2022年12月03日

怒ってしまう理由


「怒る指導者」「怒鳴る教育者」は、今の時代流行らない。なんならハラスメントという有罪事項だ。

そんな時代になったことを嘆く人ももちろんいる。「生ぬるくなって、軟弱な人間しか育たない」「弱っちぃ大人ばかりの社会になってしまう」などと陰で怒っていたりする。

この価値観の是非については、多くの人があらゆる論点で語りながら、それでも大半が時代の流れに逆らわず、自分を怒らない方へ変えていこうとしている。


僕がひとつ、端的に結論として思うこと。それは怒ってしまう人のその理由。それは


「若者に伝えるものを自身が持ち合わせてないから」


だと思う。教育能力で言えば、低いのではなく「無い」。


だから相対する若者が、できている、できていないという判断だけをし「できてないじゃないか」と怒る。

違う言い方をすれば、怒るに至る前に伝えることをするのが仕事なのに、それを全く持ってないため「怒ることしかできない」。

これは実は教育者でなくても誰でも、なんなら世界中の大半の人ができること。そういう意味で、怒る教育者、指導者はいらないという世界に向かっている。

一介の動物から知性生命体へと。


相手ができないと怒りが湧いてくるのは、自分の方に「不遜な欲求」があるから。

若者はできないから教育を受けているし、それは人によって差があるのが当たり前なんだから、自分が思っているようにできないと腹が立ってくるというのは、完全に「自分勝手な欲求からのエゴ」だ。

エゴこそ教育の邪魔になる。

つまり「エゴを抑えられる力」というのが「怒りを沸き立たせない力」「伝えるべきことを持つ力」と同義語なのだ。

posted by take at 11:23| 活動報告