2022年12月29日

ダヴィッドとテレマン


結局、理想的にちゃんと吹けるかどうか、それをはかるのにわかりやすいパッセージは、ダヴィッドの一楽章のいくつかのパッセージ、そしてテレマンのコンチェルト(クァルテット)の最初のアレグロに集約されているなと感じています。

結局、これらが見事に吹けるかどうか。

なぜ「結局」かというと、大学時代にはもう向き合わざるを得ないものとして存在しており、その後も何度か吹くことになってきたものとして、ずっと人生を貫くようにスタンダードとしてあり続けているから。。

もちろん、その後登場した多くの難しいパッセージはあるにはある。しかし、タンギングやフレキシビリティーの課題として、これらが最も高き難易度として世界中に存在しているのだと思う。

加齢により吹けなくなってきたのではなく、結局最初から今までちゃんとは吹けてこなかったものなのでは?と考えるようになり、それが自分が最後に克服すべきものではと意識したとき、最後はダヴィッドとテレマンが立ちはだかっている。

頭がようやくそこに辿り着けたのかもしれないが、あとは諦めない勇気と、正しい奏法にたどり着く聡明な道を歩けるかどうか。

posted by take at 13:53| 活動報告