にいる周りとだけ戦い、勝って殿様蛙になろうと。

じゃあ井戸への意識を捨て、大海へ出て周りのハイレベルと戦いなさいということにも映るが、どのような場所に立ち位置があるにせよ、戦う相手はやはり自分自身なのだと思う。

本来儚いものである自分の人生において、大将になんかなることを目指しても虚しさしか得られない、ということを理解するために。

結局目指すべきは、自分の中にしか無い。自分の本能こそが、勝負どころなのだと。

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2023年01月23日

ラスボス


人間として生きていくのに戦うことが必要なのだとしたら、何と戦うべきなのか。


それは結局周りではないとの確信に至る。


自分の希望を叶えるために必要なこと、思慮深き考察や勤勉、根気などの邪魔をする自分自身とこそ戦うべきだ。

面倒くさがったり怠惰だったり、本当は理解が辿りついている真理、そこから目を背けるような選択癖だったり、楽なことや甘いものに逃げる愚かさだったり。

競争というと一見周りと競うイメージになるが、それは成長と幸福の真理からするとうわべのことであり、勝ち得たとしても一過性にしかならない。

自分の本当の希望というのは、考えれば考えるほど、人生の時間ををまたがっていることのはずであり、そのために戦うのは、結局周りではなく、自分自身なはずなのだ。

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2023年01月22日

好きになれる


ということは、演奏する人間の運命、「あらゆるタイプの曲と向き合うことになる」となった場合、


どんな曲も毛嫌いせず、自分なりに好きになれる


という資質こそ、必要なのかもしれない。

好きになれない気持ちというのも純然と存在するだろう。それから逃れられない人というのは、演奏にも限界が訪れるのだと思います。


posted by take at 16:47| 活動報告